大学病院の経営改善と人材の育成に寄与
―現在、どのようなことに取り組んでいるのですか?
2018年4月より千葉大学医学部附属病院で、2つのことに取り組んでいます。1つは、大学病院の経営改善です。病院の収益の多くは診療報酬から得ているので、実際の診療内容に十分に見合った報酬が得られているのかを各部門と一緒に考え、病院の安定的な経営につなげています。
もう1つは、病院の産業医としての仕事です。現在、千葉大学医学部附属病院に在籍するおよそ2700名の職員のうち、大多数を占める医療専門職のメンタルヘルス対策や復職支援、健康管理、労働環境の巡視などを行っています。現状では病院側の支援体制も、職員一人ひとりの自覚も心許ないというのが現状です。そのため職員のみなさんが長く健康に働くことを当たり前に達成できる大学病院をつくるために、積極的に働きかけています。医師や看護師が「職場に行きたい!もっと病院を良くしたい!」と思える病院であるほうが、患者さんに対する医療サービスの質の向上につながると考えています。
また、大学病院での仕事とは別に、千葉県庁の健康福祉部医療整備課に籍を置いて、県内の医療提供体制を充実させる活動も行っています。千葉県は人口当たりの医師数が全国で下から3番目に低い県。深刻な医師不足の問題を解決するためには、魅力的な病院・職場づくりや、魅力的な医療専門職の育成が欠かせないのですが、一医療機関の取り組みだけでは限界があります。やはり行政がこうした目的をもって、じっくりと腰を据えて政策を立案しながら取り組むことが必要です。
現在、地方分権により、厚生労働省から全国の都道府県に対して次々に医療政策の権限が委譲されているものの、千葉県に限らず都道府県側には十分な経験を持つ職員は限られてしまいます。私は厚生労働省に医系技官としておよそ3年間在籍し、政策立案や制度設計などに携わる機会を得ました。その経験を少しでも活かせればと考え、これまでの医療現場と厚生労働省の経験をもとに医療政策の立案の支援とお手伝いをしています。
具体的にはキャリアコーディネータという役職を得ています。県内の医師数の充実に向けた方策・アイデアを提案しながら、「県内の医療機関経営者」、「医師の教育プログラム責任者」そして「若手医師・医学生」という、人同士をつなげる動きをしています。そのために、まずは千葉県の医師就学資金制度の受給者約300名の若手医師・医学生たちと個別に面談を進め「選考したい診療科」「目指すキャリアプラン」「将来実現したいこと」などを相談して千葉県内の医療機関でやりがいをもって働けるように、キャリアプランを一緒に考え、個別にマッチングを図っています。精神科医のとしての経験も生かしながら、個別のキャリア実現を支援する。これはとてもやりがいのある仕事です。
―それぞれの活動では、どのようなところが大変ですか?
千葉大学医学部附属病院での仕事でいえば、病院の経営を改善するために、医師一人ひとりに働きかけ、新たな経営改善策の重要性を理解して運用を徹底してもらうこと、これが一番のポイントです。現場にはさまざまな考え方や価値観があり、各職員には適性や負担感に差があります。自分もそうでしたが、その中で満足感や逆に不安を抱えながら働いている。医療専門職は、ある意味で想いや感情をベースに仕事に向かう集団とも言えます。そのため、淡々と事務的に依頼するだけでは物事は前に進みません。根気強くコニュニケーションをとり「あいつが言っているのだから協力してやるか」「困っているならちょっと手を貸してやろうか」と思ってもらえるような存在を目指しています。
それによって、実際に院内で診療を行っていたにもかかわらず十分に診療報酬が算定されていなかったケースなどで、現場の職員から積極的な協力を得て改善を実現しました。部署間の協力で、年間数千万円の収益を確保することができることが分かりました。
千葉県庁でのキャリアコーディネータの仕事では、イチから若手医師・医学生たちの関係づくりに取り組みました。これまで、就学資金受給者たちには奨学資金の貸し付け行うだけで、キャリア形成や県内での診療の支援についてはあまり積極的に行えていなかったのです。やはり医師を動かすのは、仕組みではなく「人」です。医師は一人ひとり仕事への想いや願いを持っているので、医師同士を繋ぎ、その実現に向けてフォローしていくことが大切なのです。この仕事は一人のキャリアコーディネータでは実現できないので、県内の医師から希望者を募り、様々な診療科・年代・性別からなる、若手を支援する医師集団を組織しています。これからが楽しみです。
成果も出ています。千葉県内には多くの医師不足の地域があるのですが、今年3月までは医師就学資金制度に沿って派遣された医師は0人でした。それが今年4月より若手医師・医学生に関わるようになってから、現在までで複数名の医師の配属が内定しました。やはり一人ひとりの希望と地域の病院を丁寧に繋いでいけば、地域で働くことを希望してもらえることを改めて実感しました。
症状を改善するだけでは患者を幸せにできない
―かつて先生は医系技官をされていましたが、それまでのキャリアを教えていただけますか?
医師を目指したのは、ダウン症候群の弟が小児科への通院や入院を繰り返すのを見ていたのがきっかけです。医学部の入学当時は小児科などで身体疾患を診る医師になりたいと思っていました。しかし、医学生・医師として経験していくと少し考え方が変わってきました。障害があっても弟本人はニコニコして過ごしています。家族にとって、障害のある家族を持って何が困難かというと、例えば本人の進学に制限があったり、思うような就職ができなかったりと、社会適応していくときに問題が生じることです。
そこで、私は疾患と付き合いながら社会適応にこだわる医師になりたいと思い、そこに重きを置いている精神科に進むことにしました。医師という立場で相手の人生に関わることで、その人の考えや行動が変化していくことにやりがいを感じました。さらには、精神科的な症状がなくなるだけでは、その患者さんが回復したとはいえず、「学生なら大学に戻る」「社会人なら職場に復帰する」というように、与えられた社会的役割を果たせるようになって、初めて良くなったと言えることに気づいたのです。誰であれ、朝起きて行く所がある、やる事があるというのはとても大切です。
それからは、診察室から会社・事業所にフィールドを拡大し、産業医としてメンタルヘルス不調者の職場適応をお手伝いしましたが、これもとても面白かったんですね。もう少し幅広い視点で医療や社会保障制度の仕組みを学びたい考え、医師5年目に東京大学大学院医系研究科公共健康医学専攻(公衆衛生大学院)にも進学しました。そして臨床現場とは異なる公衆衛生の視点を持つ重要性を知りました。ここで得た知見はその後、厚生労働省で働く際に大いに役立つことになります。公衆衛生大学院を1年間で修了したのち、一旦精神科臨床に戻って、精神科専門医・精神保健指定医を取得しました。
精神科医として再び臨床に取り組むと、やはり一医師ではどうしようもできない現実に直面したのです。それは、ある精神科病院で、入院して45年間になる患者さんを担当したときでした。とうに精神症状も改善しているのに、実際にはその患者さんを退院させることができなかったのです。家族の受け入れや長期入院が妨げられない医療制度や診療報酬の問題など、いくつかの要因が考えられました。この経験によって、もっと医療の仕組みそのものを変えないと、臨床現場を変えることは難しいという問題意識が芽生えました。言うまでもなく医療は強烈な規制産業で、官庁の役割はとても大きい。医療制度の枠組みや人材育成などを統括している厚生労働省にて、問題解決に関わりたいと思うようになったのです。
―そこから、なぜ千葉大学医学部附属病院に入職されたのですか?
厚生労働省医系技官としては診療報酬に関わる保険局に着任し、レセプト情報等データベース(NDB)を活用して制度設計を行う担当となりました。その中でNDBオープンデータを作成して保険診療の情報公開に取り組み、データ分析による医療の可視化のすそ野を広げました。同時に医療のデータを分析して政策立案につなげてゆく体制、人材がまだ足りないことを実感しました。そこで厚労省の一部である研究機関・国立保健医療科学院の主任研究官として、医療経済分析の領域でデータ分析と活用する側に回りました。その後「官」の範囲を超えて、臨床現場により近く、人材育成に広く取り組める場所として大学病院の場で取り組みを続けようと思いました。
今まで一貫してこだわってきたのは「医療の持続可能性」です。この持続可能性には3つの側面があります。1つ目は「制度」、2つ目は「医療機関」、そして3つ目は「働いている人」。この3つの持続可能性を実現しないと、日本の医療は成り立ちません。
医系技官時代、1つ目の制度維持には短期集中で取り組めましたし、現在も千葉県庁の仕事として関わっています。2つ目の医療機関の維持は、現在千葉大学医学部附属病院の経営改善や、関連病院の役割分担や任務の明確化などを進めています。そして、最後の「働いている人」のサポートは、産業医としての活動、そして千葉県キャリアコーディネータとして取り組んでいます。「仕事に誇りを持って、楽しむ 」 そう考える人がもっと増えればと良い医療を生み出すことができます。そういう想いをもって、千葉大学や千葉県庁での仕事に取り組んでいます。これらのことが医療現場でどう変化しているのか体感することは重要。そのために現在も精神科診療を続けています。
強い人材やチームをつくるために
―今後、どういったことを進めていきたいですか?
一度成功体験をチームで共有できると、チームはすごく強くなります。大学病院では、そういうことをみんなが経験できるような環境をつくっていきたい。そのためには、1つひとつの部署と向き合って、課題を1つずつクリアしていくしかないと思っています。そして、一緒に仕事をすることで想いを共有できる人を増やし広げていきたいですね。
1つのチームとしてまとまれる人数は、恐らく多くて10~20名前後です。当院にはおよそ2700名が在籍しているので、100くらいのプロジェクトが花開き、メンバーが成功体験を積められれば多くの職員が成功体験を持ちながら働ける病院になりえます。私自身、ここ半年で6プロジェクト程に関わりました。5年間あれば50プロジェクト、半分ぐらいの人と想いを共有でき、組織を変えることにつながると思います。まずは5年、それが1つの目標です。もちろん1つの大学病院の持続可能性だけ考えても、世の中は良くならないので、その間に得られた知見を他の病院にもどんどん共有・展開していきたいと考えています。現在、「ちば医経塾」を通じて人材育成、ノウハウの共有を行っています。
チームで動くとき職種は多様ですが、新しいことをやりたいという興味や、長い目で医療を良くしたいという気持ちを胸に持っている人が実は大部分です。一緒に議論し行動するのはとても面白いですし、そういう仲間や活動を広げていきたいと思っています。
―個人的には、どのようなことを目指していますか?
「医」という文字には、元来「おまじないや薬など、いろいろな方法で人を良く変化させる」という意味があります。医師法第1条には「医師は(中略)公衆衛生の向上及び増進に寄与し」とあります。人を良く変化させる、さらには人々の集団や社会を変えてゆくのが医師の本務だと思っています。日頃から周囲に言っているのは「解説ではなく、解決しよう」ということ。医療現場で起こっている問題を解決する、つまり課題を突破する「一人目になる」ことです。他の人がやらないことをやるので、とても勇気が必要ですが、医師であるからにはそういう行動を選択してほしい。従来の慣習にとらわれずに課題を解決し、多くの医師が「自分の頭で考え、リスクを取って行動する」面白さを感じられるよう、若手が互いに学べる場を提供し、勇気ある行動をどんどん後押ししていきたいと思っています。
(インタビュー/北森悦、文/西谷忠和)