医師8年目の諸岡真道先生は日赤医療センター救急科を経て、2022年、同僚とともに在宅医療クリニックを立ち上げました。そして2023年4月、渋谷区議会議員選挙に出馬します。医師として政治活動に挑戦する背景の想いを語っていただきました。
◆世の中の不公平感を是正したい
ー2023年4月の渋谷区議会議員選挙に出馬した諸岡先生。なぜ出馬を決意したのですか?
もともと小学生の頃から漠然と政治家への興味はあったのですが、当時は政治家になることへのイメージが持てませんでした。医師家系だったことや、まずは目の前の人を助けられるようにならないと政治家になっても何も成せないのではないかと思い、医学部に進学。大学を卒業し、医師として数年が経ってから自分自身を振り返ってみて「世の中の不公平感が嫌だ」ということが、私の根本的な原動力のようなものだと気付きました。そして、世の中の不公平を是正するために自分のスキルや能力を最大限活かせるところは、高齢者医療のロールモデルづくりだとの考えに行き着いたのです。
これまで日本の医療では生命期間の延長のみを目標に医療・介護・福祉の資源を投入してきました。多産多死の時代は良かったかもしれませんが、社会や人口構造が変化し、日本人の平均寿命が伸びていくにつれて、この医療の仕組みによってさまざまな歪み、不公平感が生まれています。
例えば、医療従事者がハードワークになるほどの人的資源や、45兆円を超える医療費を投入しているのに、必ずしも患者さんの満足度は高くないこと。あるいは、1人の医師によって延命治療が決まりますが、延命治療の判断がなされた患者さんを支えるのは低賃金の福祉従事者であること。また、真面目に医療を提供すればするほどハードワークとなり、結果的に労働に対する対価が少なくなる一方で、楽をする医療者ほど時間と資産を増やしていくこと。
このような歪み・偏りが生まれないような高齢者医療の仕組みをつくり、それをロールモデルとして世界に伝えていけば、不公平感を減らせるのではないかと考えたのです。
そんな高齢者医療のロールモデルをつくるには、医療からだけでなく全方向からのアプローチが必要です。そして自分の能力やスキル、関心などを相対的に見た時に、政治家として活動していくことが最適だと考え、出馬を決意しました。
ー残念ながら落選という結果でしたが、この結果についてはどのように捉えていますか?
実現したい医療のモデルには、医療や介護、福祉、行政だけではなく地域住民との連携も不可欠です。しかし課題感や、私が考えている医療モデルの必要性に共感してくれる人は一部に限られていることを、選挙を通じて感じました。裏を返せば、今の医療モデルに危機感を抱いている人は多いものの、自分の時間を使って医療福祉を変える行動に移す人は少ないということ。このことを知れたのは1つの収穫だったと思います。
ただ一番感じたのは自分自身の課題でした。例えばチームビルディングや広報戦略の立案といった部分のスキル不足。また、多少なりとも自分をつくってしまい、その作られた自分に私自身がついていけなくて精神的にきつくなったこともーー。
振り返ると、地域のニーズが醸成されていないことや自分自身の課題から、仮に当選していたとしても思い描いていたことはそこまで実現できなかったのではないかと思います。
ただ落選したものの、現職の区議会議員の方々とのつながりができ、行政にお願いしたいことを議員を通じて伝えられるようになりました。このつながりができたことは、今後の戦略を立てる上でも重要な鍵になるのではないかと思っています。
◆「苦手だけど、今後のキャリアに必須」だから救急を専門に
ー医師としては救急科を専門にしています。なぜ救急を専門に選んだのですか?
学生時代は精神科に興味を持っていました。また器用ではなかったことから、むしろ手を動かす診療科には進みたくないと思っていました。ところが大学5年生の時、登山シーズンに山岳診療所で診療する部活動を通じ、精神科に進むにしてもまずは内科所見が診られないと医師として不十分なのではないかと思ってーー。初期研修中は、専門を迷っていました。
初期研修を修了して1年間は、世界一周旅行で発展途上国などを回っていました。もともと人生の中で1度は世界旅行をしてみたいと思っていたのですが、今後のキャリアプランを考えるとそんな時間はないだろうと思い、このタイミングで旅行に出たんです。
旅行資金を溜めるために訪問診療のアルバイトをしていたのですが、その時、自分が集中治療の限界や脳梗塞などの疾患の経過を知らないと、自信を持ってインフォームドコンセント(IC)ができないと感じていました。また海外旅行中に、事故や怪我が起こったりしていたのですが、自分である程度瞬時に判断して処置できないと「自分は、医師としてこれでいいのだろうか?」と思う瞬間が必ず来ると思ったんです。
それで苦手意識はあったものの、今後のキャリアに集中治療や救急の知識が必要になるはずだという理由で、日赤医療センター救急科に進みました。
ー3年間の研修を経て在宅医療にキャリアシフトしています。このタイミングはどのように決めましたか?
救急科に所属している間、院内の倫理コンサルテーションチームの立ち上げに関わることができました。その得られたスキルが、世の中の不平等感を是正するために大いに役立つと感じたのです。そして、それを地域に広げていく一番の近道は、在宅医療の分野からアプローチすることだと考えました。
ちょうど一緒に開業した牧賢郎先生との出会いもあり、3年間救急科に在籍したのち、在宅医療にシフトしました。
ー次のステップに進むために必要なスキルを着実に獲得していて、戦略的にキャリアを積み重ねている印象があります。その過程で迷ったり悩んだりしたことはありませんでしたか?
当然ありました。救急科に所属していた最初の2年間は、特にさまざまな葛藤がありましたね。1年間世界一周旅行をしてから救急科の研修を始めたので、ゼロからスタートという感覚で、しんどいことが多かったです。また、日赤医療センター救急科には優秀な同僚や上司が大勢いて、自分の能力を比較して複雑な気持ちになることもーー。
さらに経営コンサルタントである大前研一さんが創設した、社会起業家や政治家を目指す人たちの社会起業・政策学校「一新塾」に入り、本当に自分は何に取り組みたいのか、自分自身と向き合っていました。このように気持ちを整理していく作業は決して簡単ではなく、この期間は結構しんどかったですね。
ですがここで自分と向き合ったことで、世の中の不公平感に嫌悪を抱いていることや、その是正のために自分にできることは高齢者医療のロールモデルを作ることだと落とし込むことができ、やはり自分は政治の世界にに進むべきだと決意できました。
◆命や死について考える機会が増える世の中へ
ー今後のキャリアパスはどのように考えていますか?
まずは、牧先生と立ち上げた在宅医療クリニックを大きくすることが目下の目標です。というのも、選挙に出馬して痛感したのは、政治家の活動にはお金がかかるということ。政治家の活動は大きく分けると、政治活動と選挙活動です。選挙活動に時間と労力がかかるので、政治活動に注力するにはいかに選挙活動をサポートしてくれる人を雇えるかが鍵になってしまうのです。そのため、政治活動の基盤となる資金作りと仲間集めが、まずやるべきことだと考えています。
その後については、クリニックの成長スピードにもよりますが、数年以内には再び選挙に出馬すると思います。これも一度選挙に出てみて分かったことですが、医師との2足のわらじでは政治家は務まりません。政治活動に本腰を入れるためにも、次に選挙に出馬したら、今度は本格的に政治活動に注力することになるだろうと考えています。
そして共感してくれる仲間とともに、まずはこの先10年を目標に、命や死について考える機会が増える世の中にしたいと考えています。それが、一部の人だけが恩恵を受けて一部の人だけに負担が偏らない、不公平感のない高齢者医療の第一歩になると考えています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年4月2日