東京都小平市で、地域に人と人のつながりを生み出す活動を続けている有路先生。国際保健を学び、沖縄や島根など多様な地域で暮らしながら、「健康のあり方」を探り続けてきました。その根底には「生きがいが健康を支える」という思いがあります。出会いを大切にしながら、自らの直感を信じて歩んできたキャリアの軌跡を詳しく伺いました。
◆現在の取り組み
—現在、力を入れている取り組みを教えてください。
ひとつは東京都小平市での地域活動です。鷹の台という地域の中で、人と人の関わりからさまざまな化学反応が起きて、地域が豊かさにつながるような取り組みを進めています。この活動は、島根県で関わっていたコミュニティナースの活動の文脈を受け継いでいるように思います。
もうひとつは、伊豆保健医療センター(静岡県伊豆の国市)の未来プロジェクト室への参画。大学院の先輩である清水啓介先生が4年前室長に就任し、精力的に在宅ケア、入院、外来をシームレスにつなぎ、地域の訪問看護ステーションとも連携する取り組みをされています。保険診療の枠組みの中で地域の方々の暮らしを支えていて、「このあり方は素晴らしい」と思ったのです。妊娠が分かり現在はお休みさせていただいていますが、何かサポートできたらと思って関わっていました。
加えて、研究の継続も大切な柱です。目的意識(スピリチュアルヘルス)と健康の関係をテーマに研究しています。健康である前に「生きがいがあって幸せであること」が重要で、それ自体が健康を支える。そうした人生観や考え方を発信していきたいと思っています。また、タイ国境付近に流入しているミャンマー難民に関する国際的な研究活動にも携わっています。
—どのような経緯で小平市での活動を始めたのですか?
島根でコミュニティナースの活動に関わっている時、「医療とアートの学校」代表でありアーティストの村岡ケンイチさんと知り合いました。村岡さんが東京の小平市に住んでいることを知り、実家が近いと話したら「鷹の台という地域がこれからアツい」と熱弁されていたんです。
実家に帰省した機会に、村岡さんと地域のキーパーソンである出口さんの3人で鷹の台のまち歩きをすることに。その時、たまたま立ち寄ったカフェが間もなく閉店することを知りました。直感的に「閉じたらダメだ」と思い、3人で引き継ぐことになったのです。この時から3カ月後に正式契約、その3カ月後の2024年9月16日にリニューアルオープンしました。
「zoeee」と名付けたこの場所には、カフェとさまざまな活動に仕えるスペースがあります。これまでアートの個展やワークショップなどが開かれ、地域の方が訪れる出会いが生まれる場となっています。
◆これまでのキャリア
—有路先生は、どのような理由から医学部に進学することを決めたのですか?
実家がクリニックを営んでいたことにも影響されたと思いますが、当初は心理学やカウンセリングへの関心から医学部進学を決めました。人の話を聞くのが好きで、高校時代にカウンセラーになりたいと母に伝えると「医師の方ができることの範囲が広いから、精神科医になった方がいいのでは」と言われ、納得して医学部に進みました。ところが、楽しみにしていた精神科の授業では人の深層心理ではなく、薬物療法の講義が中心だったんです。それで将来の進路について迷うようになってしまいました。
そんな時、ゼミの事務の方から「国際保健の湯浅 資之先生のところに行ってみたら?」と勧められたんです。大学4年の時に湯浅先生の研究室を訪れたことをきっかけに、国際保健にのめり込んでいきました。
湯浅先生に誘っていただきその年の夏、タイでのスタディツアーに参加。ものすごく楽しくて、国際保健や公衆衛生を学べば学ぶほど「これだ!」と思うようになりました。それらの領域では、地域全体を視野に入れ、本当に健康に影響するものは何かを、文化なども含めて多角的に見ていきます。その視点に強い関心を持ちました。
そしてタイに一緒に行ったメンバーと、沖縄で開かれた国際医療学会に参加することに。そこでの出会いが、私のキャリアに大きく影響しています。
—どのような出会いがあったのですか?
一人は当時、沖縄県の離島の1つ粟国島で働かれていた長嶺由衣子先生です。離島の診療所の一人医師として働かれていて「こんな働き方があるんだ」と驚きました。もう一人は公衆衛生を専門にしている先生。「公衆衛生をやりたいなら、まずは現場で臨床を経験した方がいい」と言われたのです。その言葉も心に残り、「まずは臨床で考えてみよう」と思い、学会終了後すぐに、離島での研修もできる沖縄県立中部病院の見学を申し込みました。
そして沖縄県立中部病院で初期研修を受け、念願だった離島勤務が実現。私は久高島という離島で2年間働かせていただきました。
—実際に離島で働いたことでどういったことを感じましたか?
まず、思っていた以上に島での生活から教えてもらうことが多く、まさに「島に育ててもらった」感覚です。私は東京育ちで都会の暮らししか知りませんでした。いわゆる「田舎の暮らし」は初めての経験だったのですが、そこにこそ日本の本当の豊かさ残っていることを感じ、大きく価値観が変わりました。
これは医療にも言えます。医療はあると安心ですが、本来はなくても健康で豊かな生活が成り立つことの方が大事ですよね。それを支えるのが医療。みんなが健康で豊かに幸せに暮らしていたら、さほど医療は必要ではない。暮らしの方が大事なんだと改めて実感しました。
—その後、島根県に行かれています。どのような経緯からだったのですか?
離島研修2年目に入り、その後のキャリアをどうしようか考えていた時、突然長嶺先生から「島根に矢田明子という人が、医師を探しているらしいから行ってみたら?」と連絡をいただいたのです。
島根には縁もゆかりもなかったのですが、矢田さんから暮らしの中に「おせっかい」を増やして健康を支えていく「コミュニティナース」の活動を教えていただきました。そのコンセプトが自分の考えに合っていたこと、矢田さんを含めて面白い方々に出会ったことから、行くことを決めたのです。初めて見学に行った時、空き家も紹介されてその場で家も決めてきてしまいました。
コミュニティナースの活動には半年ほど携わり、その後東京に拠点を戻しました。東京にある実家のクリニックを手伝ってほしいと言われたことがひとつの理由です。東京に戻ってからも1年間は研究のためのデータ収集で、東京と島根を行き来していました。
—地方での活動にやりがいを感じられていたと思うので、東京に戻ることに迷いはありませんでしたか?
確かに迷いはありました。私たち夫婦はひとつの場所に長くいるより、遊牧民のように常に動いているタイプ。実家のクリニックを継ぐと完全に決めたわけではなく、まずは手伝うために戻ってきました。クリニックのことも含め、今後のことはこれから考えていくつもりです。しかし戻ってきたからこそ、小平市での新しい活動を始めることになりました。
—有路先生はフットワーク軽く、興味のあることに取り組みキャリアを築いている印象があります。ライフイベントとキャリアの両立のために工夫したことがあれば、ぜひ教えていただきたいです。
幸い私の場合は夫が非常に協力的で、「面白そうなら一緒に行こう」というスタンスなので実現できているのだと思っています。妊娠・出産も不思議と拠点を移すタイミングに合い、たまたまパズルのピースが上手くはまり、これまでの活動を続けてこられました。
—では、キャリア形成の過程で悩んだり迷ったりしたことはありますか?
私のキャリアは全て、人との出会いによって形成されています。必要な時にはご縁が生まれていたので、正直あまり悩んではいません。次のステップや課題にどう対応するかは考えてきましたが、自分でキャリアを探したというより、ご縁に導かれてきた感覚ですね。ピンときたものは結果的に全て正解でした。
ただ、初期研修の時は悩みました。沖縄県立中部病院で初期研修を始めると、内科より外科が得意だと気づいたんです。「外科も行ってみたいし産婦人科にも興味があるし、でも離島医療にも携わりたいからどうしよう……」と悩んでしまったんです。最終的にピンと来て選んだのは、「翌年休む」という選択肢でした。
休職中はボランティアでヨルダン、マーシャル諸島、ハワイに行きました。その後、中部病院で後期研修に進みましたが、事情があり降りることになり、そこでまた大きく悩みました。離島医療にはどうしても携わってみたかったので、上司に相談すると「離島は常に人手不足だから行ってほしい」と言ってくださり、家族3人で久高島に行きました。
◆今後の展望とメッセージ
—今後のビジョンはどのように思い描いていますか?
4年間地方で暮らしてみて、人との温かいつながりや、自然・文化を大切にする姿勢に驚きました。そして、その中で人が営み、子どもが育つ。そういった日本の「本当の豊かさ」は地方に残っていると思いました。ですが地方では人口が減り、都市部への一極集中で大事なものが失われているとも思います。だからこそ、都市と地方が循環していくような社会の形になっていったらと思います。
例えば、素材にこだわり手間をかけて米や麺を作っている人の営みを東京で紹介し、人が時々、地方へ足を運ぶ。そうすることで、地方にある「真の豊かさ」を伝えられるのではないかと思っています。そして人の往復が生まれれば、地域の誇りと健康を育てられるのではないかと思います。
—最後にキャリアに悩む後進へのメッセージをお願いします。
私のキャリアは珍しいと言われることが多いので、参考になるかは分かりません。しかし、自分の好きなことを大事にしてきたら、今のキャリアにしっかりつながっていました。変化の激しい時代だからこそ、今までの常識やレールがどんどん変わり、通用しなくなる可能性もあります。「医師だから絶対に大丈夫」とは言えない時代です。だからこそ人の意見に惑わされず、自分にとって「ピンとくるもの」を大事にしながら人生を歩んでほしいですね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2025年10月28日