「地域包括ケアって結局、何?」に対する答えとは?
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今回のテーマは「地域包括ケアって結局、何?」
介護や福祉、医療に携わる誰しもが、一度は口にしたことがあるようなタイトルでした。当日の参加者は、これまで20代30代の若い方が多かったのですが、今回は幅広い世代の方が参加していました。参加人数も90名超と、第1弾、第2弾の1.5倍で、関心度の高さがうかがえました。
講演をされたのは、堀田聰子さん。堀田さんは東京大学社会科学研究所特任准教授、ユトレヒト大学客員教授等を経て2015年4月より国際医療福祉大学大学院教授を務められています。2010年よりオランダの在宅ケア組織であるBuurtzorg(ビュートゾルフ) Innovator、2015年より地域包括ケアステーション実証開発プロジェクトの代表世話人や、地域包括ケア研究会等の委員もされている、まさに「地域包括ケア」研究のリーダーです。
堀田さんの講演は次の質問から始まりました。
「あなたは最期の時を、どこで迎えたいですか?」
答えの選択肢としては、1)自宅、2)自宅のようなところ、3)介護施設、4)病院の4つでした。参加者の多くは介護に関わる方でしたので、最期の場を考える高齢者に接する機会が多いかと思いますが、「自分の」最期の場を考えたことがある方は多くはなかったでしょう。一見、地域包括ケアと直接関係がなさそうに思える質問ですが、この質問の答えを考えることこそ、今回のテーマ「地域包括ケアって結局、何?」に対する答えだったのです。
「それぞれの地域ごとに持続可能なスタイルで、そこそこいい人生だったと住民が思えるスタイルは何かを対話し続けることが、地域包括ケアなのです」
つまり、「地域包括ケアはこうです」という答えはないのです。いくら制度やサービス面を議論しても、それは地域包括ケアの一側面でしかなく、十分ではありません。ケアを受ける人が主体的に「自分は最期こういう迎え方をしたいから、こういうサービスを受けたい」と考え、地域住民がどのようなサービスを実現していくのが良いかを話し合っていく必要があるということです。
日本の高齢化が進み、健康の価値観が変化しています。以前は「病気でない=健康」でしたが、時代は変わり老化によるさまざまな症状が現れるようになりました。そのため、この老化によって現れる症状とうまく付き合いながら最期の時を迎えるという体制が必要です。それに伴って健康の概念も「病気でない=健康」から、「病気を完治させなくともQOLをいかに保つか」という側面も含めたものに移り変わっています。
QOLが保たれるためには、地域ごとに、地域住民がいかにQOLを高めて最期を迎えてもらうかを考えていかなければなりません。もちろん、さまざまな研究や議論が持たれていますが、受ける側も一緒に、主体的に関わる必要があると堀田さんはおっしゃっていました。
現在、地域包括ケアに内在するさまざまなサービスを行っている参加者世代が、地域包括ケアを将来受ける側になるという自覚を持って、主体的に考え続ける必要があることを実感できる講演でした。
「PRESENT」は、ただ講演を聞くスタイルではありません。講演を聞き、最終的には「明日からどういう行動を起こしたいか」考えて周囲にいる参加者と共有する時間が必ず設けられています。
参加者一人ひとりが「それぞれ地域で持続可能な地域包括ケア」を実現するために明日からやっていきたいことを共有しました。「自分の今住んでいる地域に根付く一歩として、まずは隣近所の人と挨拶をする」「友人と死生観の話、『どのように生きて、どのように死んでいきたい?』と話をしてみる」という意見がありました。
日本の地域包括ケアを成立させるためには、施す側として「何ができるか?」を考えるだけでなく、今サービスを提供している人たち自身が「自分は将来、どうしてほしいか?」を考え続けることが必要だということが、伝わってきました。
(取材 / 北森 悦)
医師プロフィール
田中 公孝 家庭医
2009年滋賀医科大学医学部卒業。2011年滋賀医科大学医学部附属病院にて初期臨床研修修了。2015年医療福祉生協連家庭医療学開発センター (CFMD)の家庭医療後期研修修了後、引き続き家庭医として診療に従事。医療介護業界のソーシャルデザインを目指し、「HEISEI KAIGO LEARDERS」運営メンバーに参加。イベント企画、ファシリテーターとして活躍中。