緩和ケアが対象とするのは全ての人
緩和ケアというのは、どのような治療なのでしょうか?
緩和ケアは、患者さんやご家族が感じるさまざまな痛みや苦しみを和らげる治療を指します。日本では緩和ケアというと、終末期のがん患者さんだけが対象になると思われがちですが、それは誤解です。私が勤務する亀田総合病院では、がんも終末期も関係なく、苦痛を抱える全ての患者さんとご家族を緩和ケアの対象としています。世界保健機関(WHO)による定義でも、がんとか終末期とか、そういったことは一言も書かれていません。
痛みの原因はさまざまです。身体的な要因だけでなく、心理的、社会的、スピリチュアルな要因などが複雑に作用して起こるといわれています。私たちは、これを全人的苦痛(トータルペイン)と呼んでいます。がんやけがなどで特定の部分に痛みがあるときに、痛みを感じにくくさせたり、逆に、よりつらくさせたりする要因もあります。緩和ケアでは、薬以外にもそういった要因を加味して、患者さんと一緒に治療を考えていきます。
患者さんと向き合う上で大切にされている事は何でしょうか?
まずは、話をよく聴くということでしょうか。入院患者さんのお部屋に伺うときは、小さい椅子を持っていきます。それに座ると、ベッドに寝ている患者さんとちょうどいい距離感になるんです。わざわざ「今日はゆっくり話を聴きます」と伝える必要もありません。
あとは、忙しそうにしないことです。患者さんが多く集まる病院では、実際に医師が忙しいということもありますが、日本の患者さんはたいてい病院の先生に遠慮しています。そこで緩和ケア医である自分が忙しそうにしていたら、居る意味がなくなると思うので……。
大切なのは、話し合いの過程
アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning:ACP)とは、一体どのようなものなのでしょうか?
ACPというのは、病気や事故、あるいは年齢を重ねていく過程で、意思表示ができない状態になった場合に、どんな治療を受けたいか、また、受けたくないかなど、自分が大切にしている価値観をあらかじめ大切な人たちと話し合っておくプロセスをいいます。最近では「エンディングプラン」や「エンディングノート」といったものも目にしますが、それらもACPに含まれるものです。
緩和ケア業界でも注目されているACPですが、実際にACPをきちんと行えている人は、医療者でも一般の方でもまだ少ないのではないでしょうか。今の日本では、死そのものや、自分がどのような最期を迎えたいかということについて、元気なうちに話し合っておく習慣がなく、「縁起でもない」と言って敬遠されがちなところがあります。しかし大きな病院では、人工呼吸器を付けるかどうかというような命に関わる重要な治療方針を、急いで考えなければならない状況が頻繁に起こります。しかも、本人ではなく周りの人がその場で決めなければいけません。
日本では、一度付けた人工呼吸器は簡単には外せない現実があります。端的にいうと、必要なくなるくらいまで回復するか、亡くなるかのどちらかでないと外せないのです。「わからないから、とりあえずやってみて……」という、お試しのようなことも難しい。
意識を失っている方が若くて働き盛りであれば、本人の希望を推測しやすいので、あまり迷うこともないのかもしれません。でも寝たきりの方や高齢の方だと、本人がどのような治療を望んでいるのか、普段から話していなければ家族もどうしたらいいのかわからない。もちろん医師にもわかりません。そうなると、できる治療をやらないわけにはいきません。後悔しない選択をするためにも、事前に話し合っておくことがより大切なのです。
病院として行っている取り組みはありますか?
亀田総合病院では、意思決定支援という形でACPに取り組んでいます。その一つとして、病院所定の「事前指示書(Advance Directive)」があるのですが、これは意思表示ができなくなったときに備えて、具体的にどんな治療を望み、どんな治療を望まないかを紙に書いて残しておく、というものです。
事前指示書もエンディングノートも、自分一人で何回でも書くことができます。でも、それをこっそり隠し持っていてはダメなわけで、家族や親戚など、もしもの場合に自分の意思を代弁してくれる誰かに、きちんと伝えておく必要があります。さらに、伝えられた人もそれを理解し、納得していないといけません。
人の気持ちは変わるものだから、一回話せばそれで終わり、というわけにはいきません。継続して話していく必要があります。だからこそ話し合いの「過程」が重要なのです。細かい治療方針だけではなく、「なぜそれを望むのか」という価値観や生きがいを、家族や親戚にも理解しておいてもらうことが大切です。エンディングノートは一人でも書けるけれどACPは一人ではできない、といわれるのはそういう理由からです。
また、患者さん自身が自分の最期について真剣に考えていても、家族や周りの人がそれを受け入れる準備ができていないこともあります。運動会のリレーと同じで、バトンを渡す側だけでなく、受け取る側の準備も必要なのです。しかし先ほどの通り、日本ではまだ「死」に関する話はネガティブな印象が強いので、家族でも親戚でもない第三者の病院スタッフから「そろそろこうした事も考えましょう」と切り出すのは非常に難しい。場合によっては患者さんやご家族に不愉快な思いをさせたり、不安をあおったりすることにつながりかねません。私がACPの普及活動を始めたのは、多くの人がもっと気軽に、そういうことを考えるきっかけを作りたいと思ったからなんです。
○最期まで精いっぱい生きるため前もって死に方を考える(Lohas Medical)
http://lohasmedical.jp/e-backnumber/110/#target/page_no=29
「縁起でもない話」を「普通の話」にしたい
具体的には、どのような形で普及活動をされているのでしょうか?
今のところはワークショップを開いたり、講演を行ったりというありふれた形ですが、企画の中に楽しさを取り入れることを意識しています。そんなことは知らない、考えたくない、考える必要があるかどうかわからない、という人がほとんどという前提でスタートしているので、まずは気軽に足を運んでもらい、重要性に気づいてもらってから、だんだん核心に迫っていければいいかな、と。この活動を通して、年齢・職種を問わず、ACPを「縁起でもないこと」から「当たり前のこと」にできるような環境を作りたいと考えています。
最後に読者の方へのメッセージをお願いします。
私がACPの普及活動を行っているのは、「もしもの場合」のためだけではありません。ACPについて考えることは、自分にとって大切なもの、すなわち、自分の価値観と向き合うことでもあります。それによって今をより大切に思えたり、今生きていられることに感謝できたりするかもしれません。10年20年先の準備というよりは、今どう生きるかを考えるという意味で重要だと思っています。
全ての人にこれが必要だ、と押し付けがましいことを言うつもりはありません。でも、ふとしたときに、そういう「縁起でもない話」を「普通の話」として、大切な人たちと話し合ってもらいたい。その準備運動になるような活動を続けていきたいと思っています。もし興味があれば、私たちの企画するワークショップにもぜひご参加頂けたら幸いです。