「がんの総合診療科」腫瘍内科を立ち上げる
―日本医科大学武蔵小杉病院に腫瘍内科を立ち上げてから5年が経ちました。まずは、腫瘍内科について説明していただけますか?
腫瘍内科は、国内ではかなり新しい診療科目です。諸外国では既に浸透していますが、日本では2006年にがん対策基本法が成立したことで、大学に腫瘍内科学講座が開設し始めました。しかし、講座を設けていない大学もまだまだあります。社会的な認知もあまり高くありませんし、医療従事者の間でも、正しく認識されていないと感じることがあります。
腫瘍内科医とは、よく誤解されますが「抗がん剤専門医」ではありません。もちろん抗がん剤も使用しますが、検査などの相談や診断、治療方針の決定、緩和ケアなどがん治療の最初から最後まで、がん患者さんをサポートやコーディネートすることが腫瘍内科医の役割です。ですから私は、「がんの総合内科」と説明しています。
腫瘍内科医は、単独ではがん診療を完結させることができません。手術が適切だと判断した場合は、外科医に依頼しなければなりません。そのため腫瘍内科医は、さまざまな科が交じり合ったチーム医療の中でこそ、力を発揮できるのです。
現在、腫瘍内科専門医がようやく1000人を越えましたが、国内のがん患者数を鑑みると5000人の専門医が必要だと言われています。ただ、なかなか若い医師が腫瘍内科の道に進んでくれません。そのことを、課題を感じています。
―その課題を解決するために取り組んでいることを教えていただけますか?
日本医科大学に腫瘍内科を立ち上げ5年が経ちます。ここで積極的に医学生や研修医を受け入れ、少しでも腫瘍内科に興味を持ってもらえるようにしています。また、メディアへの情報発信や著書を通して、少しでも認知を広げられるように啓蒙活動を行っています。
日本医科大学に来る前に勤めていた国立がんセンターには、初期研修医がいませんでした。そのため国家試験を合格したばかりの医師にも腫瘍内科の存在を知ってもらうために日本医科大学武蔵小杉病院の腫瘍内科立ち上げに携わりました。
がん治療の権威でも、抗がん剤治療が正しくない⁉
―どのような経緯で腫瘍内科専門医になられたのですか?
もともとは漫画「ブラック・ジャック」に憧れ、外科医を目指して医学部に入学しました。しかし大学に入って、実際に手術で治る患者さんはごく一部だと知り、思い描いていた将来像と現実のギャップに大きなショックを受けてしまいました。それから、治せない患者さんが多くいるならば、病気がありながらも最期までその人らしく過ごせるようなさサポートをしたいと考え、当時ターミナルケアと呼ばれていた緩和ケアや、心療内科に興味を持つようになりました。
大学卒業後は、緩和ケアに進むにしてもまずは基礎的な内科のスキルをつけようと、徳洲会病院で4年間研修を受けました。その後、がんについても総合的に学ぶべきだと考えて、国立がんセンター中央病院の血液内科にレジデントとして入りました。幅広くがんを扱えるようになりたかったので、自ら呼吸器科や消化器科、乳腺科も回り学んでいましたね。レジデント終了後に同病院の乳腺・腫瘍内科のスタッフとなり、約20年在籍しました。
20年間国立がんセンターに在籍して分かったことは、日本には抗がん剤治療を適切に行える医師が本当に少ないということ。がん治療の権威と言われてもおかしくない国立がんセンターでも、乳腺外科医が乳がんに対して、標準的でない抗がん剤治療を行っていることもありました。
海外では、すべての抗がん剤治療は、腫瘍内科医が行うことがスタンダードです。しかし日本では、腫瘍内科医が抗がん剤治療を行うのは肺がんや、消化器がんなどの一部のがんに限られています。私は内科医として婦人科がんの抗がん剤治療に、日本で初めて取り組みました。今でも婦人科がんの抗がん剤治療ができる内科医は、片手で数えられるくらいだと思います。また、乳がん治療を内科医として取り組んでいる医師も10人程度でしょうか。その現状を見て、これからますます増えるであろうがん患者さんを救うために、日本でも抗がん剤を正しく使用できる腫瘍内科医を増やさなければと思い、若手育成に注力することにしました。
腫瘍内科医の最も重要な役割
―若手がなかなか腫瘍内科の門戸を開こうとしない理由について、どのように考えていらっしゃいますか?
医学生が見学に来たり、初期研修のローテーションで回ってきたりする若手はいるのですが、実際に「腫瘍内科医になりたいです!」とまで言ってくれる学生や研修医は、なかなかいません。理由としては先程も言いましたが、医療界からも正しく理解されていない点があるからだと思っています。腫瘍内科は「難しい・患者さん大変そう」というイメージを持たれがちなのです。
確かに、ものすごい速さで開発されている抗がん剤治療の最先端に追いつくために学んでいくことは、簡単ではありません。しかし、EBM(Evidence-based Medicine)の手法をうまく活用することで、効率的にいいエビデンスに辿り着くことができます。
また「がん患者さんは大変そう」と思われがちですが、患者さんはとても大きな不安を抱えているのですから、ある意味当然です。そのような患者さんの話をしっかり聴くことで患者さんに安心していただければ、信頼関係構築につながりますし、そのように信頼関係を築いていくことはやりがいがあると思います。信頼関係を構築するためのコミュニケーションスキルも、トレーニングによって身に付けることが可能です。
また、何よりも大事なのは「患者さんを思う気持ち」です。それは、医療者なら誰でも持っているはずなので、誰でも腫瘍内科になる素質は持っているのです。
―「『患者さんを思う気持ち』が最も大事」ということを、もう少し詳しく教えてください。
とても当たり前のことを言っているようですが、果たして今の医師は、その気持ちをしっかりもって日々の診療や治療を行えているでしょうか。さまざまな理由があると思いますが、医師が患者さんの話をしっかり聴けていないために、「先生は分かってくれない」と医療不信につながっているのではないでしょうか。
腫瘍内科医にとって、最も重要なことは「患者さんの話を聴くこと」です。患者さんはがんの発見や再発を知ると、言いようのない不安に陥りますよね。その不安を払拭するためにはじっくり話を聴き、どんな点に不安を感じているのかを知ることが大切です。不安の正体が分からなければ対処のしようがありませんし、その不安を払拭するために話を聴くことも腫瘍内科医の仕事です。話を聴くということは、患者さんに寄り添う気持ちがあればできます。
患者さんによりますが、一人の患者さんの話を最低でも30分は聴いています。長いときには1時間や2時間に及ぶこともあります。納得するまで、不安や疑問を話していただきます。特に初診や再発が分かった患者さん、治療方針を決定したり変更したりする患者さんのときにはしっかり時間をかけています。
このようにじっくり話を聴くことを、1日に何十人、時には100人以上もの患者さんを診察し手術を行う外科医に求めることは、難しいとも思っています。もちろん忙しさを理由にしてはいけないと思いますが、腫瘍内科医は患者さんの「話を聴く」ことで外科医をサポートできますし、そのようなチーム医療が、がん治療には必要です。
私の最終目標は、チーム医療の中で腫瘍内科医を「がん治療のコーディネーター役」にすることです。がんが見つかった患者さんの話をじっくり聴き、納得、安心して治療を受けてもらう下地を作る。そして、患者さんとの話から最適な治療法を決定し、各治療のプロフェッショナルに引き継ぐ。このようなチーム医療を行っていくために、腫瘍内科医を増やしたいのです。