臨床も経営も「医師としての仕事」
まずは「MedPeer」について教えていただけますか?
MedPeerは医師限定の会員制サイトです。現在の会員数は約7万4000名ですので、だいたい4人に1人の医師がMedPeerの会員ということになります。サイトでテーマとしているのは「集合知」です。インターネットの力を使って、一人一人の医師の経験を時間や場所や診療科を超えて集め、それを「集合知」として精製して他の医師に還元していくようなサービスを展開しています。
その具体的なものが5年前から提供している「薬剤評価掲示板」という薬の口コミサービスです。これは分かりやすくいうと、薬の食べログのようなものですね。一人一人の医師が薬を処方したときに得た実感を集めて、会員の医師が参照できるようにしています。薬に関する情報としては添付文書などもありますが、実際の診療の中で薬を処方する際には現場の経験から得られた生の声のほうが参考になることもあります。そこで、他の先生がどのような薬をどのような方針でどのような患者さんに使っているか、その薬についてどのような副作用が出やすいと感じているか、他の薬との違いはどのように考えているかなどといった情報をここで共有できるようにしているのです。
会社を経営する一方で、現在も臨床を続けていらっしゃるそうですね。その理由は何ですか?
今でも週に1回は病院で患者さんの診療をしています。やっぱり現場の医師であり続けたいという思いはありますね。そのほかの理由としては、将来EHR(Electronic Health Record:電子健康記録、医療情報連携基盤)の分野へも事業を進めていきたいと考えているので、診療現場の不足感を把握してそこから着想を得たいということもあります。実際にそのサービスができたときには自分自身が一番のヘビーユーザーになりたいと思っているのですが、臨床をやめてしまったら現場でそれを利用することもできないわけですし……。
MedPeerでは、各疾患の第一線にいる約300名のエキスパート医師に臨床の疑問を相談できる「Meet the Experts」や、オンラインで有名病院の症例検討会を体験できる「インタラクティブ・ケース・カンファレンス」といったコンテンツも提供しています。このようなサービスが成り立っているのは非常に多くの先生方にメドピアがやろうとしていることをご理解いただきご協力いただいているからです。当然、仕事の中でさまざまな先生にお会いする機会があるのですが、そのときに「もう医者はやめちゃったんだ?」と言われることがよくあります。でも「いえ、週1回は臨床をやっています」と言うと、お互いの距離が開かないんですよ。そういう副次的な効果もあるかもしれません。
このような事業を通して、私がいまメドピアという会社でやっているのは、現場の医師をサポートすることで患者さんを救うことだと考えています。「患者さんのために」という軸は臨床の仕事でも会社の仕事でも一貫しているんです。だから、週1回の臨床だけではなく会社の経営者の仕事も「医師としての仕事」だと思っています。
ミッションの原点にあるもの
医師という立場からは、この事業に対してどのような思いをお持ちですか?
多くの医師は世の中に向けて何かを発信していくことが苦手なように思います。一人一人は良い意見を持っているのですが、それを集約していくこともあまり得意ではないですね。そういうところがあるために、世の中との間に情報や考え方のギャップが起こっているのではないかと思っています。
この状態をなんとかできないかということは会社を起こす前から考えていました。医療不信の全盛期だった創業前の当時、世の中では医師がバッシングされていました。自分も周りの医師も、患者さんのために週末もなく必死で働いているのに……。そこにある大きなギャップに憤りを感じていました。
自分の中のウェブに対する潜在的な信頼感は、その頃からあったような気がします。当時はウィキペディアが百科事典より精度が高いと話題になり、インターネットの力で一人一人の言っていることがウェブに集約されていくような世界に注目が集まり始めた時でした。そういう世界は、力のある一人の代表者が物を言う世界とは、対比的な部分がありますよね。その対比は「直接民主制」と「代議制」に似ているかもしれません。
世の中に向けて自分が発信していくことを考えたとき、「代議制」のような方法はないなと思いました。弁の立つ人だけがいても仕方がないと考えたんですね。それとは逆に、当時の医療不信の状況で仮に一人一人の医師の声を集めることができたとしたら、そしてそれを社会に向けて発信していくことができれば、世の中の人たちも医師が置かれている状況や医師の考えをもう少し理解してくれるのではないかと思ったんです。それがMedPeerをつくったもう一つの理由でもありました。
サービスとしてそれを実現させたのが当初からずっと続けてきている「ポスティング調査」です。ここで会員の医師に取ったアンケートの結果は世の中へも配信していますが、その結果をもとに何かしらの結論を出すことはしないようにしています。調査結果は「現場を映す鏡」であると考えているからです。ですから「メドピアとしてはこう考える」というような主張はしません。結局、答えは何も出していないわけですが、医師一人一人はこう思っているということを世間に知らしめることができれば何かが起きるかもしれないというのは、当時からずっと思ってきたことです。
臨床の仕事よりも経営の仕事に重点を置くことを選んだのはなぜですか?
1人の医師を育てるためには1億円の税金が必要だといわれています。自分は幸運にもそういう教育の機会を与えられたわけなので、社会に出たらちゃんと貢献しないといけないという考えが昔からありました。ですので社会に貢献できないような会社ならやらないほうがいいと思っています。だって、それなら臨床医をやっていたほうがずっと世の中の役に立てますよね。
ある時、循環器内科医として一生を過ごしたら何人の患者さんを治せるのかを試算してみたことがあるんです。正確には覚えていませんが、確か10万人ぐらいだったと記憶しています。10万人は自分の手で治すことができる。それはもちろんすごく濃厚な10万人です。
一方でちょうど同じころ、目の前の患者さんを治療する医療ではなく、間接的に患者さんを助ける医療もあるんだということを認識する出会いがありました。ある医系技官の方にお会いしてお話をうかがった中で、その方が国の仕組みを変えることで医療に貢献しようとしていることを知ったんです。そういう形で社会の役に立つこともできるのか、すごくかっこいいなと思ったのを覚えています。
その頃には、軽い気持ちで始めたサイドビジネスもそれなりに収益が上がるようになっていましたし、世間でソーシャルアントレプレナーという言葉がはやっていた背景もあり、それなら自分は官の立場ではなく民の立場から世の中にインパクトを与えようと考えました。「10万人を診る医師も必要だけれど、全体を変えていくような医師も絶対に必要だ。僕は目の前の患者さん10万人ではなく数千万人の人に影響を及ぼせるような会社をつくっていこう」と思ったんです。
医師をサポートすることで患者さんを救う。それによって社会に貢献する。原点にこういう考えがあるので、メドピアのミッションである「Supporting Doctors, Helping Patients.」から外れるようなことは絶対にしないと決めています。いくら医師が喜ぶものであったとしても、患者さんを置いていってしまうようなサービスであれば、メドピアでやるべきことではないと考えているんです。そのことは日頃から社内のメンバーにも伝えています。
実臨床に役立つものを提供し続ける
今後の展開について教えてください。
いま以上に診療現場に入っていきたいというのはありますね。臨床の中でなくてはならないサービスを提供していきたいと思っています。
最初にお話した通り、具体的に考えているのはEHRの領域です。考えてみると、これまでメドピアがやってきたことはソーシャルメディアをつくるということなんです。それを電子カルテの領域に統合させていきたいと思っています。電子カルテをメディア化したいと考えているんです。電子カルテは医師と医師、医師と患者さんをつなぐものになり得るはずです。イメージしているのは、従来、各施設のコンピュータに保存されていた電子カルテのデータ(EMR:Electronic Medical Record)がクラウド上のデータベースに置かれて、各医療機関の医師がこれを利用すると同時に、患者さんは自分専用のページから自身の検査結果や処方内容を閲覧することができる(Patient Portal)、さらにこれらを患者さん個人が持っているPHR(Personal Health Record)と連携させることも可能、というような形です。
あるべき姿として、自分のデータは患者さん自身が持っているべきだと思っています。「そのデータは誰のものですか?」と言ったら、それはやっぱり自分のものですよね。自分の体から取られたサンプルなわけですから。だけど、ビッグデータの話になるとそれを利用することばかりが取り上げられていて、そのデータを提供する患者さん側のメリットについてはあまり検討されていません。匿名化するにしても、自分のデータを提供するのであれば何らかの合理的な理由がほしいですよね。少なくとも自分はそう思います。
それを実現させることで、医療をどう変えていきたいと考えていますか?
影響というのは自分が決めることではなくて、結果だと思うんです。今イメージできるのは、あるべき姿に近づけていくことで何かしら大きなインパクトや影響を与えるかもしれない、ということぐらいですね。結果的にビッグデータが集まることになるので、それをもとにいろいろなことが展開されるようになるのかもしれません。全例調査だってやれるようになってくるかもしれない。そうなると医師が行う研究の仕方もずいぶん変わってくると思います。私がやりたいのは、そういう場となるプラットフォームをつくることなんです。
でも、プラットフォームビジネスをつくりあげるのって本当に大変なんですよ。MedPeerもいろいろな苦労があり、いろいろな偶然が重なってここまでできたと思っています。EHRについても必ずできるかどうかはわからないわけですが、そこへ行く過程でたまっていく資産というのは絶対にあると思います。実際にここまでやってきた中で、素晴らしいメンバー、場所、お金などの資産がそろってきました。今はいよいよそれらを使って新しいことに挑戦していく段階にいます。
今でもまだ自分がうまくいっているとは思っていません。ここまでやってくることができたのは、運が良かったこともあると思います。運が良かったからいい人と出会えたし、失敗もたくさんあったけれど戻れない失敗はしなかった。自分がまだすべてを経験したとは思っていませんが、普通の臨床医ではできない経験をそれなりにしてくることができたと思います。だからこそやっぱりこれからも、現場の医師に役立つものを提供し続けることで社会に貢献していきたいと思うんです。
インタビュー・文 / 木村 恵理