小児科臨床医としてのキャリアを歩もうとしていた井上道雄先生。あることがきっかけで、医師9年目から、本格的な研究の道に進むことになりました。現在取り組んでいることや、そこに至る経緯とは――?
◆筋病理と遺伝性筋疾患の研究
―現在、どのようなことに取り組まれているのですか?
現在は、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)で、筋病理診断と筋疾患の研究をしています。筋病理診断をしている施設は、大学病院でもやっていないことがあるほど限られていて、筋病理の検体は併設する病院以外に、全国のおそらく8割以上の筋生検がここに集まってきます。当施設では、年間1000件以上の筋病理診断を行っています。
病理診断の際、場合によっては遺伝子解析もしています。遺伝性の筋疾患は遺伝子変異によって生じるので、遺伝性筋疾患の可能性があると判断したときに遺伝子を調べることで、病気の診断や新たな疾患の発見につなげることができるからです。
遺伝子解析に関連しているのですが、研究では遺伝性筋疾患の原因となる可能性がある遺伝子の変化がどのようにして病気を起こすかを調べています。遺伝子解析技術の進歩に伴って、飛躍的に遺伝性筋疾患の研究は進むようになってきたのですが、まだ原因になっている遺伝子変異が見つかっていない遺伝性筋疾患が多数あります。NCNPには筋生検の検体が多数集まるので、症状や病理が似ている患者さんたちの遺伝学的解析結果を見比べて、新たな原因遺伝子を見つける仕事を進めています。
具体的には遺伝学的解析データを処理し、原因である可能性がある遺伝子の候補を絞ります。そして、その遺伝子を細胞に導入して変化を観察したり、同じ遺伝子の変化を持ったモデルマウスで、実際に病理診断した人と同じ症状や病理所見が出るのかを観察したりしています。
―なぜ今の取り組みに進もうと思ったのですか?
小児神経科レジデントとしてNCNP病院に来て、希少疾患の患者さんがこんなにも多いのかと衝撃を受けたことがきっかけです。そして、珍しい病気ゆえに診てもらえる病院が限られ、いくつもの病院で受診を断られ、やっとの思いでNCNP病院にたどり着いたり、周囲にも同じような病気の人がいなくてコミュニティを持ちにくく、孤独になりやすかったりすることを知りました。
それまでは、アレルギーなど数多くの方が困っている疾患を診られる医師になろうと考えていましたが、NCNP病院に来て考えがガラリと変わりました。希少疾患や治りにくい病気の人を診る医師もまた重要であることに気づき、そういう人に寄り添って診ていける医師になろうと思ったのです。
もう1つの理由が、筋病理の面白さ。筋病理は、他の臓器とは少しことなり、伝統的に臨床医によって行われてきました。患者さんを実際に診て、どのような症状が出ているのかを自分の目で見て、病理学的に診断してどのような遺伝子変異があるのかを知る。その全てに直接関われることが面白いと感じました。
◆30歳を過ぎて1から本格的な研究へ
―そもそも、なぜ国立精神・神経医療研究センターに来たのですか?
私は大学を卒業する頃には小児科医を志していて、初期研修修了後、姫路赤十字病院で小児科後期研修を受けていました。当時、神経疾患に関わろうとも、ましてや本格的に研究の道に進もうとも全く思っていませんでした。
自分も小児喘息があった経験から、漠然とアレルギー系を専門にしようかと考えていた時に、小児神経を専門とする上司から「患者さんの長い話を聞くのが苦にならないのは、小児神経科に向いている」とおだてられ――悪い気はしなかったので「神経もいいかも」と考えるようになったのです。
実際、分からないことは多いですし、領域の幅が広いので勉強が大変ですが、逆に勉強しがいがあると思いました。それでどうせやるなら、小児神経科のメッカで全国からレジデントが集まってくる国立精神・神経医療研究センターで学びたいと思ってNCNP病院のレジデントになりました。ただ、レジデントになった時点でも、研究を本格的にやるとは思っていなかったです。
―ただ、病院で先程お話いただいた理由から、研究への道が開けた。
その通りです。とはいえ、研究を一生ものとして続けていくかどうかは、やはりかなり悩みましたね。
約10年近く臨床医として培ってきた知識や経験、技術が通用しません。同時に、今までやってこなかった実験や、研究のための資金獲得など事務レベルのことまで、全く新しい世界で、新しい経験を1から積み重ねていかなければいけません。そして、30歳を過ぎて研究を1から本格的に始めるのは、かなり遅い出発です。
周りを見渡せば、それこそ学生の頃から研究を始めている研究者や、ものすごく優秀でちょっと頑張れば追いつけるといったレベルではない研究者が大勢いました。自分のような平凡な能力では、この研究の世界でやっていくのは難しいのかなと感じていました。
◆希少疾患で孤立しがちな患者さんのサポートをしたい
―それでも進もうと決意できたのは?
孤立しがちな患者さんやその周りの人たちを、自分の能力でサポートしたいという思いが強かったからです。治らない病気も多いですが、そのような人たちと長く付き合っていくことは、もともと漠然と抱いていた医師像に近いというのも決意できたこと。
もう1つは、大人になってからでも夢は叶うことを、自分で示したいという思いからです。困難な道とは思いますが、自分が挑戦することによって、これから研究に進もうかと考えている人や自分の周りの人たちに何かを与えられると信じています。
―今後の展望はどのように思い描いているのですか?
今はまだ、自分で研究を計画するところまで届いていないので、実験の手法や科学者としての物の見方を勉強させてもらっている段階です。なので、まずは自分で研究の計画を考え自分で進められるスキルを身に着けることが目標です。
そして、将来的にはアメリカへの留学も視野に入れています。筋疾患は患者数が少なく治療薬もほとんど開発されていません。どうしても患者数が少ないために治療法や治療薬開発のコスト効率が悪くなってしまうので、なかなか研究に資金が割かれないのです。そんな中でもアメリカでは比較的研究が進んでいるので、そこで学んだことを日本の患者さんに還元できたらと思っています。
(インタビュー・文/北森 悦)