coFFee doctors – 記事記事

東京と宮城県松島町を行き来する医師の考え

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 1

記事

自宅は東京都内、勤務する診療所は宮城県松島町にある松島海岸診療所の小松亮先生。東日本大震災から4年後、思い切って宮城県での診療、そして家庭医教育に携わることを決めた小松先生は、宮城県でどのようなことを実現したいと考えているのでしょうか?

◆宮城県で家庭医として役立ちたい

ー現在、どのような活動をしているのか教えていただけますか?

現在は、東京の自宅と宮城県松島町を行き来しながら、松島海岸診療所の所長として勤務しています。また、当診療所は「みちのく総合診療医学センター」という家庭医や総合診療医を育てるための育成プログラムの研修先の1つになっています。そのため、プログラムを専攻しているレジデントの教育にも携わっていますね。

ーなぜ、東京と宮城県を行き来する働き方を選択されたのですか?

きっかけは、東日本大震災でした。父の故郷が宮城県石巻市で、子どもの頃からよく遊びに行っていました。そんな父の実家も津波の被害にあい、親戚も被災。その状況を見て、「石巻に行って、医師として何かできるのではないか、何かしたい」と強い衝動に駆られたのです。

ところが、当時は東京都武蔵村山市にある伊奈平診療所(現・大南ファミリークリニック)の所長をしていました。クリニックにかかっている多くの患者さんを、簡単には他の医師に託すことはできません。「自分の今やるべきことは、今の診療所での診療をしっかり続け守っていくことだ」と、ある意味自分を納得させて診療を続けていましたが、宮城県で医師として役に立ちたいという思いが消えることは、全くありませんでした。

ーでは、宮城県での勤務をすることになった直接のきっかけは何だったのですか?

そのような思いをずっとくすぶらせていた時に、私が家庭医として研鑽を積む過程でお世話になった藤沼康樹先生が宮城県で、家庭医や総合診療医の育成プログラムのサポートをしていることを知ったことです。それがみちのく総合診療医学センターなのですが、藤沼先生は東京での診療を続けながら、宮城県と行き来ししていました。

それを知って「藤沼先生に教えていただいたことを活かせば、東北地方の家庭医療底上げや、研修制度充実のために自分も役立てるのではないか」と思ったのです。そして、自宅は東京のままでも、宮城県との往復は可能なのではないかと考え、思い切って松島海岸診療所に赴任することにしたのです。

◆あらゆる世代のあらゆる疾患を診たい

ーでは、家庭医を選択するまでのキャリアを教えていただけますか?

私は杏林大学を卒業後、全日本民主医療機関連合会に属している立川相互病院で初期研修を受けていました。もともと学生時代から外科系よりも内科系のほうが向いているとは思っていましたが、さまざまな診療科をローテーションしてみると、欲張りにも、どの科にも興味を持っていましたね。

そんな時、ちょうど私が後期研修を受ける年度から、立川相互病院にも家庭医療プログラムが立ち上がることになりました。家庭医療なら、あらゆる年代の患者さんをカバーできますし、診療の幅も広い。自分のやりたいことに合っているのではないかと思い、家庭医療の道に進むことを決めました。

立川相互病院での研修を終えた後は、同病院の関連診療所である伊奈平診療所に副所長として赴任。半年後には所長に就任して5年間半務めました。そして2015年4月、松島海岸診療所に赴任しました。

◆同じ志を持った仲間を増やし、家庭医を広めたい

ー先程、「家庭医療の底上げや、家庭医育成の研修制度の充実に役に立てるのではないかと思った」とおっしゃっていましたが、もともと教育に携わりたいという思いも持っていたのですか?

そうですね。やはり家庭医は、今後ますます重要になってくると思うので、同じ志を持った家庭医を増やしていきたいという思いがあります。

どの地域も同様ですが高齢化が進み、患者さんの多くが多数の疾患を持っています。そのような患者さんをまず地域の診療所で家庭医が診る、そして必要がある場合には専門の医師につなぐ、というシステムが地域の方々の健康を守っていくためには重要と考えています。

実際、こんな事例がありました。長年、糖尿病を患い病院を受診していた高齢の患者さんが、ある時家でやけどを負い、その病院に入院することになりました。退院後は松島海岸診療所で診ることになったのですが、引き継ぎ後、認知症が進行していたことでやけどを負ったことが分かったのです。

長年病院にかかっていましたが、認知症のケアが十分ではなかった結果、やけどに至ってしまった。早期の段階で地域の診療所で認知症を察知し、訪問看護やヘルパーなどのチームでケアを始めていればこのようなことにはならなかったと思います。このような事例は、松島町だけでなく、宮城県そして全国にもたくさんあると思います。

医師としてこのようなサポート体制を考えていくには、地域に根ざした家庭医が最適だと思います。ですから、家庭医療に興味を持って進んでくれる医師が増えたらと思い、家庭医療の教育に携わっています。

ー今後は、引き続き今のように東京と宮城県を行き来する働き方を続けていくつもりですか?

このようなスタイルをいつまで続けていくかは、正直今は分かりません。しかし松島町、そして宮城県でできることは、可能な限りやっていきたいと思っています。

自分自身が家庭医として診療をしていくこと、そして家庭医療に興味を持って同じ志を持っている若手医師の育成に携わっていくことはもちろんですが、同時に一般の方にももっと家庭医を知ってもらいたいと思っています。

松島町には、私が赴任したことで少しずつ家庭医の存在を知ってもらえるようになってきましたが、宮城県さらには東北地方に視点を広げると、まだまだ認知度は低いです。しかし「身近な存在で何でも相談に乗ってくれる医師=家庭医」ということを知ってもらえれば、より地域で安心して暮らせるようになると思うのです。そのためにできることを続けていきたいですね。

  • 1

医師プロフィール

小松 亮 家庭医

松島海岸診療所所長 / みちのく総合診療医学センター副センター長
東京都出身。2004年杏林大学医学部を卒業。立川相互病院にて初期研修、家庭医療後期研修修了、2009年より東京都武蔵村山市にある伊奈平診療所(現・大南ファミリークリニック)に勤務、所長を5年半務める。2015年4月から松島海岸診療所に勤務を開始、現在に至る。

小松 亮
↑