五十野(いその)博基先生は現在、茨城県内の病院に勤務しながら週末は、名古屋商科大学ビジネススクールで経営やイノベーションについて学んでいます。MBAを取得し、どんなことを実現したいのか――? 背景には後期研修時から感じていた課題感がありました。
◆病院を改革したい
―現在、取り組もうとしていることはどのようなことですか?
一言で言うと、病院の改革です。病院の組織や経営など、根幹から変えていきたいと考えています。そのために2018年から名古屋商科大学ビジネススクールで経営やイノベーションを学び、それを医療界に還元していこうとしています。
―そのように考えるようになった背景には、どのような課題感があったのですか?
最初は理想形があるわけではなかったですが、残業は当たり前で、医療者は皆あくせく頑張って働いているのに、上層部からは頑張りましょうと言われても、この状況で何をどう頑張ったらいいのかはっきりしないことにモヤモヤとした思いを抱いていました。
その後、まずは自分の目の前の業務改善から始めてみることに。例えば水戸協同病院ではチーフレジデント制を導入し、レジデントの学びと業務が円滑に進むようにマネジメントしました。また医師5〜7年目のときに、新たな業務改善プログラムTEAMS-BPの開発に筑波大学で携わりました。それを用いた臨床研究の一環で、水戸協同病院では医師8〜9年目にみっちり業務改善に取り組み、看護補助者業務の効率化による年間175時間分の業務削減やST上昇型心筋梗塞のDoor To Balloon time短縮を実現しました。それでも、次々と課題が見えてきて、正直ボトムアップで1つずつ解決しようとしても際限がないと思うようになったのです。
同時に、ボトムアップで改善するために、病院の経営者や管理部門の方の話をよく聞くようにしていました。しかし、よく聞いてみても「赤字だから黒字にするために、頑張りましょう」といった内容ばかり。
本来なら病院としてのビジョンがあり、それを達成するための目標があり、その目標を1つ1つ達成するために「こんなものを用意していこう」「現状のパーセンテージをここまで上げるために、こんなことをしていきましょう」と職員に示していかなければいけないと思います。ところが、そうやってビジョンを示していけるリーダーが医療界にはあまりいないと感じたのです。
ただそれは医師個人の問題ではなく、病院経営を学べる環境がないことが問題だと思っています。医学部入学後から一貫して医学を学び、臨床現場に出て患者さんを診ることに徹してきて、10〜15年程経ったら年功序列で部長になり、最後部長の中から選ばれて院長になる。この間、経営について学ぶ機会がないのに、年功序列でいきなりやらなければいけなくなってしまうのです。
このような現状を変えるために、まずは自分が経営学を学び、病院経営を変えていきたいと考えるようになりました。
◆総合内科・集中治療・家庭医療の専門医を取得
―これまでは、どのように医師としてのキャリアを歩んできたのか教えていただけますか?
筑波大学医学専門学群を卒業して大学病院の初期研修プログラムに入りましたが、どの診療科も魅力を感じた一方、どの診療科も一生続けていくほどの決め手がなく、全部できるような診療科はないのかと探していました。ちょうどその頃、水戸協同病院に徳田安春先生が赴任されてきて――「水戸協同病院総合診療科なら何かできるかもしれない」と直感的に思い、筑波大学附属病院総合診療グループで後期研修を受けることにして、医師3年目に水戸協同病院を回らせてもらうことになりました。
そのあたりから自分のできる範囲で課題の解決を進めていき、徐々に自分が課題と思っていることは周りの皆も同様に感じていること、変えようと行動すれば変えられるという感触をつかんでいきましたね。その後、ローテーションでいくつかの病院を回り、医師5年目に再び水戸協同病院に戻った際、チーフレジデント制度を作りました。
その後、医師6年目に集中治療、10年目に家庭医療の研修をさせていただき、並行して筑波大学大学院で業務改善をテーマに博士号を取得しました。ちょうど博士課程を終え、臨床でも総合内科、集中治療、家庭医療で専門医を取り一区切りついた2018年、冒頭にお話した課題を解決するため、プラスαのスキルを身につけるため、名古屋商科大学ビジネススクールに行くことを決めました。
◆目標は未定、ビジョンは明確
―ビジネススクールに通い始め、一番衝撃を受けたことはどのようなことですか?
私は起業家精神も培うBusiness Innovation Programに在籍しているのですが、そこで受けたデザイン思考と行動観察という2つの講義です。デザイン思考は、顧客(患者さん)の行動をつぶさに観察して共感し、行動の背景にはどのような潜在的ニーズがあるのか考え、解決すべき問題を定義する。そこから解決のアイデアを創造し、具体的なプロトタイプの作成とテストを繰り返して、イノベーションの実現につなげていく手法です。
私のベースは総合診療医なので、患者さんの全身を常に一通り診てきたつもりでしたし、common diseaseならばほぼ診られる自負はあります。そして急性期から退院後の生活まで診られます。ところが、デザイン思考を学んでいざ病院に戻ってみると、気になる点がいくつも――。
例えば、入院中の食事。ベッドの上に座って食べ、テーブルの高さが全然合っていないことがよくあります。特に高齢者にとっては、とても苦痛で疲れる行為だと思います。しかし、医療者にとってその光景は日常であり、違和感を覚えません。患者さんも病院のそれは当たり前のことだと思っているので、高さを合わせてあげると「そういえば食べにくかったわね、ありがとう」と笑ってくれる。しかし、そもそもベッドの上で食事をすること自体が日常的にやらないことなので、いずれは入院食事そのものをデザインし直したいと思うようになりました。
あとは、外来の待合室。次の患者さんの受付番号を待合室頭上の液晶モニタに表示しているのに、ちっとも診察室に入ってこない。なぜかと思い、診察室を数時間観察していると、座ったまま顔を左右に傾けたり、席を立ってモニタの下まで歩いていく姿がありました。自分も待合室で座ってみると、なんとモニタ画面に蛍光灯の光や外の景色が反射して、表示が全く見えないのです。患者さんは皆知りながら回避行動をとっていて、病院スタッフは誰もそのことに気づいていない。色々実験して、下に35度、横に40度画面を振ると座ったまま画面が見えやすくなることが分かりました。実験中は患者に感心されながらも笑われていましたが。
このように、自分がいかに「診療の時間」だけしか患者さんを見てこなかったのかに気付かされました。経営について学びに行ったはずなのに、医師としての視点の甘さを痛感しましたね。
―まもなくビジネススクールの経営学修士課程修了予定の五十野先生。今後のキャリアパスはどのように考えていますか?
今はまだあいまいですが、最終的なビジョンは明確で、患者さんや医療者、地域住民も笑顔にできる病院にしていくことです。それを実現するために、どのような目標を達成していけばいいかは、まだ全然分かりません。
まずは1つの診療科などを束ねていきながら、ビジョンを実現するために必要なピースや目標設定を模索し、実践を通して試行錯誤していけたらと思っています。
私はキャリアのどのタイミングを切り取っても、数年前想像もしていなかった場にいます。それに集中治療専門医と家庭医療専門医の両方を持っているなんて、かなり尖ったキャリアだと思います。自分の直感で選択し、たまたまそれを好きなようにやらせてくれる人たちと出会えたからこそ、今の私があると思っています。そのため、今後も直感に従って選択していきたいですね。
(インタビュー・文/北森 悦)