和歌山県中山間地域の診療所長を務めながら、Point-of-Care超音波検査(POCUS)の普及活動に力を入れている多田明良先生。「POCUSは学べば学ぶほど、臨床現場で活かせる機会が多いと実感する」と言います。そんな多田先生は、小児科専門医から総合診療領域へとキャリアシフトしてきました。なぜエコーの普及活動に注力しているのか、そしてなぜキャリアリフトしてきたのか、背景を語っていただきました。
◆エコーを活用する医療従事者を増やしたい
―現在、注力している活動を教えてください。
私は現在、和歌山県山間部にある紀美野町立国保国吉・長谷毛原診療所の所長として、お子さんから高齢の方まで幅広く診療しています。同時に、領域横断的なPoint-of-Care超音波検査(POCUS)の普及活動に取り組んでいます。
3年前には研究の一貫で訪問看護師さんにポケットエコーを貸し出し、活用方法を研究。最近では、積極的に講演会や勉強会を通じてポケットエコーの有用性を伝えていますね。
一度でも実際に診療現場で使う機会があると、エコーの有用性を理解してもらえて活用促進につながると感じています。現在、私のいる地域には少しずつ広まってきているので、もう少しエリアを広げ、和歌山県南部全体での勉強会開催も予定しています。地道ではありますが、自分の地域から広げながら、エコーを活用する医療従事者を増やしていきたいと考えています。
―なぜ、POCUSの普及活動に力を入れるようになったのですか?
医師3〜4年目の時に勤務していた飯田市立病院(長野県飯田市)で、エコー診療が盛んに行われていました。エコーの魅力を最大限発揮しながら診療している先生方を見て「自分もエコーを駆使できるようになりたい」と思い始めたのです。
しかし当初、私はエコーを臨床検査技師の方に依頼していたんです。しかし小児科としてエコーを検査室へオーダーすると、成人との対象疾患の違いや検査中の安静を保てないなどの理由で子どもたちのエコーにハードルがある病院もありました。病院によって提供できる医療が異なることにもどかしさを感じ、自らエコーが使えるようになろうと超音波検査の勉強を始めました。さらに医師が臨床判断に基づきベッドサイドで焦点を絞って行うエコー、つまりPOCUSの勉強を始めたのです。
POCUSは学べば学ぶほど、やはり臨床現場で活かせる機会がかなり多いと感じました。またPOCUS領域であれば、技術習得までにそこまで多くの時間を要しないので、都市部で開催されるハンズオンセミナーに参加しにくい地方の医療機関に在籍している医療者にとっても、それほどハードルは高くないのではないか。そう考えるようになり、周囲にも普及させていこうと考え始めました。
―現在、普及活動を進める中では、どのような課題を感じていますか?
1つは、エコーの有用性がまだ十分に浸透していないこと。心臓やお腹の中をエコーで診ることはもちろん、頭の中や脊椎以外はほぼ全身にエコーを行うことができます。また、私が勤務しているような中山間地域の診療所では、特に首や肩、膝、腰などの運動器を診てほしいというニーズが非常に高いです。私のように非整形外科医が運動器診療を行うためには、筋肉、神経、腱などを可視化することができるエコーは欠かせません。
またレントゲンやCT、MRIが使用できない在宅医療の現場でも、エコーは画像検査として非常に役立ちます。ポケットサイズのエコーでも現在は画質も驚くほど良いですし、操作も簡便です。こういった背景から在宅領域では医師だけでなく、訪問看護師にもエコーが普及しつつあります。
このように近隣に専門医療機関が少ない、あるいはあっても移動手段などの理由ですぐに受診できない方が多い地域では、エコーは診療を大いに助けてくれます。ところが、こういったメリットが案外知られていません。
また、エコーを習得したい医師がある一定時間、同じ場所に集まることの難しさも課題の1つです。後期研修医はじめ若手医師の中には、非常に意欲的な方が増えていると感じています。ところがやはりみなさん日常業務が忙しいので、数時間かかる研修を受けにいく時間を捻出するのが難しいのです。
エコーの勉強会を開くと「まとまって勉強する時間がなかなか取れない。でも勉強してみると診療中にエコーを使ってみようと思える」という話を聞きます。少しでもエコーを勉強してみると有用性が大いに分かるのだと思いますが、その最初の触れる機会を作る点に大きなハードルがありますね。
◆小児科専門医から総合診療領域へ
―現在、診療所で子どもから高齢者を診ていますが、専門は小児科ですよね。
学生時代に解剖学が好きだったのと、整形外科勤務医の父から多少影響を受け、初期研修2年目の半ば頃までは、整形外科に進もうと考えていたんです。ところが初期研修2年目の冬、小児科をローテーションして小児科を専門にしようと方向性が一気に変わりました。
ローテーション中、RSウイルスと診断して通常通りの処方をして帰ってもらったお子さんがいました。その子が帰宅後に重篤化してしまい、小児専門病院へ搬送されることになってしまいました。「こういう経過で治っていきますよ」と気軽に説明してしまったことに重く責任を感じ、1週間後、片道2時間かかる搬送先の病院まで様子を見に行ったのです。
するとご家族から「あの時しっかり診てくれて、説明も丁寧にしてくれたのでありがたかったです」との言葉をいただいて――。自分としては至らぬ点を反省していたにもかかわらず、ご家族から感謝の言葉をいただき、真摯に向き合う大切さと医師としてのやりがいを感じました。同時に「小児科に全力で打ち込みたい」と思い、小児科の道に進んだのです。
―総合診療のような幅広い年代の方を診る診療所勤務を続けているのはなぜですか?
私も妻も自治医科大学出身で、卒業後9年間は出身都道府県の地域医療に従事する義務年限があります。出身都道府県が異なる自治医大生同士の結婚の場合、都道府県同士の協議の上、義務年限を折半し、半分は一方の出身県、残りの半分の期間をもう一方の県で勤務することが可能です。この制度を利用して、私はお互いの出身県で別々に初期臨床研修2年間を過ごしたのち、残りの7年間のうち前半は引き続き長野県で小児科医として、後半は妻の出身県の和歌山県に移り、南東部山間にある国保北山村診療所に勤務していました。
北山村診療所では、小児科だけでなく成人の内科診療も行っていました。この3年間で、小児科医としてだけでなく小児から高齢の方まで年齢を問わず診られる家庭医のような立場の方が自分にフィットしていて、やりがいもあると感じるようになったのです。
長野県で小児科医として病院勤務していた時、しっかり治療できていたのになかなか喘息が良くならないお子さんがいました。原因は、同居しているご家族の喫煙だということがはっきりしてきたのですが、お子さんの診療のみでは喫煙しているご家族へのアプローチがしにくく、もどかしさを感じていたことがあったのです。
ところが北山村診療所で成人の内科診療もするようになると、診療、健診、予防接種などを通してご家族全員に関わる機会があります。そんな中で「もし同じような喘息のお子さんを診ることになれば、例えば肺がん検診をきっかけに喫煙しているご家族の禁煙を促すことで、お子さんの喘息改善につなげるアプローチができるかもしれない」と考えるように。徐々に、家族全体へアプローチできる家庭医や総合診療医の魅力に惹かれていったのです。
北山村診療所での3年間が終わり義務年限が明けた時、小児科医に戻ることはできましたが、その選択はせず、現在は紀美野町立国保国吉・長谷毛原診療所という同じく山間部の診療所で、引き続き小児から高齢の方まで診ています。稀なキャリアパスかもしれませんが、小児科専門医からシフトして家庭医として地域医療に従事しています。
◆キャリア選択では「その時」の本心を大切に
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
課題として挙げたように、臨床医のみならず初期研修医・後期研修医も臨床業務が忙しく、意欲があったとしてもエコー習得のために一定時間を割くことが難しいです。しかし1度使ってみればその有用性が分かり、臨床現場で使うことのハードルがぐんと下がります。
そのため最近は、医学生をターゲットにしてエコーセミナーを開催することで、臨床現場でエコーを活用する医師を増やそうと考えています。現在、和歌山県内の医学部と協力しながら医学生へのアプローチを始めています。
ある程度時間はかかるかもしれませんが、エコーが使える医師を増やすことで地域医療の現場でもより一層エコーが活用されれば、地域の患者さんの安心や医療者の業務改善、さらには不要な検査が減ることで医療費抑制にもつながるかもしれません。
そして、このような恩恵を地方でも受けられるようにするため、地域医療に身を置いている私の立場からエコー活用の有用性を発信し、地域医療の質向上につなげていきたいですね。
―後進に向けてのメッセージをお願いします。
都市部から離れた地域だと「この環境によって学びが制限されてしまうのでは……」と心配される方がいるかもしれません。ですが一貫して地域に関わり続けて思うのは、学ぶ気持ちさえあればどこでも学べるということ。インターネットが発展しているので、地方にいるから情報を取り逃すというようなことはあまりありません。コロナ禍以降、ウェブセミナーが数多く開催されるようにもなりましたし、学ぶ気持ちさえあれば、いる場所は関係ないように思います。
あとキャリアに悩んだ時には、自分の気持ちに正直であることが1番大事だと思います。私自身は義務年限が終わる時、小児科医に戻るかどうか悩みました。でも直感的に家庭医療が自分に合っていると感じたので、この領域に身を置き続けました。振り返ってもこの時、自分の気持ちに正直でよかったと思っています。
特に30代前後はライフステージの変化が大きい時期です。そのため、20代の頃に思い描いていたビジョンを貫きにくい状況もあると思います。初志貫徹することももちろん大事ですが、岐路に立ったその時々に、柔軟にキャリアを変化させていくことも一つの方法だと、私からはお伝えしたいと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年3月7日