事業として遠隔集中治療を提供
―今、取り組んでいることを教えてください。
私は、救急科専門医や集中治療専門医の仲間とともに「T-ICU」という会社を立ち上げました。医療機関に対して、遠隔集中治療を中心とした専門医チームによる集中治療支援のソリューションを提供しています。例えば、全国にあるICUを備えた病院の中には、集中治療専門医ではない医師が患者さんを診ているケースがたくさんあります。そこで、T-ICUの集中治療専門医が24時間体制で遠隔モニタリングし、早い段階に的確な治療方針をアドバイスすることで、重症の患者さんを早期回復へと導くとともに、現場の医師・看護師の負担軽減を図ることができます。
そのほかには、医師や看護師の教育なども行っています。私たちが遠隔で集中治療のサポートをしても、その病院に核となる集中治療医が不在では、集中治療の最新知識・技術に詳しくなく、遠隔の指示ができないケースがよくあります。例えば「最新のエビデンスではこうなっているから、こういう治療をしてほしい」という指示にも、そのことを知らないために対応できず、適切な治療が行えないことがあります。看護師に対しても同様のことが言えます。遠隔集中治療を導入するためには「医師や看護師の敎育」が欠かせません。
また遠隔集中治療を行うと治療成績も向上しやすいので、看護師にとっては集中治療に携わることがモチベーションアップにつながり、ひいては看護師の定着率向上や、病院の安定経営にも貢献できると考えています。
―現在の進捗状況について教えていただけますか?
遠隔集中治療を行うためのシステムが完成したので、今は導入してもらえる医療機関を探しています。これまで静岡県や大阪府の病院にも伺いましたし、今度は岩手県でも説明させてもらうことになっています。直近で契約が決まりそうなのは千葉県にある病院です。先週見積もりを提出したので、決まれば5月くらいからシステムを導入できる予定です。
今は人づてなどでT-ICUのことを知り、ご連絡をいただくことが多いです。要望などがあれば、全国どこへでも行きます。また今後契約する病院を増やしていくために、私たちのシステムを導入して診療成績がどのくらい改善されたというデータもしっかり収集して、学会などでも発表していきたいと考えています。
―集中治療の現場で感じた課題はどのようなことですか?
病院に遠隔集中治療サービスを提供して、病院から契約料をいただくビジネスモデルを考えています。しかし、それでは病院側には目に見える収益アップにはなりません。遠隔診療に特別な診療報酬がつくわけではないので、どうしても出費が増えてしまいます。そのような現状なので、なかなか導入に踏み切れない病院も多いようです。
本来、遠隔集中治療を導入することで、たとえば死亡率が低くなる、ICUの滞在日数や人工呼吸器の装着日数などが短くなるなどで診療成績がよくなるとされています。患者さんは良質な治療を受けられて、集中治療をしなければならない専門医以外の医師はストレスが軽減できます。病院にとっても、患者さんの滞在日数が減るので病床回転率が上がるなどのメリットがあります。しかし、お金の問題や、現状でもなんとか対応できていることもあり、なかなか導入に至っていないケースもあります。
心臓外科医から麻酔科医へ
―フリーランスの麻酔科医になったきっかけを教えていただけますか?
麻酔科医になる前は、心臓血管外科医として6年間勤務していました。心臓血管外科は手術のとき、毎回患者さんはICUに入るので、私も集中治療に携われると思っていました。しかし結局は、術後を管理する集中治療のごく一部しかできなかったことに気づいたのです。
それから2007年に麻酔科医に転科。横浜市立大学の麻酔科に入局し、7年程麻酔科や救急・集中治療を学んできました。フリーランスを選んだきっかけは、仲のよかった先輩がフリーランスの麻酔科医として関西を拠点に、沖縄や鹿児島の病院にも出張している話を聞いて、自分もやってみたいと思ったことです。
実際に、いくつかの病院で集中治療に携わるようになって、集中治療の専門医の働く姿を目の当たりにしたときに、やっぱりすごいと実感するようになりました。その後、フリーランスの麻酔科医として訪れた病院は、250床前後の中規模病院。そのような病院には集中治療専門医はいないことが多いので、集中治療を当番制で他の診療科の医師が担当していて――専門医の必要性を感じることが多かったです。
―現場を経験して、T-ICUを立ち上げようと思われたのですか?
それがきっかけですね。遠隔集中診療をやろうと思ったのは3年くらい前。フリーランスの麻酔科医として働いていると、集中治療室のあるいろいろな病院に行きます。何度も足を運んでいると、専門ではないものの集中治療を担当している医師とも顔なじみになってきますよね。すると、集中治療専門医も持っている私は、集中治療について相談されるようになりました。集中治療専門医がいないことに、どこの病院も困っている。それがひしひしと感じられました。
そのような状況を改善できる方法はないかと考えていたときに、知り合いの医師から、アメリカでは遠隔集中治療が普及しているという話を聞きました。「これなら、専門医が足りないことで困っている病院の課題を解決できそうだ」と思い、そこから遠隔集中治療に興味を持ちました。そして、約1年かけて情報収集を行ったり仲間を集めたりしながら、本格的に遠隔集中治療を実現させる体制を整え、2016年10月に株式会社T-ICUを設立しました。
集中治療専門医がいないICUをゼロにする
―今後の展望についてお話しいただけますか?
現在、集中治療室は全国に約1100施設あり、そのうち集中治療専門医がいるのが300施設。残りの800施設は集中治療を専門外の医師が担当しています。その専門医不在の800施設全てに、T-ICUが関わっていくのが当面の目標です。そして、将来的には「専門医がいない集中治療室をゼロにする」ことを実現したいと思います。
また、ICUがなくても、心臓外科や整形外科などの手術をたくさん行っている病院が数多くあります。そのような病院は、術後の患者さんを病棟で診る医師が少ないので、そこもカバーしていきたいと考えています。実際に、先日訪れたある病院はICUがなく、術後の患者さんを診る医師が不足していました。それによって患者さんが合併症にかかることがあって、ぜひサポートしてほしいという依頼を受けています。
―「専門医がいないICUをゼロに」の原動力となっているのは何ですか?
フリーランスの麻酔科医としていろいろな病院を見て感じるのは、どこも専門医がいなくて困っているということです。なかには集中治療のノウハウがないばかりに、自分が正しいことをやっているかどうかもわからないという病院もあります。その状況を改善したいと考えていて、そのためにも集中治療のレベルの底上げを図っていきたいです。それが私の原動力になっていると思います。
それに、この「遠隔集中治療」を実際にビジネスとして行っているのは、日本ではまだT-ICUだけです。学会や厚生労働省も「遠隔集中治療をやっていったほうがいい」という考えになってきています。しかし現役の集中治療専門医が複数そろっていて、ノウハウもある私たちT-ICUが進めたほうが、より速く普及させることができると思います。その使命感もモチベーションにつながっています。
―医師とベンチャー企業の経営者という“二足のわらじ”を履いていることについて、それまでと心境の変化などはありますか?
最初は、抵抗感がありました。元々ベンチャー企業を立ち上げるつもりはまったくありませんでしたから。たまたま麻酔科にいて集中治療を経験し、そして遠隔集中治療に興味を持ちはじめ、たまたま誰もやっていないからやってみるかと思って、仲間を集め、会社を立ち上げた感じです。そして会社を起こしたら、今度はベンチャー企業の経営者と言われるようになって、医師をしながらベンチャー企業の経営者とは、変なことをしているのではという不安もありました。
でも、いろいろなところに行って、いろいろな人に会うと、むしろ同じような立場の医師が多くいることに気が付きました。そしてみなさん頑張っていらっしゃるので、そのことに勇気づけられています。まずは私たちのシステムを導入できる病院数を増やしていきたいと思っています。そして「専門医がいないICUをゼロにする」という目標に向かって進んでいきたいですね。
(インタビュー・北森 悦 / 文・西谷忠和)