臨床医として途上国支援に携わろうと考えていた坂元晴香先生。あることをきっかけに、政策面から途上国の最貧層の人たちを救いたいと気持ちに変化があり、いざ、国際保健に携わるべく選んだ先は厚生労働省。その後研究に従事しつつ、ビル&メリンダ・ゲイツ財団日本事務所コンサルタントとして国際保健に携わっています。そのようなキャリアを選んだ理由とは――?
◆政策面から途上国の貧困層を救いたい
―現在取り組んでいることを教えていただけますか?
今は東京大学大学院医学系研究科で国際保健政策学教室の研究に携わる傍ら、ビル&メリンダ・ゲイツ財団日本事務所でコンサルタントも担っています。
ゲイツ財団や欧米各国は、国際保健分野で多額の投資を行っています。一方、日本政府は、国際協力への投資といえばインフラで、国際保健への投資割合が少ないんです。ゲイツ財団としては、日本政府にも保健や教育分野にさらなる投資を行ってほしいと考えていて、政治家や日本国内の民間企業への働きかけを進めていました。
ところが当初、ゲイツ財団東京事務所には保健分野の専門家がいませんでした。そこで保健分野研究に従事している私をはじめ数名がコンサルタントとして入り、インフラ投資より保健分野への投資が高い費用対効果を期待できることや、保健分野のどういうところに投資をすることで欧米との差別化を図り、存在感を出せるかなどの資料作りをサポートしています。
―なぜそのような取り組みに加わったのですか?
私は政策を通して途上国の最貧層の人たちを救いたいと考えました。
もともと小学生の頃から国境なき医師団で働きたいと思って医師を目指しました。しかし帰国子女でもなければ海外へ行った経験もほとんどなく、大学2年生の時に公衆衛生の先生に頼んで、アジア圏の途上国で国際協力のボランティアをしている団体の活動を見学させてもらったんです。
アジア圏だと、途上国といっても高層ビルが立ち並ぶエリアもあり、富裕層もいます。富裕層が行く病院は高層で非常にきれいなものが多かったです。一方で、その横にはスラム街があり、ストリートチルドレンやホームレスが大勢いました。そのような人たちが行く病院は、病院と呼べないような設備や衛生環境で――。
日本でも格差が広がっていると言われていますが、途上国の格差は日本のそれよりも、はるかに広がっていると感じました。富裕層は日本の富裕層より豊かですし、貧困層は日本ではありえないくらい劣悪な環境に置かれています。その現状を見て、途上国の貧困層の人たちのために何かしたいと改めて考えるようになりました。
一方で考えたのが、現地に入る臨床医の存在も確かに大切ですが、もし自分が臨床医として途上国に行ったとしても、1日に診られる患者さんはせいぜい数十人程度。何年働くか分かりませんが、助けられる患者さんの数には限りがありますし、格差解消や最貧層の人たちを救えるかというと、あまりにも無力すぎると感じたのです。
臨床とは違ったアプローチができないかと考えた時に、制度や政策面からアプローチしたいと思ったのです。もちろん現場の臨床と政策は両輪だと思いますが、どちらがやりたいかと考えた時、政策のほうに興味が湧き、そちらの側面から途上国支援に関わるようになりました。
◆悩み決めた、厚労省入省
―坂元先生は医師4年目で厚生労働省に人事交流で入省したと伺いました。なぜ、そのようなキャリアを選ばれたのですか?
大学卒業後は、総合診療専門医を取ってから国際保健の道に進もうと考えていたので、5~6年は臨床で経験を積むつもりでした。ところが、医師3年目の時にたまたま厚労省職員の方から、来年度に国際課のポストが空くから人事交流で来ませんかという話を頂いたのです。それで行ってみようと思い入省しました。
―臨床を離れるのが当初の予定より早いですし、専門医も取得されていませんでしたが、4年目のタイミングで厚労省に入省することに対して悩みませんでしたか?
正直、タイミングとしては早いと思い、すごく悩みましたね。
そもそも国際保健の道に進みたくて厚労省に行く人が当時はあまりいませんでした。また人事交流は、所属する予定の課の上司との面接のみで入省が決まるので、厚労省の試験を受けて医系技官として入省するのとも少し違います。そのため、いただいた話を受けるかどうするか相談しようと思っても、相談相手がいなかったんです。
ただ、自分がまさに興味のある国際課への出向。都合よく出向の話が舞い込んでくることはめったにありません。今回のチャンスを無駄にしたら、次はもうないかもしれないと思いました。
それに当時、聖路加国際病院で臨床医として働いていましたが、ある意味まだたった3年の、キャリアと呼べるほどの臨床経験もありませんでした。臨床は診療科にもよりますが、キャッチアップは大変でも戻ろうと思えば2年間の人事交流後に戻れると思いました。
そのように考え、若さゆえの勢いもあり、厚労省に入ることを決めました。
―厚労省入省後は、どのようなキャリアを歩まれたのですか?
2年間は国際課、母子保健課に在籍したのち、米ハーバード公衆衛生大学院で公衆衛生学修士を取得しました。その後は夫の海外転勤について行ったので、数年間をイランで過ごしました。帰国後、再び厚労省国際課に戻り、現在に至ります。
◆場所、組織にこだわらず、途上国の健康に携わる
―今まで一度も、途上国をフィールドに活動はされていないのですか?
そうです。学生の頃には初期研修が終わったらWHOに行こう、途上国の現場に行こうなどと考えていましたし、キャリアプランを逆算して考えていた時期もありましたが、思っている通りにはいかないものですね。
よく「早いうちに現場に出たほうがいい」とアドバイスをくれる人もいると思いますし、状況が許せば挑戦したほうがいいと思いますが、人生のプライオリティとの兼ね合いもあります。私自身、今は小さな子どもがいますし、数年前には夫の海外転勤、親の介護などがあり、結果的にこのようなキャリアを歩むことになりました。現在でも、どこかの途上国に実際住んで国際保健に携わりたいという思いはありますが、今はそのタイミングではないのだと思っています。
しかしこれだけテクノロジーが発展しているので、日本にいながらにして途上国に関わる方法は多様にありますし、実際日本にいながら国際保健分野で活躍されている方は大勢いらっしゃるので、私も今は日本で自分にできることを全うし、日本で吸収できることは可能な限り吸収しようと思っています。
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
私は、どのような組織に所属するかにはあまりこだわっていません。というのも、所属している、あるいはしたいと思っている組織が10年後や15年後に存続しているかは分からないからです。
ゲイツ財団も、10年前には全然存在感がありませんでした。パソコンが世の中に普及したからこそ存在感を増すことになったので、もしかしたら新しいテクノロジーの普及で既存の組織の存在感が薄れ、新たな組織が出てくるかもしれません。だから、あまり先のことを考えたり、どこの組織で働くかを考えたりせず、2~3年先くらいまでの人生プランを考え、自分のスキルを活かせるところで、途上国の人の健康に関われる仕事を続けていきたいですね。
(インタビュー・文/北森 悦)