「生きていてよかった」と思う援助の提供
―今取り組まれていることについて教えてください。
横浜市瀬谷区に「めぐみ在宅クリニック」を開業して10年。最も苦しんでいる人の力になりたいと思い、在宅診療で緩和ケアに取り組んでいます。在宅での看取り件数は去年1年間で271件、新規訪問依頼は月に40~50件。現在、常勤医は6名、非常勤を合わせると15名体制です。2年半ほど前からは、「ディグニティーセラピー」も取り入れています。日本ではまだ、ディグニティーセラピーを取り入れている医師はあまりいません。
残り1,2カ月という時間が限られた患者さんに、どんな希望があるでしょうか。お墓参りに行きたい、何かやり残したことがあってそれをしたい、兄弟仲が悪かったけれどもう一回会いたい――。どのような希望でもいい。いくらでも出てきます。それらが「支え」になります。ディクニティーセラピーでは、その支えを一つずつ丁寧に言葉にすることにこだわっています。
そして昨年「エンドオブライフ・ケア協会」を立ち上げ、そのように看取りに関わる人材を育成しています。「エンドオブライフ・ケア援助者養成講座」では2日間で、一対一のやり取りをロールプレイで行い、体験し落とし込んでいきます。昨年7月から今年の7月までに合計14回、約800名の修了生がいます。北から札幌・仙台・東京・横浜・名古屋・大阪・福岡の7か所で開催してきました。
―この仕事の魅力はどのような点にありますか?
解決が困難な苦しみを抱えた人が、「生きていてよかった」と思える援助が提供できることです。「役に立たない」「家族に下の世話になるくらいなら早く死んでしまったほうがいい」「苦しくて自分が好きになれない」。そんな人がこの仕事の関わりを通して、ただ単に苦しむのではなく、苦しむ前には気付かなかった大事な「支え」に気がつく。すると、たとえ間もなくお迎えが来る状況の中でも、「生きていてよい」と自己肯定できる。その可能性がある。こんな魅力的な仕事は他にありません。
もう一点は、患者さんや家族だけが学ぶのではなく、関わる私たちも学べることです。ただ痛みを和らげたり、死亡診断書を書いたりするためだけに患者さんのお宅に行くわけではありません。十人十色、百人百通り、患者さんの人生からさまざまなことを学ばせていただけるのです。
治すことのできない病を抱える人の力になる
―どのような経緯で緩和ケアに携わることになったのでしょうか?
「どんな時が幸せか」と考えたとき、お金、有名、という一人称の幸せは必ず限界があります。本当の幸せは、自分がいることで他の誰かが喜んでくれること。そんな仕事に就きたいと思い、日本で最も苦しむ人の力になれる職業として医師を選びました。そして、生まれも東京、大学も東京でしたが、東北6県の中で最も人口あたりの医師数が少ない山形県で循環器科を学び、救急医療に携わっていました。
しかし苦しむ人がいるのは、何も医療過疎地だけではありません。治すことのできない病気を抱えた患者さんこそ最も苦しむと考え、一転「治す治療」から「治せない治療」にシフトしました。当時、治すことのできない病気を抱えた患者さんに誠実に関わり、きちんと力になれる人はほとんどいませんでした。「だったらそれを学びたい。」そう思い緩和ケアの道を選びました。
そして今から22年前、まだホスピスが全国に10か所あるかないかという時代に、神奈川県で唯一ホスピスを設置し活動していた横浜甦生病院に来ました。これが一つの転機です。
横浜甦生病院に来て2,3年目から関心を持っていたのは「スピリチュアルケア」でした。多くの人は「死は怖い」と認識するでしょう。でも、中にはそうでない人もいます。そのような人がそう思うのは「支え」があるからなのです。「支え」には死を超えた将来の夢や、今のような状況でも支えてくれる誰かの存在、宗教的な支えもあるでしょう。そのような「支え」を一つずつ言葉にしていくということを、この頃から始めていきました。
―「めぐみ在宅クリニック」を開院した理由を教えていただけますか?
どこに住んでも、どんな病気でも安心して最期を過ごせる社会が一つの夢です。しかし現実は、看取りに関わる仲間をもっと増やさなければなりません。看取りについて学べる場をもっと全国に配置する必要があります。そんなさまざまな活動は、勤務医ではなかなかできませんので開院を決意し、看取りに関わる人材育成に本腰を入れました。
本当の意味での地域包括ケア
―さらに多くの仲間が必要と思った理由を、もう少し詳しく教えていただけますか?
入院したくてもベッドがない。入院しても1週間で退院です。一人暮らしの高齢者でも、自宅に帰します。そのような高齢者が増えていく中、誰が動くのでしょう。今のままでは在宅医療は悲惨です。また、介護業界は圧倒的な人手不足の状態です。その状況に向き合うには、仲間を増やすしかありません。
これからの時代は、介護施設を含めた自宅で、そして地域で看取らなければなりません。病院のような専門職の集まる場所ではないのです。それにこれは一部のエキスパートだけしかできないものではありません。子どもも含めて全員、誰でもできます。
医療を専門にしない方たちにどのようにして関わるのかを伝え、ボトムアップしていく。今頑張っている地元の方々、孤軍奮闘しているみなさんが集まり、経験を分かち合う。そして看取りに苦手意識を持っていた方が、看取りに関わってもよいと思えるような文化をつくる。そうして仲間を増やしていければと思っています。
―そのためになさっているのが今の活動ということですね。
楽しい話だったらいいですが、命が消えていく現場です。そこをどう魅力あるものとして言葉にし、仲間を増やすだけの企画が立てられるか。それが大事だと言う人は10万人いるかもしれません。それを企画書レベルまで落とし込む人は1000人くらい、それを実行する人は10人くらいでしょうか。私はその10人のうちの一人だと思っていますし、文化をつくるくらいの覚悟で取り組んでいます。それくらいの覚悟がなければ、本当の意味での地域包括ケアは進みまないと思っています。
これらは、あくまでもまだ発展途上のエピソードなのです。自分のやりたいことが10あるものの2か3しかできていません。今年度の目標として、モデル地域でこのような取り組みを実際にコントロールさせながら走らせ、その地域がどう変わっていくか検証します。行政と医師会の協力を得ながら試験的に行い、それが順調にいけば全国展開をしていく予定です。どのような活動でも土台にあるものは、治すことのできない病を抱えた人の助けになるため、看取りに関わる人材を育成してくということです。