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大災害に備え目の前の課題に取り組み続ける

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医師10年目の鷺坂彰吾先生は、日本赤十字医療センターで救急医として活動しながら国内医療救護部を兼務し、災害時のマネジメントや災害医療に取り組んでいます。学生時代から災害医療への分野を目指し、自身の得意とする情報システムの知識を活用しながら、その道を突き進んできました。「災害医療は日々の地道な準備が重要。」と話す鷺坂先生に、これまでのキャリアの道のりと、取り組みについて詳しく伺いました。

◆災害に備え、日々地道な準備をする

現在の取り組みを教えてください。

日本赤十字社医療センターに所属し、救命センターで救急医として三次救急に従事しつつ、国内医療救護部を兼務し、災害医療で活躍する日本赤十字社の救護班やDMATなどをマネジメントをしています。さらに院内の災害対策や外部での防災訓練、救護班の派遣要請への対応もしていて、地域とのつながりづくりや災害対策の策定に携わっています。具体的には、災害発生時により早く救護班を派遣するにはどうすればいいか、どのように人員や物資を確保するのか、担当者が欠員した場合にはどう対処するのかといったオペレーションを作成しています。

災害発生時、被災地での医療の継続はとても重要なことです。しかし意外にも医師免許が必要な医療行為を行うシーンは限られているかもしれません。実際の災害現場で医療システムが崩壊してしまった場合には、まずは壊れてしまった仕組みを整え、全国から集まってきている支援チームと連携をとり、ロジスティクスを整えることが必要です。被災地に迷惑がかからないよう、食事やトイレなど自己完結型の支援活動をすることで、初めて被災者にとって本当に必要な支援を行うことができるのです。

災害発生時に備えた準備をしているのですね。その中で課題に感じるのは、どのようなことでしょうか?

病院は診療報酬の収入で成り立っていますが、災害や防災に関する業務は直接的な収益を生み出すことがほとんどないため、持続的な運営には補助金や交付金が不可欠です。しかし、その確保には多くの手続きが必要であり、十分な資金を確保することが課題となっています。

もし仮に首都直下型地震の対策に1億円の予算をかけたとしたら、何万人の命を救い、その何倍もの後遺症を防ぎ、それによって医療費を何十億円と削減できる可能性もあるはずです。しかし災害がいつ起こるかは誰にも予測できず、その意義や成果を事前に証明できません。コストパフォーマンスを数字として表すことは不可能に近く、そこに難しさを感じています。

また、日常の業務には、資機材の調達管理や人材育成、災害時の環境整備など、多にわたる業務がまれます。書類作成も重要な業務の一部ではありますが、それだけではなく、現場での調整や訓練の実、関機関との連携など、日々動きることがめられる仕事です。災害医療と聞くと劇的な救命活動をイメージするかもしれませんが、実際には、こうした事前の地道な準備こそが災害対応の要となっています。幸い、私自身は情報システムの構築や書類の作成にあまり苦手意識はないので、地道な作業ですが、着々と仕組みが出来上がっていくことに達成感を感じています。コロナ禍では、CBRNE災害(バイオテロ等)を想定して備えていたほぼ全ての物資が実際に現場で活用されました。そのようなとき、取り組んできてよかったと実感でき、大きなモチベーションにつながっています。

◆災害発生時に本当に必要なこと

なぜ災害医療の道を目指したのですか?

一つのきっかけとなったのは、中学生の時に被災した福岡県西方沖地震です。地震発生時、木造住宅が半壊するなど多くの被害が出る中、私の家は家具の転倒防止策など普段から防災対策をしていたおかげで、ほぼ無傷だったんです。この経験から、事前に備えることの重要性を強く感じ、災害対策や救命救急医療の分野に興味を持つようになりました。

情報システムにも精通し、学生時代からシステムの構築に携わっていたそうですね。

学生時代からエンジニアになることも選択肢に入るほど情報技術に興味があって、ベースとなる知識は身につけていました。大学の夏休みなどの長期休みには、救急・災害医学講座の先生へお願いして救命救急センターに泊まり込みで現場を見せていただいていました。そのうちに現場の先生方から今必要とされているニーズや課題についてのお話を聞かせていただくようになり、こういった場合にはこのようなシステムを使ったらどうだろうと頭の中で考えるようになったんです。当時はiPadが普及し始めたばかりのタイミングでしたが、iPadを術野に持ち込み、骨盤の3Dモデルを作って手術中に活用できる試みも行いました。

また、東日本大震災発生時、日本プライマリ・ケア連合学会がfacebooktwitter(現X)で支援プロジェクト「PCATPrimary Care for All” Team)」の協力者を募集していることを知り、都内にいた私はすぐに都内にある学会事務局に駆けつけました。数時間後には近くの家電量販店へルーターなどの機材を買いに走り、インターネットを活用した情報共通のためのツールやシステム作りに協力していましたね。

—PCATでは、どのような学びがありましたか?

三次救急は、一次救急、二次救急と比べ医師の数も少なくピラミッドの頂点にいるかのように見えます。しかしそれは、一次救急、二次救急で、数多くの患者さんの症状を判断し、重症な患者さんだけをつなげてくれているからです。最も大変なことを担っているのは、プライマリ・ケア領域でもある一次救急を担っている先生方だと実感しました。

さらに、災害時は医療の支援ばかりが注目されてしまい、介護や福祉になかなか支援が行き届かないということもあります。しかし、現地の被災者の方にとっては普段の生活の延長線上にあり、本来は医療だけで完結するのではなく、介護や福祉も連携して対応しないといけないのです。平時から介護や福祉ともつながりを持ち、幅広い視点を持つプライマリ・ケア領域は災害時の支援と親和性が高く、災害時には必要であることを学びました。災害医療の道を志していたものの、学生時代にこのような視点を学べたことは、貴重な糧になっています。

大学卒業後のキャリアについて教えてください。

初期研修は東京都立多摩総合医療センターを選びました。災害医療や救急医療を志している知り合いが同センターの出身ということもありましたが、それ以上に、プログラムに偏りがなく、初期研修修了後にはどの分野を選んでも最低限必要な対応ができるよう、徹底したプライマリ・ケアの教育を行なっていることに魅力を感じたからです。初期研修修了後からは、日赤医療センターに在籍しています。

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医師プロフィール

鷺坂 彰吾 救急医

福岡県出身。2015年に昭和大学医学部を卒業し、東京都立多摩総合医療センターで初期研修修了。2017年から日本赤十字社医療センターで救急科後期研修を修了し、同院で救命救急センターと国内医療救護部を兼務。日本赤十字社災害医療コーディネーター、東京DMAT隊員・日本DMAT隊員(統括DMAT登録者)。

鷺坂 彰吾
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