小児病院で小児がん治療に従事し、医長を務めていた大隅朋生先生。2020年にキャリアチェンジし、小児在宅医療の道を選びました。「迷いはなかった」と話す大隅先生に、どのような経緯でキャリアチェンジに至ったのか、小児在宅医療の分野でこれから取り組んでいきたいことなどを伺いました。
◆迷いのなかったキャリアチェンジ
―3年前に大きくキャリアチェンジし、小児在宅医療の道に進まれたそうですね。
そうです。それまでは小児の血液腫瘍、中でもリンパ腫を専門として国立成育医療研究センター小児がんセンター血液腫瘍科医長として勤務してきました。2020年、小児の在宅医療に特化した医療法人財団はるたか会あおぞら診療所へ移り、現在はあおぞら診療所世田谷の副院長を務めています。
私は、小児がんの子どもの在宅医療に携わりたいと思い、在宅医療の世界に飛び込んだので、少し特殊なケースだと思います。専門が小児がんなので、当初は「そのような医師が在宅医療の分野で何ができるのか?」と思われたかもしれません。
―なぜ小児がんの子どもの在宅医療に携わりたいと思われたのですか?
理由の1つは、ここ10年ほどで少しずつ終末期小児がんの子どもが自宅に帰れるようになってきたこと。それまでは、小児がんの子どものほとんどは自宅に帰れず、病院で亡くなっていました。このような変化の中で、在宅医療に興味を持っていたのです。
きっかけとしては、自分の立場の変化があります。病院の中で血液がんの子どもたちの治療をしてきて医長となり、リンパ腫関連の仕事もどんどん増えていました。年齢的にも40代となり、マネジメントの仕事もありました。
当然そこには頑張るべき道があったのですが、私は子どもやご家族とコミュニケーションを取りながら診療していく現場が好きでした。しかし、立場的に影響力を持ち始めた人間が現場に積極的に出てしまうと、現場の若手医師たちはやりづらく、決して良くありません。
現場から一歩引かなければいけない時期に来た時、残り20年近くの医師人生を自分らしく幸せに過ごせる場所はどこか、と改めて考えたのです。そして、この先も現場で子どもやご家族の近くで診療を続けられて、かつ小児がんの専門性を活かせるのは、小児がんの子どもたちが帰る場所をサポートする在宅医療だと思い至りました。
―小児がんの専門性が活かせるとはいえ、これまで積み上げてきたものをある意味捨てることにもなると思います。その点に関して、迷いはなかったのですか?
今お話したように、現場との距離ができることへの悩みは数年間抱えていましたが、キャリアチェンジに関しては全く迷うことはありませんでした。今でも当時の自分の選択に間違いはなかったと確信しています。あの時は周囲から多少心配はされましたが……。
在宅医になろうと決めたことは、私の医師人生の中で一番のターニングポイントだと思います。これまでと全く違う世界に飛び込むことでしたし、一般的に見ると極めてきた道を自ら捨てるとも受け取れる行為ですから。ですが、そこに対して惜しいという思いよりも、医師としてだけでなく、人として自分らしくありたいという思いがありました。
私は学生時代から、どうしたら「普通」の人でいられるか、ということを考え続けてきました。医師は、医療の閉鎖性や高い専門性から、意識をしていないと患者・家族との視線のギャップが大きくなっていくと考えています。自分らしく働ける現場に身を置くことこそ、そのギャップを拡げないための最良の方法ととらえていて、私が在宅医療の道に飛び込んだ理由でもあります。
ただ、ありがたいことに在宅医となった今でも週に1回、国立成育医療研究センターで外来を受け持たせてもらっています。そこでは以前自分が治療をした小児がんの子どもたちの成長を見守ることができていて、私にとって癒しともいうべき大切な時間となっています。
◆長年の病院勤務を活かしてコミュニケーションをとる
―在宅医療の世界に飛び込んでみて、最初の印象はいかがでしたか?
小児がんの子どもさんが自宅に帰れるようになったとはいえ、当初は診療所への紹介がギリギリのタイミングで、状態が悪い中で「初めまして」と関わり始めることが多かったので、非常に難しかったです。
ですが病院側は、在宅医療でどこまでできるのか明確に分からない状態で手探りな部分もあったと思うので、ある意味仕方のないことだとも思いました。そのためにまずは、小児がんの子ども1人1人の訪問診療を丁寧に行っていくこと、そして、こまめに紹介元の病院へ子どもの様子を連絡するよう意識してきました。
もともと私も病院に長くいたので、病院の先生方は元仲間。そのためコミュニケーションは比較的取りやすく、紹介していただく患者数が増えていき、3年間で、診療所で診ている小児がんの患者数はほぼ倍増しました。それだけでなく、在宅移行のタイミングが早まってきたことが大きいと思っています。患者さんが調子の良いうちから関係性を築いた上で、終末期を伴走することができるようになっていきました。
―他に感じた課題はありますか?
今の話にも少し被りますが、病院によって在宅医療に対する理解度が大きく異なっていたことです。理解の差を埋めていくために、積極的に講演会などで在宅医療でできることなどを発信するようにしていました。
あとは、子どもの様子を病院の先生へ伝える際、積極的に子どもの写真を送っています。病院にいる時に私自身も感じていましたが、在宅に移行してからの様子が分からないのはやはり寂しいものです。病院の先生やスタッフたちに写真を見てもらうと、彼らの表情の違いに驚かれることも多く、ご自宅に帰して良かったと思ってもらえることにもつながります。
また、まんべんなくどの地域にも小児のがん患者を受け入れる土壌を作るのは難しいので、子どもが帰ってくる地域があったら、その都度その地域を耕していく。そんなイメージで進めてきました。
それには、地域の訪問看護ステーションなど多職種の方々との連携が不可欠ですが、やはり小児がん患者を看たことがないことで、二の足を踏まれる方が多くいらっしゃいました。そこで、成人のがん患者さんの看護を通じて培った経験値や人間力をフル活用してもらえるよう、訪問看護の際に不安に感じている点を丁寧にサポートしていくことを重視しました。地域連携は絶対不可欠ですから。
◆ご遺族やきょうだい児のサポートもしていきたい
―これから取り組んでいきたいことはどのようなことですか?
引き続き、在宅医療で小児がんの子どもを診ていきながら、今後は子どもが亡くなったあとのご遺族やきょうだい児のケアに取り組みたいですし、私たちがやらなければいけないことだと感じています。
お子さんを亡くされたご遺族の悲しみは消えることはなく続いていきます。簡単なことではありませんが、終末期の濃厚な時間を共に過ごした私にしかできない関わりをしていければと思っています。
また、きょうだい児は患者ではないので、患者さんが亡くなった後に関わることはほとんどありません。ですが彼ら彼女らは、きょうだいが亡くなり、それぞれにさまざまな思いを抱えながらその後も生きていきます。その時のサポートは多くありません。いずれも私1人でできることは限られているので、仲間を増やしてチームで取り組んでいきたいと思っています。
また、全国どこでも小児がんの子どもが在宅医療を受けられるような体制づくりにも貢献していきたいと考えています。東京などの大都市では、小児がん患者数は少ないとはいえそれなりにいるので“小児科医の在宅診療医”が成立しますが、年間の小児がん患者が1〜2人の地方では、正直難しいです。
そのような地域で小児がん患者の自宅療養を誰が支えるのかというと、やはり成人の在宅診療医になってきます。ですから、成人の在宅診療医が安心して小児がんの患者も診ることができるような体制づくりが必要です。例えば、小児患者を診ていて何か困り事があればすぐに相談できる窓口を作ったり、小児患者も受け入れられるよう研修やレクチャーを開いたり――。
この課題に対しては、2019年から厚労科研費をいただいて、研究班を作って取り組んでいます。年間の小児がん患者数が数人の地域であっても、地域ごとに診られる先生を増やしていく活動を地道に進めていきたいですね。
―最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
昔に比べると研修制度の変化などから、専門を決める時期が遅くなっていると思います。さまざまな経験を積めることは良いことですが、一方で人生は決して長いわけではないので、早めに道を選択し突き進んでいかなければ、道半ばになってしまうことも。その視点を持っておくことも大事だと私は思います。
また、どの道を選択したら失敗しないか、と考える傾向もあるように感じています。ですが、ある道に決めて進んだとしても軌道修正は可能。戻れないことはないので、直感を信じてまずは突き進んでみて、もし違うなと思ったら戻ってやり直せば良いと思います。そのよう自分の輝ける場所を前のめりに探していくという考え方を持っていてもいいのではないでしょうか。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年10月25日