時間や場所にとらわれない働き方として「ワーケーション」が注目されています。産業医で「檜原ライフスタイルラボ」の代表・佐藤乃理子先生は、自然・健康・つながり・働き方をキーワードに新たなライフスタイルを提案しています。その拠点となっているのが、東京都西多摩郡檜原村につくったコワーキングスペースとキャンプ場。緑豊かな山の中で、どのような取り組みが行われているのか、なぜそのような取り組みをするに至ったのか、佐藤先生に伺いました。
◆自然や人との緩やかなつながりが、人々を元気にする
―檜原ライフスタイルラボの取り組みについて教えてください。
働く人の健康と労働環境をサポートする産業保健サービス、コワーキングスペースやキャンプ場の運営と2つの事業を展開しています。民家を改装したコワーキングスペース「檜原おいねハウス」は5~10名程度の利用が可能。共有スペースのほか、個室もあり、Wi-Fiも完備しています。焚火ができるスペースや広いウッドデッキもあるので、グループで利用し、チームビルディングに役立ててもらえればと思います。
「檜原おいねビレッジ」はこの夏にオープンを目指している会員制のソロキャンプ場です。そこでさまざまな自然体験をしながら、会員同士が緩やかにつながっていく場になればと思っています。
「檜原ライフスタイルラボ」は、人や場所とのつながりを形成し、より元気でいたいと願う人を増やしたいと思い、2019年11月に設立しました。私自身も住まいを檜原村に移し、週の半分は都心で産業医として働き、残りの半分を檜原村で過ごしています。隔週で村の診療所も手伝っています。檜原村は、島しょ部を除いた東京都内唯一の村。都心から電車で2時間ほどの地域ですが、村の大部分が「秩父多摩甲斐国立公園」になっている、森に囲まれた自然豊かなエリアです。
―取り組みの背景には、どのような思いがあったのですか?
顧問先の企業で社員の健康管理を行ったり、労働衛生コンサルタントとして、健康や労働環境に関する相談を受けたりしながら、人が病気を治す気力はどこから来るのかを考えるようになりました。医師は、病気をなくすことを「正義」と考えがちです。でも、受診を勧めても病院に行こうとしない人もいます。健康に対する価値観は人によってさまざま。家庭や職場に自分の存在意義を見いだせない人たちがいることも感じることがあります。
人を元気にさせるのは、何かをやりたいという思いや、誰かの役に立っているという実感です。そこから、自分の存在意義を見いだせる場所が必要であると考えました。それも「憩える場所」「仲間と出会える場所」「また行きたいと思える場所」がそのような場所になりえるのではないかと思ったわけです。自然の中で時間を過ごし、そこであった人と語らったり、火起こしなどの作業をしたりすることを通して、元気になるための取り組みが続けられる場所、それが檜原村でした。
◆臨床医から産業医にキャリアを転換した理由
―ご自身のキャリアを振り返って、ターニングポイントはどこにあったと思いますか?
厚生労働省で、医師たちが疲労している医療現場の現実を目の当たりにしたことでしょう。
厚生労働省の医系技官として臓器移植対策に取り組みました。私が出向した当時、ちょうど臓器移植法が改正され、脳死状態からの臓器提供が増え始めた時期でした。臓器提供に関わる現場、移植に関わる現場から様々な話を伺いました。その中で、どの先生からも非常に忙しい現状を耳にし、疲弊していると感じました。
医師たちの疲労感の原因を探るうちに、注目したのが「働き方」でした。皆がどんな働き方をしているのか興味を持ち始めた時「北里大学病院で医療マネジメントをしてみないか」と知人に誘われたのです。
―北里大学病院で取り組んだことについて教えてください。
当時、北里大学病院では、新病院の建設が進められていました。医療体制を整えるため、医療材料の使用状況やヒヤリハットの現状を分析して業務改善を図ったり、従業員の家族を対象にしたプレオープンイベントを開催したり、業務は多岐に渡りました。おかげでコストや労働環境づくりにも意識が向くようになりました。また、マネジメントの難しさも感じました。病院ごとに医療の進め方が違うように、組織には組織の文化があります。何かを変えようと思ったらリーダーシップが必要です。組織の文化を変えることの難しさを理解できたのはよかったと思います。
―最終的に産業医になったのはなぜですか?
北里大学でも、疲弊し、休職に至る職員がいることを耳にしました。病院の移転や色々なシステムなどの変更など、忙しい状況もあったからだと思います。私自身、過去に体調を崩した時期もあり、仕事を継続していくための健康管理や環境づくりに興味を持ちました。そう考えた時に、父が産業医として企業に勤務していたこともあり、産業医という仕事があることを思い出しました。産業医は働く人の労働環境の改善にも携わるので、産業医として働く人をサポートしていこうと思いました。
◆人生の最後に生きていてよかったと思えるように
―檜原村での取り組みを通して、どんなゴールを思い描いていますか?
漠然とした言い方なのですが、一人一人が「ああ楽しかった」と思える時間が少しでも増えるといいですよね。例えば、週に1回しかなかった「楽しい時間」が週2回になったり、つらいことを乗り越えた末に「ああ、チャレンジしてよかった」と思ったり――。そんな生き方をする人が増えれば、世の中がもっと暮らしやすくなるのではないでしょうか。個人がいきいきと活躍できる社会の実現にもつながります。そのお手伝いをするのが私たち。体調管理のアドバイスをしたり、産業医として企業の労働環境をよくしたり、医師としての強みを存分に生かしていきたいと思います。
―最後に若手医師たちへアドバイスをお願いします。
人の生命に関わる仕事をするので、まず自分の中で倫理観や死生観について考えていってほしいと思います。一朝一夕ではできないので、絶えず考え続けていくことが重要だと思います。その上で、自分とは異なる考え方の人がいることも理解して、医療を提供してほしいと思います。人生の最後をどう過ごしたいかは人それぞれなんですよね。医療で全てが解決できるわけではないんです。
医療の世界は、閉鎖された空間であることも認識してほしいと思います。厚生労働省で医療職ではない人たちと一緒に仕事をして衝撃を受けたのは、一般の社会においても医師だからという理由で一段上に置かれることでした。医者自身も、専門性を持っているがゆえに自分が絶対に正しいと錯覚してしまうこともあるんです。
だからこそ、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちとフラットな関係性を築き、自分の意見を述べ、他者の意見も聞き、行動していくことが大切なのではないかと思います。そのためにも医療ではない世界もちゃんと見て、いろいろなことを経験して多角的に考える力を養ってほしいと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年7月13日