小児科医が疲弊する環境を改革する
―なぜ小児科の改革を進めてきたのですか?
転機は2004年に臨床初期研修制度が始まり、千葉大学から派遣されていたローテート医師が来なくなってしまったことでした。当時残った常勤医は9名。社会的にはちょうど小児科医の減少や過労死が問題視されたり、医療訴訟が増加したりしていた時期―。自分たちでこの環境を変えなければ、いずれは常勤医の疲弊と小児科縮小の一途を辿ると考え、自分たちで後期研修医を育てていこうと、改革に乗り出しました。
―具体的には、どのようなことを進めてきたのですか?
後期研修医を集めるために、目標に据えたことが2つあります。1点目が、後期研修医の教育システムを“one of the best”にすること。小児科後期研修医の教育環境としてNo.1になることは難しいですが、全国トップ10に入るくらいには整えようと考えました。そして2点目が、最重症小児患者の受け入れ可能なPICU(小児集中治療室)を作ることでした。
そしてこれらの目標を実現するために、常勤医が常勤で働き続けられる環境を整備することが必要と考え導入したのが、グループ主治医制でした。グループ主治医制にすることで、1人ひとりの医師がしっかりと休みを取れるようにし、疲弊につながる要素を少しでも緩和することができるからです。
ただしグループ主治医制を継続するためには、医師一人ひとりのスキルの標準化が必要です。そのために例えば救急医療に関してはPALS(小児二次救命処置法)の資格取得を義務化し、指導の標準化と能力の底上げを図ったのです。
また、グループ主治医制と並行して行ったのが、「松戸市夜間小児急病センター」の設置でした。当院横に設けたこのセンターで、松戸市医師会と連携して、夜間の小児軽症救急患者の診察を行う仕組みにしたのです。このセンターでは、当院の小児科医と松戸市医師会医師の2名体制で診察、トリアージを導入して重症度が高い患者さんはすぐに当院に運び込んでいます。2017年現在では年間約8000人の患者を受け入れているので、一晩の平均患者数は約22名。約5%は当科へ紹介となりますが、残りの95%の患者さんはこのセンターで診察後帰宅されるので、院内では2次から3次救急患者さんの治療に専念できています。
さらに、小児科としての受け入れ入院患者数を増やしていきました。改革以前の2004年前後は年間1200人程度でしたが、2009年には2000人を超えるまでになりました。その前年には小児入院医療管理料1を取得することができ、小児科の黒字化に成功しました。この時点で常勤小児科医22名、2017年には27名にまでなりました。
常勤医27名(専門医13名、後期研修医14名)の小児科
―体制を整える一方で、どのようにして後期研修医を集めていったのですか?
やはり対外的に自分たちの取り組みをアピールしなければ、後期研修医は来ません。そこで、2004年以前はほとんど行っていなかった、論文執筆や学会発表に取り組むようにしました。現在では1年を通して全国学会、国際学会合わせて25~30本の発表、論文や依頼原稿10数本の執筆をして対外的に露出度を高めています。後期研修医にとっては、臨床と教育の環境が重要なポイントであり、私たちの科の特徴を知ってもらう機会を増やしたことで、5名募集している後期研修医枠が全て埋まるようになりました。また嬉しいことに、千葉県に全くゆかりのない若手も、ここの環境に興味を持ってくれて、来てくれるようになりました。
―後期研修医を含めると約30名の大所帯。どのようにしてチームとしての一体感を生んでいるのでしょうか?
常に自分たちの目標と夢を伝え続けることが大切ではないでしょうか。夢とは、先程も言った通り、後期研修医の教育システムを“one of the best”にすることと、PICUの発展です。そして目標は3つ。患者さんにとっていい医療を提供する。患者さんのご家族にとっていい医療を提供する。そしてスタッフにとってもいい医療が提供できる環境を整えることです。
また、毎日顔を合わせ、会話が生まれる環境を整えることも必要だと思います。ここでは、平日朝8時半から約15分、当直明けの医師も含めて30名全員が一室に集まり、申し送りをしています。週5日毎朝顔を合わせることで、「今日体調悪いの?」「当直大変だった?」「昨日こういうことがあった」など会話が生まれ、仲間を気遣い、チームとしての一体感が生まれます。さらに、自分の専門外のことを相談する際の垣根も低くなります。
―現在は、どのような点に課題を感じていますか?
社会全体で問題視されていますが、やはり残業時間が課題ですね。サービス残業が多かったので、タイムカードでスタッフの残業時間を把握していますが、やはり各々月に最大6回ある当直を含めると、一人当たりの残業時間が100時間を超えてしまいます。
ここでは当直明けは必ず翌日正午、遅くとも14時までには退勤させています。14時以降に残っていたら、その人が所属するグループのリーダーには1人あたり500円の罰金が科せられます。ちなみに現在は6つのグループがあります。例えば、一人が勉強したくて残っていると芋づる式に皆も残ってしまうので、このようなルールを設けていますが、さらなる残業時間削減の工夫をしていく必要がありますね。
市立病院の小児科として、小児救急医療/専門医療を担う
―今後の展望は、どのように思い描いていますか?
当院のPICUは、2014年に4床、2016年6床、そして2017年12月新病院移転後に8床に増床予定です。このPICUを、最終的には10床にすることが直近の目標です。そして当院のような市中病院のPICUを、日本版PICUとして世の中に発信してきたいと考えています。
PICUはもともと、北米の麻酔科をベースに始まりました。20床以上ある大型PICUで多くの小児患者さんを受け入れ、循環と呼吸を安定させて、一般病棟に送る役割を担っています。このような形態のPICUで働く医師は、一般病棟に移った患者さんのことは診なくなります。
しかし私たちは高度専門医療機関のみではなく、市立病院の小児科なので、救急・集中治療のみならず退院までずっと主治医として関わって必要があります。つまりPICUだけでなく、救急外来、一般病棟や専門外来、在宅診療まで全てに関わります。これが私たちの小児科の特徴であり、少子化を迎えた社会に適した小児科およびPICUのモデルになりうると考えています。
もちろん、集中治療の専門家から見ると「そんなに集中治療は甘くない」となりますが、小児集中治療を専門的に勉強した医師が戻ってきてくれればできますし、他の大型のPICUと密な連携を取ることにより、適切な高度医療の提供が可能と考えています。
またここまで大きくなることができたのは、言うまでもなく病院上層部の理解、松戸医師会の強力な応援、コメディカル部門の協力のおかげです。
今後さらに少子化が進む日本では、病院小児科が減少し残った病院小児科で広域的に患者さんをカバーしていくことになると思います。そのとき、当市立病院小児科としては、小児救急医療と専門医療の両方を兼ね備えた小児科として機能することが求められてくるはずです。10年以上かかりましたが、救急から在宅まで、多様な専門分野を持った小児科医チームで支える体制が、ようやく整ってきました。今、常勤医が27名にまで増えたのは、2004年から改革を始め、その途上で後期研修医として来ていた医師たちが、それぞれ違うところで専門を身に付け次々と帰ってきているからです。だから今、非常にいいメンバーが揃っています。このチームで、より質の向上を目指していきたいですね。