OECDで医療の質の改善をはかる
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◆OECD公衆衛生ユニットでの活動
―現在、どのような活動をしているのですか?
OECD(経済協力開発機構)の医療課にはパブリックヘルスのユニットがあり、2019年5月からはそこで働いています。私の主な業務は、メンタルヘルスのベンチマーキングを進めるプロジェクトです。メンタルヘルスは近年、世界各国で急速にフォーカスされ、対策が立てられて始めています。しかし文化体系や価値観などによって、治療方針や対策などが各国で異なっているのが現状です。そのため、メンタルヘルスに関する現状や問題点を指摘し、国際指標によって改善に必要な評価を行うことを目標としています。そのほか、どのような介入がoutcomeの改善に効率的で持続可能性が高いか、シミュレーションによって予測し、政策提言に活用することも検討しています。
その他、加盟国および協力国の医療・保健分野に関するデータをもとに定期刊行されているデータブックを作成しています。各国、研究機関から集めたデータを元に医療の質を多面的に評価したり、改善すべき課題を指摘し、加盟国へ政策を提案したりしています。
―どのような経緯で、OECDで働くことになったのですか?
フランスのパリで公衆衛生の修士課程に在籍している時、OECDでインターンをしたことがきっかけです。その後、日本の外務省が行っているJPO派遣制度を通して、2年間の任期で働くことになりました。
JPO派遣制度とは、日本の国際支援出資額に対して、国際機関に所属する日本人が少ないことを受けて、それを増やすための斡旋制度の1つです。分野問わず修士号を取得している35歳までを対象に、派遣に関わる経費を外務省が負担し、国連を中心とした国際機関での活躍の機会をサポートしてくれるプログラムとなっています。今期は50名強の同期がいて、そのうち私を含めた4人がOECDに派遣されています。
◆へき地医療の格差にもどかしさを感じた
―もともと国際機関で働くことに興味があったのですか?
いえ、そういうわけではありませんでした。手を動かすことが好きだったので外科系に関心があり、医学生の時には産婦人科、初期研修医になってからは形成外科を志望していました。
母校の形成外科の医局に入局を決めた頃、熱傷治療を学ぶため集中治療に力をいれている川崎医科大学附属病院(岡山県)へ研修に行ったことがありました。同病院の集中治療室では、患者さんの全身を診ながら問題点を絞っていくアプローチをしていて、そのような全身管理の方法が純粋に素晴らしいなと思って――。初期研修2年目の2月頃に急遽、集中治療や総合内科で研修を継続しようと思い、東京ベイ・浦安市川医療センター総合内科後期研修プログラムに進むことを決めたのです。
―それからOECDで働くまで、どのようなキャリアを積んだのですか?
私は、東京ベイ・浦安市川医療センター総合内科後期研修プログラムの1期生で、同病院の開院に先行してプログラムが始まっていました。そのため、1年目は総合診療に力を入れている病院を回りながら研修していましたね。研修修了後は1年間、練馬光が丘病院で勤務し、その後はクルーズの船医を経験、そして公衆衛生を学ぼうと考え大学院に進学しました。
なぜ公衆衛生を学ぼうと思ったかというと、後期研修プログラムの一環で、定期的に日本の僻地診療に行く機会があったからです。私は岐阜県や沖縄県の久米島などの医療資源が少ない地域に行っていました。その過程で、医療格差を感じる経験が何度かありました。患者さんのヘルスリテラシーは都市部と比較すると低いと感じましたし、提供される医療についても、私たちが学んできたものとは違う――それらの格差に課題を感じる一方で、これらは個人の力でどうにかできるものではないとも思いました。そして、その状況が生まれる原因を知って、もう少しマクロな視点で解決する方法はないのかと考えたのがきっかけです。
実際に公衆衛生を学んだことで、より良い医療が提供されるためには何が必要か考えた結果、多くの国の政策からベストプラクティスを持ってきて参考にならないか提案したり、外から客観的に軌道修正したりすることが必要だと感じました。これは今のOECDの仕事にもつながっています。
医師プロフィール
仁科 有加 総合内科
東京都出身。2009年順天堂大学医学部を卒業後、同大学附属静岡病院にて初期研修修了。東京ベイ・浦安市川医療センター総合内科後期研修プログラム修了。練馬光が丘病院に勤務ののち、船医として活動。その後、公衆衛生修士号を取得し、2019年5月よりJPO派遣制度で、OECD Directorate for Employment Labour and Social Affairs,Health Division(医療課)にてJunior Health Policy Analystを務める。