全体最適を考えながら社会問題を解決していきたい
記事
◆社会システムと制度のはざまで苦しむ人を減らしたい
—現在、取り組んでいることを教えてください。
産業医として、上場企業からベンチャー企業まで20社近くを担当しながら、一般社団法人 Daddy Support協会を設立し、男性の育児支援を社会実装させるための取り組みをしています。また医療ジャーナリストとしても活動しています。
すべての取り組みに共通して言えることは、問題は個人ではなくそれを取り巻く社会の構造やシステムにある、と考えて活動していること。そして全体最適を考えながらも中立的な視点を持たなければならないことです。
たとえば産業医としてメンタルヘルス不調の社員を扱うのであれば必ず、ハラスメントや長時間労働があるのかなど、会社にある構造的な問題に着目すべきだと考えています。面談して目の前の1人を救えたとしても、構造的な問題を解消しなければ、同じように不調をきたす社員が再び出るでしょう。また逆に当事者の事情だけを考え、収入がないのはかわいそうだからと明らかに業務遂行に問題がある方を復職させれば、他の社員がフォローしなければならず、結局は他の社員がメンタルヘルス不調に陥ってしまうこともあります。全体最適を考えながら、専門家として中立的に意見することが大切なのです。
男性の育児環境も同じです。現状は、男性の育児参加を推進するために、個人に焦点をあてて育児への意欲を持つような働きかけがなされています。しかし、それだけで男性が育児参加できると考えるのは安直です。実際、育児に意欲的な男性が産後うつになってしまうこともあります。なぜなら長時間労働や、出産・育児についての教育の不備などの問題があるからです。社会的なシステムができていないままに制度ばかりが先行していて、そこで苦しんでいる方がいるのです。だからこそ私は男性のニーズを汲み取り、専門家として、正しいだけでなく男性に必要な情報を届けられるように提案することで男性育児の支援をしています。
社会システムと制度のギャップが開くほど人は苦しみます。このはざまで苦しむ人が増えてきたのならシステムを変えることが絶対に必要で、私はその役割を担いたいと思っています。そしてそのためには非常に中立的な視点と立場から専門家として発言する必要があります。これは私が一番得意なことであり社会貢献できる領域だと感じています。
◆男性が育児参加したくても、支援体制や環境が整っていない
—医師になり、2021年に臨床を離れるまでの経緯を教えてください。
実は高校時代は社会系の科目が好きで、大学進学前は経済学部や法学部に興味がありました。しかし最終的には直接人と接する職業に就きたいと思い、医学部を目指すことにしたのです。基礎領域では内分泌に興味を持ちましたが、その中でも動態が複雑な女性ホルモンに医学的興味を持つようになりました。同時に産婦人科は若い方と接することが多く、女性が対象なので、中絶や出生前診断をはじめ医療倫理で問題となる事例が真っ先に出てくる科でもあり、社会学とも密接です。医学的興味と社会医学の興味が合致したので、産婦人科を専門に選びました。
初期研修医、産婦人科専攻医と進みましたが、専攻医の途中で体調を崩し休職しました。そのあとさまざまなことを考えたのですが、一度臨床を離れて社会医学のキャリアを歩んでみたいと考え、専攻医を中断しました。
その後初期研修中から始めた医療ジャーナリストとしての活動をしつつ、産業医としても働き始めました。産業医は「社会医学に興味があるなら資格を持っておくといい」と言われたので取得しており、「とりあえず何か続けられる仕事を」くらいの意識で最初はやってみました。しかしやってみると、自分の考え方や興味に非常にマッチしていたため、メインの仕事として取り組むようになり、今ではさまざまな資格もとりながら多くの企業を担当させていただいています。
—その後、経済産業省主催のグローバル起業家等育成プログラム「始動 Next Innovator 2021」へ参加されています。どのような思いで参加を決めたのですか?
初期研修中に医療経営士の資格も取得していたことから、たまたまある医療スタートアップの起業家から相談に乗ってほしいと頼まれました。その起業家が、この「始動」に参加されていたんです。興味を持って調べてみると、「始動2021」エントリー締切の3日前。縁を感じて応募を決めました。
応募時にテーマとしていたのは、産婦人科の現場で感じていた問題意識でした。帝王切開や早産など、出産にまつわるさまざまなトラブルは妊婦さんにとって身近なものです。しかしパートナーの男性の多くは、赤ちゃんは予定日前後数日に生まれてくると思い込んでいたり、急な入院に困惑していたりと、妊娠・出産についてあまりにも知識不足だと感じていました。そのような背景から、父親になる男性と妊娠・出産に関する知識を共有し、学ぶことが重要だと提案し、採択していただきました。
—そして2022年12月に一般社団法人Daddy Support協会を創立し、男性の育児支援の社会実装への取り組みをはじめています。
それまでは産婦人科医として女性というフィルターを通して男性を見ていて、「男性の勉強不足」が問題だと思っていました。しかし事業としてヒアリングを重ねたり、産業医の現場で仕事と育児の両立に苦しんでいる男性たちを目の当たりにすることで、「男性の育児支援不足」が問題だと考えが変わっていきました。
現在は多くの男性が仕事も育児も両方取り組もうと努力しています。しかし知識や経験がないことや、社会的支援が乏しいことから、結果として両立できずにメンタルヘルス不調になっている方も少なくありません。そのような事例をヒアリングや産業医の現場で立て続けに見て、男性たちが育児に参加する準備ができていないのは彼ら個人の問題ではなく、社会の構造の問題であることに気がついたのです。
義務教育での性教育ができていない日本では、特に男性は妊娠・出産・育児に関する知識を持たずに育児に臨みます。同時に行政は「母子保健法」に基づき母親への支援は充実していますが、父親向けはほとんど皆無です。この状態で育児に参加しろ、という方が難しいのではないでしょうか。これらは社会が作るべき支援システムであると考え、「男性への教育」から「男性の育児支援」へとシフトしました。
平野 翔大 先生の人生曲線
医師プロフィール
平野 翔大
一般社団法人 Daddy Support協会 代表理事/医療ジャーナリスト
2018年に慶應義塾大学卒業後、産婦人科医として臨床の研鑽を積む。2021年に独立し、産業医、医療ジャーナリストとして活動。2022年、一般社団法人 Daddy Support協会を設立し、男性の育児支援の社会実装に取り組んでいる。