誰もが自身のマイノリティ性に苦しむ機会を減らしたい
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◆医師3年目から公衆衛生の道へ
―医師を志した理由を教えてください。
中学生の頃、救急搬送を拒否された妊婦が亡くなる事件が社会的に大きく取り上げられていました。マスコミなどでは病院を責めるような声が多く上がっていましたが、当時自分なりに新聞などを読んで考えた結果、やはり病院の先生方は一生懸命働いているはずで、本来なら助かったはずの人が亡くなってしまうのは現場よりも上流の部分に問題があるのではないかと思いました。そうした課題意識から現場の医療だけでなく医療システム全体を含めた公衆衛生学に興味を持ったんです。さまざまな進路選択があったと思いますが、まずは医師になろうと思い医学部に進学しました。
―医療システムを含めた公衆衛生への興味から医学部に進学された垣本先生。同じような興味関心をもつ仲間には、なかなか出会えなかったのではないですか?
その通りですし、ロールモデルもなかなか見つけられませんでした。ですから、とにかく自分から動いてみないと始まらないと思いましたね。東京で開かれる勉強会に参加してみたり、都内の医療系コンサルティング会社でカバン持ちをさせてもらったり――。どんどん外に出ながら「これは自分に合う」「これはあまりピンとこない」と自分の軸を模索していましたね。
―自分の軸を模索しながら将来のキャリアについてはどのように考え、選択されていったのですか?
学生のうちから「公衆衛生の分野に進もうかな」とは思っていました。ただ自分の軸を模索する過程で、国際保健や地域保健を学ぶ研修会で岩手県陸前高田市の被災地域に行かせていただいた経験もあり、一時期は地域医療や総合診療に憧れていたこともありました。さまざまな背景を抱えた患者さんと全人的に関わりつつ、地域の予防活動にも貢献するような働き方もいいなと考えていたのです。
学生時代に陸前高田市を訪れた際には、一方的に学ばせていただいただけだったのですが、地域の方々にとても優しくしていただいて、自然の美しさやご飯の美味しさも相まって岩手県に魅了されてしまいました。自分に学びを与えてくださった方々に少しでも恩返しができたらと思い、同市の病院でも研修を受けられる岩手県立中央病院で初期研修をすることにしました。
ですが、実際に現場に出てみると、やはり病院の先生方はものすごく忙しくされていて――。そんな中でも地域の予防活動をされている先生方は大勢いらっしゃいましたが、どうしても診療と並行では時間的に限界があります。臨床医として病院で働きながら、公衆衛生的な視点で予防活動に取り組むのはなかなか難しいのではないかと思うようになり、それなら腹を括って公衆衛生をメインの仕事にしようと、医師3年目で米国ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院に留学することに決めました。
◆全ての人の生きづらさも受け止める
―公衆衛生大学院を卒業後、国内企業の産業医として勤務されています。その道を選ばれたのはなぜですか?
大学院で学んだことを自分なりに公衆衛生のフィールドで実践してみる経験が必要だと感じたからです。また若いうちに、ある程度自分の裁量で物事を推し進める経験を積むことが大事だとも考えていました。そう考えた時、企業内には医師免許を持った人の数が少ないからこそ、ある程度の裁量を持ちながらさまざまな経験ができるのではないかと思い、国内企業の産業医になることを選びました。
―現在、企業で産業医として職域で活動している中で感じる課題はありますか?
私が帰国後に一番感じたのは、日本の多様性への感受性の低さです。産業保健では会社全体の規律を守りながら事業運営と個人の支援を両立させる必要があり、さまざまなルールが必要になってくるのですが、時にはそれらのルールが合理性を越えているように思えて窮屈に感じられることも残念ながらありました。今でこそ多くの事業場ではさまざまな特性に応じた合理的配慮についての意識が高まりつつあり、制度を整える企業が増えていますが、現場レベルで上手く浸透しているところばかりではないのが現状です。
例えば神経発達症により音に過敏な特性があると、イヤーマフなどで耳を覆うことで仕事のパフォーマンスが上がることがあります。ところがイヤーマフをつけていると、周囲の方から「音楽を聴いているのでは?」「周りの人と違うものを着用しているとかえって居心地が悪くなってしまう」などと言われ、必要な配慮を受ける障壁が高くなってしまうことがあります。
イヤーマフをつけることで、神経発達症がある方も周囲の方も働きやすくなるのですが、「みんな同じでなければいけない」という感覚が強いこと、多様性への理解の低さが邪魔をしてしまっている点に課題を感じ、自分が貢献できることはないかと考えています。こういった違いを乗り越えられている事業場では、やはり多様な方がそれぞれの方法で活躍されている印象がありますね。
その他にもLGBTQ+の中でも性自認に関するマイノリティの方々は、会社の施設や健康診断などの施策がシスジェンダーかつ男女二元論に基づいた設計になっていることで、居心地の悪さを感じている方も多くいらっしゃいます。しかし、カミングアウトしている人が少ないと「そんな人うちの職場にはいないから」とニーズ自体が認識されず歯痒い思いをすることもあります。
各職場のキャパシティに応じてさまざまな工夫をすることでもっと活躍出来る可能性のある人たちも大勢いるわけです。そういった人たちがどのようにしたら生き生きと働けるのか、自分らしく働けるのかというような視点を、個人の意識の問題に起結させるのではなく、社会全体として考えていく必要があると思っています。
―その課題に対して、現在取り組んでいることはありますか?
産業医や産業保健職・心理職の方など約30人で集まり勉強会を開いています。現在は主にLGBTQ+の方々の課題を起点にさまざまなマイノリティの方をどう支援するかについて学んでいます。
そこでのディスカッションで分かったことは、多様性を受け入れるためにはまず、一見すると「マジョリティ」と括られてしまう人たちの生きづらさも同時に理解していかなければいけないことでした。
例えば男女格差という課題を見てみると、現代の社会構造は男性がいわゆるマジョリティ、女性がいわゆるマイノリティという括りになりがちで、どちらかというと女性側の立場をどう上げるかという視点で支援がなされることが多かったと思います。これは言うまでもなく重要な事なのですが、可視化されやすいマイノリティだけにアプローチしてしまうと、マジョリティの方からすると他人事のように感じられてしまい、時には格差を穴埋めする施策が「特別扱い」のように受け止められてしまう懸念があります。
そして、男女という括りだと「マジョリティ」にカテゴライズされる方の中にも、より可視化されにくい形でのマイノリティ性を内包している方がいることが忘れられがちです。
ですから、まずは一見すると「マジョリティ」と括られる方たちも含めて全ての人の生きづらさを受け止める。そうして初めて、マイノリティの方の気持ちが分かったり、自分たちと同じなんだと共感が生まれますし、支援者になってもらえるようになると思っています。
例えば「有害な男性らしさ」という言葉があります。「一家の大黒柱でなければならない」「出世を目指して当たり前」というような、周囲からの期待やステレオタイプのことを指します。このような周囲が考える「男性らしさ」に応えられずに悩んでいる方もいるので、勉強会ではこういったことをも取り扱い、本当の意味での多様性に近づけるような取り組みをしていこうとしています。
また私たちの知見を勉強会の中で留まらせるのではなく、学会や書籍などの場を活用して発信できるように準備を進めています。マイノリティ性を抱える労働者ひとりひとりにサポートを直接届けるのは現実的には難しいのですが、我々の活動を通じて産業医や産業保健職の理解が進めば、間接的に多くの人たちに適切なサポートを届けることができます。今後は人事や社会保険労務士など様々な方とも連携しながら職場で必要なサポートを届けられるようにしていきたいです。
医師プロフィール
垣本 啓介 産業医
2017年に琉球大学医学部を卒業し、岩手県立中央病院で初期研修を修了する。2019年より米国ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院修士課程。2020年6月より国内企業の産業医として、労働に関連した疾病の予防や健康増進施策の推進などに従事。同時に産業保健専門職でつくる勉強会で、LGBTQ+などマイノリティ性を抱える労働者の支援のあり方を模索している。