医学教育学の研究者としての道を歩んでいる藤川裕恭先生。現在は「ペイシェント・ケア・オーナーシップ」という概念に注目し、医師の労働時間規制が始まってからの医師のあり方を模索しようとしています。どのようなきっかけから、今の道を選んだのでしょうか?
◆医学教育学研究を主軸に、臨床でも活動
―現在、どのような取り組みをされているのか教えていただけますか?
私は現在、東京大学大学院医学系研究科医学教育国際研究センター 医学教育学部門の大学院生2年目です。そこでは「ペイシェント・ケア・オーナーシップ」という概念に注目し、研究しています。具体的には、2024年4月から「医師の労働時間規制」が本格的に始まりますが、前後でその概念がどのように変化するのか、そこに日本特有の文脈が含まれているのか、などに関心があります。現在「ペイシェント・ケア・オーナーシップ」の概念整理を進めていますが、労働時間規制が始まる少し前から、整理した概念を用いて調査できたらと計画しています。
そのなかでさまざまな研究手法や論文の書き方などを学んでいるので、それらを活用して、総合診療分野でのケースレポートの執筆や、学会発表・論文執筆に興味があるものの、なかなか最初の一歩が踏み出せないでいる研修医、専攻医や他科の先生方のサポートもしています。
そして週数日は、諏訪中央病院 総合診療科などで診療を行い、臨床医としての活動も続けています。
―「ペイシェント・ケア・オーナーシップ」を研究テーマとして選んだ背景を教えてください。
「オーナーシップ」が日本語に訳しづらいため、現状ではあえてそのまま訳さずに使用しているのですが、「ペイシェント・ケア・オーナーシップ」とは、ざっくり言うと「医師として、責任を持って患者さんを診ること」です。
私は研修医の2年間、家庭医療後期研修(現 総合診療専門研修プログラム)医の3年間、そしてその後の総合診療科スタッフの1年間の合計6年間、諏訪中央病院で、フルタイムで勤務してきました。そこで学んだのは「1人の医師として、責任を持って目の前の患者さんを担当し、診療することの重要性」でした。この重要性を学んだ一方で、2024年から医師の労働時間規制が始まると働き方が変わり、医師の責任感や必要とされる能力に変化が生じるのではないかと感じ、研究テーマとして選びました。
これまで受けてきた教育で医師として働くと、やはり労働時間が長くなってしまいがちです。今後、医師の勤務時間にも制限が出てくるなかで、どのようにしたら今までのように1人の医師として、「責任を持って目の前の患者さんを担当し、診療する」ことができるのか、その理想的な形を模索していきたいと考えています。
―研究を進めながらも臨床医を続け、ケースレポートも積極的に書かれているのですね。
他の診療科に比べると総合診療分野では、研究がまだ活発に行われていないと思っています。それらを言語化し、世の中にアウトプットしていくことは、きっと意味があると思っています。
特に地方の中核病院は、その地域の患者さんがたくさん集まってくると思われる一方で、研究が活発に行われている病院はまだ多くありません。現時点では、まずはケースレポート執筆・支援をメインに取り組んでいますが、臨床研究にも徐々に取り組んでいこうと計画しています。
◆臨床から研究へ キャリアパスの描き方
―ところで、なぜ藤川先生は医師を志したのですか?
幼少期からアレルギー性鼻炎があり、通院機会が多かったのです。当時は風邪もよくひいていたので、病気にかかったとき、医師に診てもらって体が楽になるという経験を繰り返し、医師という仕事に徐々に魅力を感じ、志すようになりました。
―医学教育の研究者や総合診療という道は、どのように決めていったのですか?
私のキャリアを形作った最も大きなきっかけは、大学2年生の時に参加したゼミの恩師の影響です。
私が進学した東京大学では、大学2年生まで他の学部生と一緒に一般教養を学びます。その一環で参加したゼミの恩師が、教育、スポーツ・文化、科学技術イノベーション、IT政策、そして医療など、さまざまな分野に精通された人でした。これら幅広い分野のいずれにも凄まじい知識を持った人で、しかも行動力も伴った人でした。そんな恩師の姿を見ていて、臨床医としてだけでなく、もう少し広く社会と関わりたいと思うようになったのです。また、たくさん本を読むようにもなりました。
医師として社会に広く関わるとすると、さまざまな選択肢があります。最終的に私は、医学教育という形で関わることが一番しっくりくると思いました。なぜならそのゼミで、教育によって人が変わることを肌身で感じて、教育の重要性を実感したからです。また患者さんや医学生、研修医に近いところで見守りつつも俯瞰するなど、医療に対して、そして社会に対して、多様な関わり方ができると思ったからです。そして大学5年生頃から、現在所属している医学教育学の研究室に出入りするようになっていきました。
この研究室では、錦織宏先生(当時東京大学大学院医学系研究科医学教育国際研究センター講師、現名古屋大学大学院医学系研究科総合医学教育センター教授)と出会いました。錦織先生には、当時、医学教育学研究について手取り足取りご指導いただきましたが、それだけでなく、その当時も今も、総合診療医・社会医学研究者としての「背中」を見せてくださっていて、いつも刺激を受けています。
医学教育学の研究者を志しつつも、一方で、昔から夢だった臨床医の道もずっと歩んでいきたいとも考えていました。そして臨床医としては、広く人や社会を見たいという元々の関心もあり、1つ1つの臓器に特化した医療よりも、総合診療・家庭医療に惹かれ、その道を歩むことにしました。
―臨床医としての研修先は、どのように決めたのですか?
正直に言うと、理屈ではなく直感ですが(笑)、あえて理屈で説明するならば、主に3つの理由で、諏訪中央病院で働きたいと考えるようになりました。1つ目は、学生時代にお世話になっていた憧れの先輩が諏訪中央病院で研修していたことです。
2つ目は、不思議な「縁」を感じたからです。学生時代、医学教育学の研究室に出入りするようになったのと同時期に、私を含む有志何名かで「学生医学教育ワーキンググループ」という団体を学内に立ち上げました。このワーキンググループは、医学生の立場で、自分たちが受けている医学教育をより良いものにするためにはどうすればよいのかを考え、活動していました。このおかげで、医学教育に関わる教員の先生方とたくさん熱い議論を交わすこともできました。
私自身は、このワーキンググループを立ち上げつつ、自らの所属するこの組織を研究対象とした研究を進めていました。その研究の一環で、東京大学の過去について調べている際、1960年代の学生運動・東大紛争に行き着き、その中心で闘っておられた今井澄先生にたどり着いたのです。今井先生は東京大学を卒業した後、諏訪中央病院で、鎌田實先生(諏訪中央病院名誉院長)とともに地域医療を根付かせていったのです。研究を通じてこの歴史的経緯に触れ、より一層興味を抱くようになりました。
そして3つ目は、実際に見学に行ってみると、教育に力を入れている病院だとわかったことです。特に、当時研修委員長をされていた佐藤泰吾先生には圧倒されました。佐藤先生は、総合診療医としての「腕」はもちろんなのですが、「哲学」を持っておられて、その点に大変惹かれたのです。
―臨床研修を受けた後、研究に移行するタイミングはどのように決めたのですか?
その時期については、結構悩みましたね。まず諏訪中央病院で働いてみて、臨床はやはりとても楽しいと思いましたし、臨床の最前線でもっと臨床医を続けたいという気持ちも出てきました。しかし最終的には、初心に立ち返り「自分が最も社会に貢献できる形は何か。そして自分が最も突き進みたい道は何か」と考えたときに、やはり研究者だと感じ、決意を固めました。
実際には、佐藤先生から「専攻医として携わる臨床の風景と、スタッフとして携わる臨床の風景とは、全然違う」という旨のご助言をいただいたこともあり、専攻医修了後、総合診療科スタッフとして1年間の経験を積んでから、研究者としての道を歩みはじめています。
ちなみに専攻医とスタッフでは、確かに、見える臨床の風景が全然違いました。専攻医だと目の前の患者さんに集中していればよいかもしれませんが(本当はそうでないのでしょうが…)、スタッフになると、目の前の患者さんはもちろん、自分のチームの研修医・専攻医、そして彼らが見ている患者さん、そして別のチームなどなど、いろいろな人たちが関わります。そのような幅広い形で臨床業務に携わることで、たくさんのことを学ばせていただきましたし、このスタッフとしての経験は、医学教育の研究を進めるうえでもとても貴重な財産になっています。
◆「社会医学」という選択肢を知ってほしい
―今後のキャリアはどのように考えていますか?
まだ定まっていない部分もありますが、現時点では医学教育学の研究者というのを軸にしていきたいと考えています。ただやはり臨床も好きなので、臨床医も続けていきたいですね。
―先生のように「研究の道に進みたいけれど、臨床も好き」とキャリアに悩む医師は多いと思います。そのような若手医師へのメッセージをお願いします。
研究者の道を進むことを考えたとき、世間一般で主に想定される分野は基礎医学と臨床医学だと思います。でも医学には、基礎医学と臨床医学以外に、社会医学があります。
社会医学には、私の専門である医学教育の他、公衆衛生や医療経済学、法医学など、さまざまな分野があります。研究者になりたいと思っている方には、基礎医学や臨床医学以外にも、社会医学という選択肢を考えることを、是非オススメしたいです。
ちなみに、社会医学の分野で活躍されている先生のなかには、臨床と両立されている方が、たくさんいらっしゃいます。実は臨床好きな先生も多いのではないかと感じています。臨床が好きだからこそ、さまざまなリサーチ・クエスチョンが思い浮かぶのではないでしょうか。
「臨床が好き。しかし研究もしたい!」と悩んでおられる若手医師の方には、社会医学という選択肢があること、臨床も続けながら研究に携われる選択肢があることを是非知ってほしいと思います。
(取材・文:coFFeedoctors編集部) 掲載日:2021年3月2日