長野県軽井沢町に「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことする仲間として出会おう」がキーワードの「ほっちのロッヂ」という一風変わった診療所があります。医師7年目でそこに勤務することを選び、2021年から院長を務めている坂井雄貴先生。なぜこのようなキャリアを選んだのでしょうか?背景には、家庭医として診療する中で抱いた葛藤や違和感がありました。
◆医師である自分が、病気を「作っている」のではないだろうか?
―なぜ家庭医になろうと思われたのですか?
大学進学後、個別の臓器や遺伝子といったことにはあまり興味が湧かず、人や人が構成している社会といった方面に興味がありました。ただ当時は、まだ家庭医療があまり認知されていたわけではなかったのでロールモデルがいなく、将来のビジョンがあまりハッキリしない学生生活を送っていました。
一方で、一度は海外に行ってみたいという思いがあったので、大学5年の時、1カ月間イギリスへ留学したんです。この時、日本の家庭医にあたるGP(General Practitioner)の存在を知りました。心も体も診て、小さい手術も行い、さらには暮らしている地域も見ていて「こういう医師になりたい」と思ったのです。ここで家庭医療の道に進むことを決めました。
大学卒業後は、地域医療に従事するジェネラリスト育成を目標にしている亀田総合病院の「地域ジェネラリストプログラム」で初期研修を受けることに。そのプログラムでは、家庭医がいる「亀田ファミリークリニック館山」の研修があることや、外来診療の経験も多く積める点が魅力でした。
―家庭医として研鑽を積むための環境が整っていたと思いますが、その中でもアイデンティティの悩みがあったそうですね。
まずは家庭医として一人前になることが一番の目標で、卒後5年目ごろまではそこに全てを注いでいきました。ただ、医学的なことについて家庭医として一通り相談を受けられると思えるようになると、医療の文脈でできることの限界が見えてくるようになったのです。
だからこそ「自分自身が家庭医として取り組みたいと思っていたことは何だろうか?」「家庭医として診療することを通して何を実現したいのか?」と、医師5〜6年目あたりから葛藤や悩みが出てきたのかもしれません。当時感じていたことは、自分が診療することで病気を作っているのではないか、ということでした。
例えば、血圧の数値から高血圧の診断をしたり、血糖値やHbA1cの値から糖尿病と診断したりします。ですが「血圧138mmHgの人と141mmHgの人、あるいは糖尿病型の人と境界型の人の間に生まれる診断の有無の意味とは一体何だろうか」と思ったり、医師としての自分が高血圧や糖尿病と診断し、薬を処方することで「医療化」させてしまっているのではないかと感じたり――。
自分が医師として、健康な人と病気のある人の間に線を引き、目の前の人を「病人」にしてしまっている感覚や、その人の生活に医療を入り込ませてしまったという感覚を覚え、そのことに違和感を抱くことが徐々に増えていったのです。
もう1つの経験としては、家庭医療を実践する診療所には、制度や社会の隙間にこぼれるような方が多く来院します。貧困のある方やシングルで子育てをしている方、性的マイノリティの方、若くて重い病気になったものの介護保険の支援を受けられない方など――。
このように社会で周縁化されているけれど実際には困っている人と大勢接してきました。線を引くことによって、そういった人たちが困難な状況に置かれている。さらに言うと、診療所に来ていないけれど困難を抱えている人も、出会えていないだけでたくさんいると思ったのです。
臨床の中で、これらの疑問や葛藤、違和感が湧いてきて、改めて自分自身が何をしたいのか考えた時に、病気の有無にかかわらず健康のサポートがしたい、と思いました。
―それで、なぜ長野県軽井沢町にある、診療所と大きな台所があるケアの文化的拠点「ほっちのロッヂ」に移ることにしたのですか?
後期研修修了後をどうしようかと考えている時に、ほっちのロッヂ立ち上げの話題がSNS上で流れてきました。キャッチフレーズに「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことする仲間として出会おう」と書かれているのを見た瞬間「あ、ここで働きたい」と思ったのです。
医療を受ける人と受けない人を振り分け、治療のために医師としてその人に出会うのではなく、「好き」をキーワードに人と人が出会えることが、とてもしっくりきたんです。
迷わず「ここに行こう」と思ったのですが――診療所を開設すると書いてあるものの医師を募集する気配がなく、最終的には代表の紅谷浩之先生に「働かせてください」と直談判し、医師7年目の2020年4月から、ほっちのロッヂで働き始めることになりました。
◆医師らしさを、まとったり外したりできるように
――2021年4月からは院長を務められています。具体的にはどのようなことをしているのですか?
診療所としての機能は内科、小児科、緩和ケア内科の外来と在宅医療で、ほっちのロッヂという場所には他にも病児保育や共生型通所介護・医療型短期入所、訪問看護ステーションを併設しています。それだけではなく大きな台所や本棚、アトリエもあり、町の人が好きなものや出来事とともに過ごす居場所になっています。
もちろん普段は診療もしますが、よろず電話対応や調整・マネジメントといった管理的な業務もしますし、好きなバラを育てたり、ケーキを焼いたり、草むしりをしたり――さまざまなことをしています。
またメンバーが、組織のビジョンである「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことする仲間として出会おう」をきちんと追いかけ実現するために必要なチャレンジをどんどんしているので、全体を見渡しながら自分にできるサポートをしています。
ほっちのロッヂでは、時には制度の枠組みを超えた挑戦が必要なこともあります。新しい取り組みは困難もたくさんありますが、制度を言い訳にせず挑戦するためには、メンバー内や地域のステークホルダーとのコミュニケーションや場づくりが重要で、そこに貢献できればと思っています。
―「医師として線を引いてしまっている」という違和感は解消されましたか?
6年あまりをかけて力を注いで身につけてきた医師としての感覚は、そう簡単になくなるものではありません。地域に出ることに関心がある医師も感じているかもしれませんが、キーワードの1つは「アンラーニング」だと思います。自分たちが身につけてきたことを、その場に合わせてうまく外すこと。目の前の人の健康や幸せに関わるため、いかに「白衣」を脱ぎ着できるかが大切です。
ただ、いかに「医師らしくしないか」といったことは、当然医師の研修の中で学んできていません。ですから、ほっちのロッヂに来て丸3年が過ぎましたが、今まさに実践しながら学んでいる最中という感じですね。
ちょうど2023年4月から、方向性を共にする医師数名と「コミドク(コミュニティドクターフェローシップ)」という組織を立ち上げました。「コミドク」では、地域に入っていく医師が、地域住民とともに医療やケアに関わっていくために、どのようなことを学んだり、学びほぐしたりする必要があるのかを学びます。この活動を通して、さらに学んでいきたいと思っています。
◆医師としてではなく、さまざまなチャネルで人と出会いたい
――これから実現したいこととしては、どのようなことを思い描いているのですか?
1つは、医師としてだけではなくさまざまな形でまちの人と出会うために、好きなこと、得意なことといったチャンネルを増やし、表現していきたいです。もう1つは社会課題がある時に、フラットにその問題を議論したり、学び合えたりするような場づくりもできるようになりたいと思っています。
私は研修医の時に先輩・後輩とLGBTQ+と医療についての勉強会を始めました。その活動の輪が広がり、LGBTQ+について適切な知識と態度を学び、共に考える機会を提供する「にじいろドクターズ」という団体を仲間たちと立ち上げました。2021年からは一般社団法人として運営し、主に執筆活動や医療機関、医療系企業に向けた啓発活動を行っています。
LGBTQ+に限らず、社会には対立や分断を生みやすい問題があると思います。そういった問題があった時、人の態度や価値観をほぐし行動に影響していくためには、理論や知識だけではなく人として感情が動くような体験が必要だと、にじいろドクターズでの活動を通して感じました。同時に、医療の視点から伝えることの力と限界も実感しています。ですから社会課題について、人が安全に楽しみながら、フラットな関係性で感じ考えられる場をつくっていきたいと思いました。
そのための一歩として2023年4月から、東京都・上野にある東京都美術館のアート・コミュニケーターとして「とびらプロジェクト」での活動を始めました。現在は多様なバックグラウンドを持った社会人の仲間たちと美術館の展示室に立ち、アートを通した対話の場づくりの活動をしています。
文化芸術活動を通した場づくりはまさに学んでいる最中ですが、ここでは自分が医師としてではなく、1人の人間としての要素や好きなことなどを通じて人と出会うことができます。そして「問題」として捉えてしまうと対話しにくいことも、平等性を持ったアートという作品を介することでコミュニケーションができる。こうした場づくりを実現することが、人が幸せに過ごすことや、健康な暮らしにつながっていくのではないかと考えています。
―キャリアに悩む読者へのメッセージをお願いします。
「医師として何がしたいか」ではなく「1人の人間として本当に何がしたいか」を考えるのが良いと私は思っています。医師としての年数を重ねるほど、経験や医療を通してできることは増えていくかもしれません。もちろんそれも大事なことですが、一方で医師という属性の自分に縛られて見えにくくなることもあるのではないでしょうか。
ですから一度、医師としての自分を脇に置き、人としてワクワクしたり楽しいと思ったりすることは何かを考えてみる。「もしかすると医療を掛け合わせたら何か面白いことができるかもしれない」と面白いアイデアが浮かんだら、自らのキャリアの方向性がきっと見えてくると思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年1月4日