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総合診療を続け「山形県専門医」になる

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医師6年目の深瀬龍先生は、山形県で総合診療に取り組んでいます。キャリア選択の過程で、悩み苦しみながら突き進んできた深瀬先生。どのように乗り越え、何を目標に山形県で活動を続けているのでしょうか。

◆小児科志望から一転、総合診療科に

―総合診療を志したのはいつですか。

私が明確に医師を目指し始めたのは、中学2年生の時でした。はとこが生まれて命のすごさを実感し、それ以来、ずっと小児科医になりたいと思っていたんです。そして、自治医科大学に進学。医学生になってからも小児科志望でした。この思いが変わったのは、研修医2年目の時でした。

出身地である山形県の山形県立中央病院で初期研修を受けていましたが、ローテーションする中で、「専門を絞ることによって、専門外の疾患に対して何もできなくなるのは、いいのだろうか?」と疑問が湧いてくるようになったのです。小児科に進んだら小児しか診られなくなる、さらには、小児科の中でも臓器別に専門分化していくことを考えると、自分が医師としてできることが非常に限定的になると思いました。自分は本当にそのような医師になりたいのかと考えるようになったのです。

そして浮かんだのが、総合診療でした。医学生時代に総合診療科がどのような診療科か聞いたことを思い出し、「もしかしたら総合診療が、自分が医師として一番やりたいこと、生き方なのではないか」と思うようになりました。

そうは言っても、小児科医になることも完全には諦めきれませんでした。総合診療医を目指すのか小児科医を目指すのか、3年目以降の進路はかなり悩みましたね。最終的には、山形県の人の役にも立つので山間部の病院で勤務しながらしっかり悩み、もし本当に総合診療専門医が取りたいと思ったら、改めて後期研修を受けようと思い、最上町立最上病院という山形県北東部の山間部の病院に赴任しました。これが、自分にとって大きなターニングポイントになりました。

―最上病院での経験がターニングポイントに?

そうです。町立最上病院がある山形県最上町は、宮城県との県境の町です。人口は約8500人で高齢化率は30%を超えています。医療資源も少なく、医療機関は開業医のクリニックが1施設と60床の最上病院のみです。内科医として赴任しましたが、高齢者の転倒による骨折や挿管管理など、何でも診療していて、小児科外来や健診も担当していました。

最上病院で気づいたことは、総合診療は思った以上に自由に何でもできるということでした。もちろんそれがストレスになる方もいると思いますが、私にとってはとてもやりがいを感じられました。最上病院に2年間勤務した後、隣の新庄市の山形県立新庄病院に赴任。新庄病院でも同様に何でも診る診療をしていました。

最上病院で「総合診療が自分のやりたい医療だ」と明確にすることができ、新庄病院で総合診療医としてのアイデンティティを確立し、総合診療医としてキャリアを積んでいく覚悟ができました。

ただ、総合診療医としてのアイデンティティが確立するまでは、診療にやりがいは感じていたものの、キャリアにはかなり悩み、苦しみました。

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医師プロフィール

深瀬 龍 

山形県出身。2013年、自治医科大学医学部を卒業後、山形県立中央病院にて初期研修修了。医師3年目からは、最上町立最上病院、山形県立新庄病院にて診療を行う。2018年4月からは山形県立中央病院緩和医療科にて研修中。

深瀬 龍
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