人工知能技術を用いたインフルエンザ検査で高感度・早期診断を目指す
―現在の取り組みについて、教えていただけますか?
2017年11月にアイリスを創業しました。人工知能(AI)技術の医療応用に取り組むベンチャー企業です。今はインフルエンザ濾胞を画像診断する医療機器の開発を行っています。データ収集、治験、医療機器承認を経て2020年の実用化を目指しています。
デバイスはタッチパネル式の小さなタブレットのようなものです。付属する内視鏡カメラを患者さんの口にいれると、ディスプレイに喉の奥が映ります。濾胞の形や全体の赤み、そして発熱などの症状を元にAI技術で処理を行い、その場でインフルエンザが陰性か陽性か、判定結果が画面に表示されます。
医師は、これを参考に「結果は陽性と出ています。 問診によるとあなたの旦那さんもインフルだといいますし熱も40度あります。ほかの症状と合わせ考えても、やはりインフルですね」と、診断に役立てるための医療機器です。アイリスでは、AI部分だけでなくカメラやタブレット端末のハードごと開発しています。
―インフルエンザ濾胞の検査に着目したのは、なぜでしょうか?
1つは、一般的なインフルエンザ検査の感度の低さにあります。感度9割が当たり前の世界で、鼻から綿棒を入れる検査方法の感度は6割程度。とても低い数字です。
一方この検査方法とは別に、2007年、宮本昭彦先生が論文で発表された、インフルエンザの濾胞を視診で診断する方法があります。この検査方法だと、患者さんが鼻から綿棒を入れられ、痛い思いをせずに済みます。ただしこれには経験が必要で、私は9年間救急外来で意識的に濾胞を見てきましたが、未だに視診で当てられるのは75%程度だと思います。
ところが、宮本先生のようにその道を究めた「匠の医師」ならば、咽頭の視診でほとんどのインフルエンザが当てられます。濾胞がない、見えないと思っていても、宮本先生に見てもらうと1mmしかない濾胞の「芽」を指摘されます。論文では感度、特異度ともに90%台後半の精度を示しています。
画像処理は、ディープラーニングの得意分野なので、匠の目をAIで再現し、どこのクリニックでもどんな先生でも、その医療を提供できるようにしたいですし、できると考えています。多くの方がかかるインフルエンザですから、その検査の感度が60%から90%台へ上がることのインパクトは大きいです。また、濾胞はインフルエンザ発症直後から喉に出ているので、既存の検査では対応できない初期の患者さんの診断に役立つ点も大切です。
さらに個人的な体験としては、日本赤十字社医療センターでの救急医としての経験も影響しています。冬になると夜間外来では、毎晩インフルエンザの患者さんを見続けることになります。救急なのに6時間待ちという状況も経験しました。混み具合から逆算すると、患者さん一人に割ける時間は、処方オーダーも含め約3分。うち問診時間は40秒程度でした。そんな短時間では「鼻に綿棒を入れる検査の感度は6割程度です」という話まではできず、そして説明をしないことで、患者さんをだましているような感覚にも駆られていました。救急医としてのこの経験も、インフルエンザ検査のAI化に取り組むきっかけの1つになったと思います。
医療界への違和感がメドレー入社のきっかけに
―救急医としてキャリアを積んだ後、メドレーの医療情報サイト立ち上げに携わっていますね。どのような経緯があったのでしょうか?
実家は普通のサラリーマン家庭です。幸い私も家族も大きな医療体験はなく、幼少期から「お医者さん」と聞き思い浮かべるのは、街のクリニックの先生のような内科医でした。そんな意識が根底にあったのか、ごく自然にゴッドハンドのスペシャリストではなく、ジェネラリストの医師を目指していました。
東京大学を卒業後、総合診療をやろうと初期研修は日赤医療センターの内科へ行き、3年目に救急科に進みました。4年目は、石垣島と人口500人ほどの波照間島の診療所にいて、その後日赤に戻ってきました。
メドレーに入ったのは、2015年です。大学時代の先輩、豊田剛一郎さん(メドレー代表取締役医師)がFacebookで自分が投稿した医療への想いや違和感を読み、飲みに誘ってくれ、意気投合したのがきっかけです。
―どのような違和感をお持ちだったのですか?
例えば病院実習の教授回診。病気に苦しむ患者さんを目の前に、その存在をまるで無視しているような状態で「採血データは?」「こうです」「お前は何もわかっとらん!」といったやりとりがあり、患者さんもストレスを感じる。これは研究者であって医療者ではない、と感じました。
これは多くの医学生が病院実習で同様に抱いた違和感ではないかと思うのですが、学生も年次を重ねるごとに、忙しさもあり、徐々にこれがおかしいと考えなくなる。そのこと自体にも違和感を覚えました。
そして医師4年目の頃、「医学」と「医療」は違うものなのだと考えるようになりました。それまで感じていた違和感を、「マジョリティーの考え方とは違うかもしれないけれど、自分の価値観として大事にしよう」という気持ちに切り替わりました。「医学」はサイエンスで、科学の一分野。研究するものであり、それによって新たな治療法が生まれる。これはもちろん素晴らしいことです。一方「医療」は、治した結果、その人が幸せになることがゴールであり、病気を治すことは手段です。「医学」が得意な医師はたくさんいます。だからこそ、自分自身は「医療」のために何ができるかを考え続ける医師になろうと思ったのです。
メドレーは遠隔診療でも知られる企業ですが、当時自分が担当していた事業は、オンライン医療事典でした。難しい医療の情報を、正確に分かりやすく提供できれば、患者さんは自分の治療に納得感を持てるのではないか。オンライン医療事典を作ることは、ただ記事を作るだけを意味するのではなく、患者さんを納得させる役割をもつという意味で、医療そのものだと感じました。
―その後、すぐに起業されたのでしょうか?
メドレーで自分の仕事がひと段落したところで退職し、1年間、単発の医療バイトをこなしながら全国の病院行脚をしました。東京と離島では求められる医療が異なるように、その土地、その県にはそれぞれの医療があります。「医療」というものをさまざまな角度から自分の目でみてみたいと考え、47都道府県すべての病院、またはクリニックで外来や病棟、訪問診療などの勤務をしました。そして2017年11月にアイリスを起業しました。
患者さんに幸福をもたらす医療とは
―アイリスの事業の難しさは、どのような点にありますか?
一番の難しさであり、やりがいでもあるのは、協力してくれる医師を集めることです。AIを作る技術はコモディティ化しています。良いデータが集まれば良いAIが作れるのです。しかし1シーズンに、1クリニックに来るインフルエンザの患者さんは多くても数百人程度。私たちは20~30クリニックからデータを収集する必要があります。
アイリスの事業を「応援している」と言ってくださる方は大勢いて、大変嬉しいことです。でも気軽に「沖山くん、3枚データを撮っておいたよ!使っていいよ!」というわけにはいきません。中途半端なデータばかりが集まったら結局AIはできないからです。正しい手続きを踏み、臨床研究として取り組むものなので、条件がある中でも自分の時間を割き、医療機器を一緒に作るのだという意識で協力してくれるドクターを集めるのは難しいですが、やりがいのある部分だと思っています。幸い、そのような方々に巡り合うことができ、ここまで進んでくることができました。
―インフルエンザ検査の次の展開も、すでにお考えでしょうか?
同じ咽頭で言えば、溶連菌感染症などの判定をソフトウェアを入れ替えてできるようにしたり、カメラの部分をエコーに付け替えたりと、プライマリ・ケア領域や他の診療科にも展開できる領域がたくさんあります。ただ、インフルエンザ検査だけでも10名のメンバー全員がいっぱいいっぱいで、次を語れる余裕はまだないですね(笑)。
―これからアイリスは、社会にどのような価値を提供していきたいですか?
医療で患者さんを幸せにしたいというとき、人が何に不幸を感じるのかを考えたところ、「隣の芝は青い」問題、つまり「格差があること」そのものにも大きな原因があると考えるようになりました。
仮に私が病気にかかり、日本一のゴッドハンドの手術を受け、それでも助からなかったとします。当然辛いのですが、同時に「この先生でもダメなら仕方ない」という納得感もあるかもしれません。しかし、実は隣の病院に、先月から世界一のゴッドハンドが留学していたという情報が耳に入ってきたらどうでしょうか?「そちらの先生なら自分は助かったかもしれない」と思いながら最期を過ごすことになる気がします。これは不幸な状態ではないでしょうか。
格差が人を不幸にするなら、医療で本当に人を幸せにしようというとき、最先端を切り開いて医学を発展させることと同じくらい、格差をなくすことも大事だと思っています。
狭く深いスペシャリストと、非スペシャリストの差を近づけ、誰もが「深く広い」医療を提供できる世の中にならないと、格差は埋まりません。例えば循環器内科ならば5~10年で専門医を取れますが、道を究め循環器内科の「匠の医師」になろうとしたら30、40年かかります。そうやってスペシャリストになることは、本当にしんどいことで、他の診療科の勉強は捨てたり疎かにしたりしなければならないこともあります。しかし道を究めるには、それが正しいと私は思います。
でももし、匠が道を究めてたどり着いた境地を医療機器化することで皆と分け合い、スペシャリストと非スペシャリストの差をなくすことができたら、どれだけ素晴らしいかことか。どれだけ医療水準が上がることかと考えるのです。
20年後には、これが世界中の医療界で実現されていると信じていますので、その20年を19年に、19年を18年に。アイリスとして、少しでも前倒しにできないかと、今は考えています。
(インタビュー/北森悦、文/塚田史香)