宮脇敦士先生は、医療政策立案でエビデンスに基づいたデータが不十分なことに課題を感じ、データを作る側になろうと公衆衛生学の研究に取り組んできました。初期研修修了後に大学院へと進学し、研究の道を邁進してきた宮脇先生。一見、まっすぐな道のりに見えますが「迷いながら進んできた」と話します。キャリアを形成する時に意識していることとは?また研究内容や、宮脇先生の考える医療業界の課題についても詳しく伺いました。
◆良い医療を提供できない理由を分析する
—現在の取り組みを教えてください。
私は公衆衛生学の中でも、医療政策やヘルスサービスリサーチの分野を研究しています。医療政策とは、医療の構造や制度が人々の健康に与える影響を分析し、それを改善することで社会全体の健康を向上させることを目的とした学問です。ヘルスサービスリサーチも医療政策と似ている分野ではありますが、医療が適切に提供され、必要な人に届いているかに焦点を当てています。
日々新しい医療は生まれていますが、保険適用がされていなかったり、提供できる病院が限られていたり、医療的な知識が不十分であったりとさまざまな理由から医療とのギャップが生まれています。こうしたギャップを減らし、集団の健康を良くすることを目指しています。
—研究テーマについて、詳しく教えていただけますか?
現在、主に取り組んでいるテーマの1つは医師のパフォーマンスについてです。日本では、全ての医師が同じ水準の医療を提供することを前提に保険制度などが設計されています。しかし現実には、エビデンスに基づいた良い医療を提供できていないケースも。では、どのような医師が良い医療を提供できているのか、できていないのか。その背景には何があるのかを考えることが重要だと考えています。
例えば、忙しさから十分に考える時間が取れず、前例通りの処方をしてしまうこともあるでしょう。これは必ずしも医師個人の責任だけではなく、医師の教育や職場環境の問題、思い込みや暗黙のバイアスが働いている可能性もあるのです。さまざまな理由によって良い医療が提供できていない場合があり、それを理解するための研究を進めています。
また、医療の無駄についての研究も進めています。公衆衛生の原則は、良い医療や政策を通じて集団の健康を向上させることですが、それにはコストがかかります。しかし社会として使える資金は有限なので、あまり価値を生み出していない医療サービスを減らし、エビデンスがあって効果の高い医療や、集団の健康を改善させる公衆衛生政策などに予算を振り分けることが必要です。
そこで私は「価値のない医療とは何か」に問いを置き、特に、低価値医療(Low Value Care=LVC)と言われる、患者さんにほとんどベネフィットを与えない医療についての研究に取り組んでいます。
―宮脇先生の視点から、日本の医療における課題とはどのように考えていますか?
さまざまな課題がありますが、まず1つは医療費の問題ではないでしょうか。これは、多くの人が共通して認識している重要な課題だと思います。医療費を削減し、増加を抑える必要がありますが、国民の健康状態を悪化させてはいけません。これまで政府が行なってきた対策は、患者さんの自己負担額の引き上げ、保険料の増額、給付の削減など、収支を調整する財政的な政策が中心でした。しかし今、そうした対策だけではもはや限界にきていると感じています。
今後、高齢者の自己負担割合はさらに上がり、所得にかかわらず全員3割負担になることも考えられます。また、保険料も既に限界に近い水準まで引き上げられています。一方で医療の償還は大きく抑えられ、企業の開発に影響が出るほどです。さらに、人件費も上がっているため病院に対する支払いも簡単には抑えることができません。まさに、行き詰まりを迎えていると感じています。
そのため、今後は財政政策だけではなく、医療の構造そのものを変える必要があると考えています。しかし医療の構造を変えた前例はなく、世界中の国々が手探りで試行錯誤しているところです。私が研究しているLVCも、こうした医療構造の問題に切り込む取り組みの1つ。しかしLVCを全て無くしたとしても、医療費の問題を全て解決できるわけではありません。医療提供の体制そのものを見直し、人手を介さずにできる仕組みを増やすなど、より省力化できるように構造的な部分の議論を進めなければならないと考えています。
◆データがないなら自分が作る側になる
―いつ頃から医療政策や公衆衛生の研究に興味を持ち始めたのですか?
大学で学ぶ中で、特定の臓器に特化するよりもジェネラルに人の健康を見たいという気持ちが芽生え、自然と患者さんの社会的背景や制度に関わる公衆衛生に興味を持つようになりました。大学3年生になる頃には医療政策への関心が高まり、医系技官というキャリアを意識するように。そして自分で勉強したり、厚生労働省のセミナーに参加したりしていました。ちょうどその頃は、医療政策を作る際にエビデンスに基づく政策立案(EBPM)の考え方が注目され始めた時期です。ところが実際には、必要なデータが十分に揃っていないという状況が課題としてありました。それならば自分がエビデンスを作る側になろうと思ったんです。
―初期研修修了後、東京大学大学博士課程へと進学しています。後期研修を受けず大学院へと進学することに迷いはなかったのですか?
正直なところ、迷いはありました。「後期研修を受けない=今後臨床医としてのキャリアを選ぶことは難しい」と感じていたからです。実際、初期研修修了後すぐは大学院に通いながら、初期研修先の病院で後期研修も並行して受けていました。当時は内科認定医制度があり、初期研修2年に加えて1年の研修を受けることで内科認定医を取得できたので、キャリアに保険をかけるという意味でも内科認定医を取得しようと考えたのです。
しかし大学院で半年ほど研究に携わり、自分には研究が向いていると実感するようになりました。医学部では卒業研究がないので、これまでは研究とは何か、研究が自分に向いているのかも分かりませんでした。しかし学会発表に向けてデータをまとめるなどするうちに、研究の作業は自分に合っていると分かったんです。また後期研修では当直を1人で担当するなど経験を積み、一通りのプライマリ・ケアができるという自信もつきました。さらに、ちょうどその時期に新しい家族が増えることが分かりました。研究と病院勤務、そして子育てを同時にこなすのは、どれかが中途半端になると判断し、後期研修を辞める決断をしました。
しかし臨床から完全に離れたわけではなく、非常勤として週に一度、在宅医療クリニックでの勤務を続けています。臨床の現場で働くことは、研究にも非常に役立っていますね。LVCがなぜ提供され続けるのか、その実態を肌で感じることができますし、介護者の健康についても、実体験を通じた知見が研究につながっています。
◆次の研究者を育てることが最重要使命
―今後、どのような活動に取り組んでいこうとお考えですか?
公衆衛生を研究する者として、いかに集団の健康を良くしていけるかを常に考えています。使える資源は有限であり、資源をどう配分していくか考えなければいけません。そのため、データに基づいた議論をすることが必要でしょう。
また日本は民主主義国家であり、医療政策もまた権威のある人の一存で決まるのではなく、データに基づいた正確な情報を提供することによって、最終的には国民に判断してもらうべきだと考えています。しかし現在の国会などでは、十分なデータがないまま議論が進んでしまうことや、エビデンスのないデータが活用されていることも。データが不足している分野や、データがあっても活用しきれていない場面が多く存在するのです。そうした状況を改善するためにも、定量的なデータや公平な情報に基づいて医療政策の立案に資する研究をしたいと考えています。
さらに、大学に所属している研究者として最も重要な役割は、次世代の研究者を育成することだと思っています。そもそも日本ではデータに基づいた議論を行う文化が十分に根付いておらず、データを活用して議論することが軽視されていると感じています。学生たちには、データの重要性やデータに基づいた議論の重要性を伝えていきたいですね。さらに、大学院生やポスドクの方に来てもらい、医療政策分野での研究トレーニングをしたいと考えています。
この分野は社会的な需要があるにもかかわらず、研究者の数はまだ少ない状況です。そこで、若い世代がこの分野に興味を持ち積極的に参加してもらうためにはどうすればよいのかを考えたり、先ほどお話ししたような日本が抱える課題の解決に興味を持つ人と仕事を共にしたりすることで、次世代の研究者を輩出していくことが私の役目だと感じています。
―後進へのメッセージをお願いします。
私のキャリアを見ると、スムーズに歩んできたように見えるかもしれません。確かに、若干のズレはあるものの、自分の興味関心が大きく変わることはありませんでした。しかし実際には迷いながら、その時々でセーフティーネットを張りながら進んできました。
皆さんには、ぜひ自分の興味関心に向かって突き進んでほしいと思います。医師という職業は、比較的キャリアの軌道修正がしやすい職業だと感じています。もし不安を感じることがあるなら、私のようにセーフティーネットを確保しながらキャリアを形成していくこともできます。
私の取り組んでいる医療政策はもちろん、ビジネスや社会貢献など、さまざまな分野で医療を支える人が増えていくことで、日本の医療が抱える課題も少しずつ解決に向かうのではないかと思います。それぞれが自分の興味を追求することで、医療業界全体がより楽しいものになる。その結果、次の世代もこの業界に入ってくるという好循環が生まれ、閉塞感に苛まれない活気ある魅力的な業界になっていくのではないでしょうか。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2025年4月10日