国際協力・開発への興味から医学部進学を決めた髙松優光先生。卒後、初期研修を受けずに1年間、日本医療政策機構のメンバーとして政策提言やパラオでの医療支援に携わります。その後、WHOのコンサルタントとしてナイジェリア・西太平洋地域事務局・パプアニューギニアで勤務し、予防接種・感染症対策を中心に実務経験を積んできました。公衆衛生医師としてユニークなキャリアをどのように築いていったのでしょうか? そして髙松先生の挑戦していきたいこととは――?
◆マッチングを受けず、日本医療政策機構へ
―医学部に進学したきっかけを教えてください。
父親の仕事の関係で、中高生時代をアメリカ・ロサンゼルス郊外で過ごしていました。ロサンゼルスでは街中でも健康格差を目にする機会があり、人の健康に関心を持つようになりました。
私がロサンゼルスに行ったのはちょうど2003年。アメリカがイラク戦争を始めた時期でした。それで中東情勢にも漠然と興味を持ち、調べる中で故・中村哲先生の活動を知り、国際協力や国際開発の仕事に携わりたいと思うようになったのです。
国際協力や国際開発に携わる方法はいくつもあります。私は理系的なアプローチがしたいと考えていたところ、お世話になっていた現地の日本人向け塾の先生から「医学部に行ったら最も多くの人を助けられるのでは?」と言われ、医学部進学を決めました。
その時、公衆衛生の道に進むことは全く想像していませんでしたが、医学の側面から国際協力や国際開発に関わろうとすると、公衆衛生はとても親和性の高い分野。中高時代に漠然と考えていたことから、結果的にこの分野にたどり着くことになったのだと感じています。
―佐賀大学医学部に進学されましたよね。
佐賀大学でとても良かったのは、地方大学なので地域に近かったこと。数名の友人と古民家でシェアハウスをしていたら、たまたまその地区の方から「若者がいないから地区対抗リレーに出てくれないか」と誘われ、それをきっかけにたびたび新年会など地区の集まりに呼んでもらうようになったんです。その縁から公民館に出向いて高齢者向けの健康教育活動にも取り組むようになりました。
学生時代の地域活動と、ナイジェリアやパプアニューギニアで現地の方と接するのは、本質的には何も変わらないと思います。
―大学卒業後、すぐに初期研修を受けずに日本医療政策機構(HGPI)に入職されています。なぜですか?
まず医学部5年生の時にHGPIが主催するグローバルヘルス教育プログラムに参加し、フィリピンでフィールドワークを経験しました。そこで将来の上司たちと出会っています。
同じころ実習が始まりましたがどの診療科もピンと来なくて、やはりグローバルヘルス分野に近いことをやりたいと思っていたんです。多少の悩みはあったものの、マッチングを受けないことを決めました。当時トライアスロンにハマっていて、不安を振り払うかのように練習に打ち込んでいましたね(笑)。
卒業後の行き先が全く決まっていなかったので、国家試験が終わり卒業間近になってから、とりあえず知っている方々へ挨拶回りをしていました。それでHGPIにも行ったら、ちょうど業務委託案件で海外調査の必要があり、英語が話せて多少医学の知識もある人を探していて――書記担当の学生インターンのような形で雇ってもらったのがスタートでした。
本当に運良く好機に恵まれたと思いますし、地方の学生だったので一気に世界が広がった感覚があり、HGPIでの1年はとても楽しく、ありがたい経験をさせてもらいました。卒後2年目から、都内の病院で初期研修を始めました。
―初期研修を受けようと思ったのはなぜですか?
日本医療政策機構での仕事の一環で、パラオの医療支援に参加した際、医学部は出ていますが臨床経験が全くなかったことから、主に通訳業務に従事していました。この経験を経て、やはりせっかく医学部を卒業したのだから、2年間の初期臨床研修を受けておいた方が将来の選択肢が広がるかもしれないと考えたのです。
◆ナイジェリアで「公衆衛生に貢献する覚悟ができた」
―初期研修修了後、どのような経緯でナイジェリアに派遣されることになったのですか?
2019年5月から、アメリカの疾病対策予防センター(CDC)とWHO、UNICEFが20年近く運営しているポリオ根絶事業支援プログラム(STOP)に参画し、ナイジェリアに派遣されました。もともと日本人は参加していなかったのですが、ちょうど私の初期研修2年目の終わりに、初めて日本人の募集が始まったのです。
初期研修修了後は公衆衛生大学院に行こうかと思って準備を進めていました。でも可能なら実務がしたいと思っていたので、何かないかなと思っていたらSTOPの話が舞い込んできて、応募しました。1年遅れで初期研修を受けていたためSTOPに参画でき、本当にタイミングが良かったです。
―ナイジェリアではどのような経験をされたのですか?
ちょうど私がナイジェリアに派遣されたのは、ナイジェリアがポリオ排除(野生株ポリオがない状態)の認定を受ける直前の時期。ナイジェリア北西部の州に駐在し、Googleマップでは真っ白になるような、サハラ砂漠付近の国境沿いの僻地を車で走り回り、ワクチンの供給状況や症例報告を監視するサーベイランスを行っていました。時空・空間を超えてポリオウイルスを根絶するという公衆衛生活動の一端を垣間見て、そのロマンに魅了されました。
その約半年後から、新型コロナウイルスが流行。水際対策としてナイジェリアは鎖国状態となり、私もWHOの一員として現地に残りコロナ対応を手伝うことに。ここで公衆衛生に貢献していく覚悟ができました。
◆公衆衛生の基盤づくりに携わり続ける
―その後は、どのような地域で活動されてきたのですか?
2020年7月の特別便でナイジェリアを発ち、STOPの任期が2年間だったので、残りの期間はフィリピン・マニラのWHO西太平洋地域事務局に所属していました。主に西太平洋地域の国々における予防接種プログラムの支援を行っていました。
特に2021年初めは、WHOなど国際機関が途上国用のコロナワクチンを共同購入し配備していたので、各国と連携を取ってワクチン受け入れ体制の進捗具合をみながら配備を進めていました。実際に接種が始まってからは、接種データの収集や有害事象のモニタリング、WHO本部との情報共有を担当しました。
この時の上司がWHOで20年以上のキャリアがある高島義裕先生で、たくさんの実務経験を積ませてもらいながら指導医のように指導していただきました。
2022年7月にはWHOのパプアニューギニア国事務所に赴任。現在までVaccine Preventable Diseases(VPD)のサーベイランスやリスク評価、予防接種データ解析などを、現地の保健省をサポートする立場で関わっています。
―今後のキャリアパスはどのように考えているのですか?
私はSTOP参画が好機となり、今まで予防接種・感染症対策事業に関わってきましたが、自分のやりたいことと結果的にマッチしていたのだと思います。引き続き公衆衛生医師として感染症対策の軸を持ちながら、ワクチンやサーベイランス事業のように、中長期的に機能する公衆衛生や医療保健の基盤づくり、そのシステム強化に世界各地で携わりたいと考えています。
また、いくつかの途上国で予防接種事業に携わってきて、必要な医療や保健サービスがまんべんなく届くようにするためには、各国内の組織自体の基盤強化も必要であると感じています。国や地域の実情に合わせて優先課題を選定し、効果的に医療保健サービスを届けられる組織の基盤づくりにも貢献してけたらと思っています。
―最後に後輩へのメッセージをお願いします。
公衆衛生やグローバルヘルスの分野で活躍したい方々には、まずはさまざまなプログラムやインターンシップで現場を体験することをおすすめします。「公衆衛生が専門です」と言うのは「臨床医学が専門です」と言っているようなもの。公衆衛生も臨床医学同様に幅が広く、目標は同じでも関わる機関によって役割が全く異なります。どのような立場からどのような分野に携わりたいのか、すぐには明確にできないかもしれませんが、実際に現場に足を運び、多角的に見聞を広げながら、徐々に絞り込んでいくと良いと思います。
また、キャリアを考える際は柔軟な姿勢を持ち続けることも大事です。計画性は大切ですが、計画通りに行かないことも多いものです。ですから、ビビっと来たらまずは挑戦してみる、少し違うかもと思ってもやってみる。計画しつつもそんな柔軟性があると、可能性が広がっていくと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年5月29日