中高生にも、今すぐできることがある
—現在、横山医院での診療の傍ら、診療以外の活動も精力的になさっていると伺いました。具体的に、どのようなことをなさっているのですか?
病院外での活動は、主に2つあります。1つは中高生を対象とした教育事業「インディコクリエ(Indicocrea)」。もう1つは地域の私設公民館「Co-Minkan(こうみんかん)」の運営です。
2012年にはじまった、インディコクリエの活動には「10年後を考えるプロジェクト」という名前があります。「大人でも中高生でも、社会に対してできることがある。今だって、誰にだって、できることがある」という考えがあります。
医療に関しても同じことが言えて、医療者でなくとも、医療のために出来ることがある。中高生たちにも、今、自分にできることを考えてもらう機会を提供しています。
—具体的には、どのような内容のプログラムなのでしょうか?
全3日間で次のようなことを行います。初日は、日本の財政や人口構造の推移などの授業をした後、「喪失体験ゲーム」をします。6枚のカードに「役割」「友達」「お金」「両親」「健康」「いきがい」と書き、じゃんけんで私に負けたらカードを1枚ずつ捨てていくというゲームです。当然自分が最初に捨てるものと、隣にいる友達が最初に捨てるものは違う場合があり、その課程で多様な価値観があること、その価値観に優劣はないこと理解してもらいます。それから、自分が実際に右半身麻痺になったと仮定して、ビンの蓋を開けられるか体験してもらい、どんなソリューションがあったら生活しやすいかを考えてもらって終了です。
2日目は夏休み期間中の任意の日程を選び、実際に、医療の現場を見学します。そこで「自分が考えたアイデアは、すでに実行されているのだな」「自分が考えたことは、まだ現場にはないようだけど、もしあったら絶対いいと思う」など、多くの気づきを得てもらいます。そして3日目のグループワークで発表します。
昨年からは有志による4日目があり、気づきに基づいたアイデアを実行に移します。吹奏楽部の子が、施設でのクリスマスコンサートを働きかけたり、 傾聴ボランティアのような内容の「お話し会」を企画したりしています。
—実行まで、というのは大きいですね。
教育、体験、考え、実行。この4つが活動の軸になっていますが、実は「実行」が加わったのは、熱意のある子たちに「考えさせるだけで、やらせないのですか?」と言われ、「その通りだ」と気づかされたことがきっかけでした。私自身の成長にもつなかっていることを感じます。教え育てる教育ではなく、共に育つ共育の場ですね。
そのうちに「中高生でなくてもいい。大学生でも定年退職をした大人でも誰でもいいのではないか?」という思いで始めたのが「Co-Minkan」です。Co-Minkanとは、現代版の私設公民館。地域の中で「集い」「学び」「結ぶ」役割を担っていき、特に医療者である私の場合は医療型Co-Minkanを通して市民が医療のことを楽しく学び、病気のことで困っている市民がいたら市民同士がつながりの中で支え合う。そのような地域になることを目指しています。
—地域社会にコミットし、多業種を結ぼうとされるのは、なぜでしょうか?
がん患者さんが、自信をもって意思決定を行える社会にしたいのです。選択に納得をして治療に臨む患者さんは、終末期のQOLが高いことが分かっています。しかし意思決定には、がん医療についての、基本的な知識が必要です。
超高齢社会の日本で、意思決定の支援を医療者だけで行うことは、量的に厳しい。医師にとって患者さんの多くが人生の先輩であり、患者さんの価値観も多様性であることを考えると、質を担保するのも難しいのが現状です。そこで市民による意思決定支援の構築が必要なのです。
市民による支援で大丈夫なのか、と思われる方もいるかもしれませんが、実はアメリカ・アラバマ州ではすでに、レイナビゲーターという、市民による意思決定支援者が存在し、患者さんの支援にあたっています。臨床試験の結果、患者さんの満足度は上がり、市民による参加によって医療費も削減されたことも報告されました。このレイナビゲーターのような支援を日本でも実現させたいのです。
患者さんと話あいながら、病気と人をみていきたい
—医師を目指した経緯をお聞かせください。
祖父の代から医師の家なので、周りは当然のように「太郎も医者になるのだろう」と思っていました。私自身もそう考えていた一方で、勉強が必ずしも上手くはいかず、反抗期もあり「医者だけにはならない」と思った時期もあります。
それでも明確に、医師になろうと決意をしたのは、高校3年生の時でした。実家のクリニックの患者さんに、「フラフラしていないで、がんばりなさいよ。 この街で私たちを看取るのは、あなたなんだから」と言われたのです。それは祖父のお葬式の時のことでした。
当時の私は、本当にチャラチャラしていました(笑)。そんな私にも、ある意味で期待を込めた言葉をかけてくれる人が、この地域にいる。ならば、この地域の人たちのためだけにでも、がんばってみようと思えたのです。親に頭をさげ、予備校に通わせてもらい、埼玉医科大学へ進学しました。
—循環器内科でキャリアをスタートし、腫瘍内科へ。どのような経緯があったのでしょうか?
「3代目はクリニックを潰す」という言葉を耳にしますが、私はその典型だと、色々な人から言われていました。だからこそ実家を潰すことなく、この地域で医療を続けていくには、何科がいいのか。「この科だとあの先生がいるからかなわない」「この科は最近新しいクリニックが開業したから自分が同じ科の専門医になっても生き残れるか難しい」など、かなり消極的思考でしたが必死であれこれ考えました。
結果的にはじめは循環器内科を選択しようとしました。ところが、心不全の患者さんを診ていく中で、たとえば心臓カテーテル治療により、心臓のポンプ機能は戻らないけれども、病気を抱えながら生きていく人たちが、よりよく生活するためにできることを、患者さんと一緒に考える医療に興味を持ちました。そして病気だけでなく、人の生活もみる医療が、自分には向いていると気が付きました。がん医療は、その最たるものです。
また、いま振り返って思うのは、幼い頃、父と祖父は日常的に「何丁目の何々さんが亡くなった。葬儀に行ってくる」という会話をしていました。私の中で医療とは、病院で病気を治すこと以上に、生活を支えながらいずれ柊真t機を迎え看取るものというイメージが強かったのだと思います。
—その後、緩和ケア医療に関心を持たれるのですね。
大きなきっかけの一つは、2010年にアメリカのJ.S. Temel先生たちがNew England Journal of Medicineで発表した論文です。「早期からの緩和ケア」は、患者の生存期間を延長する可能性があるという内容でした。
終末期だけなく診断時から緩和ケア医療チームが加わることで、がん患者の QOL が上がり、終末期の化学療法が減り、場合によっては延命効果もあるのではないかと。まさにこれだと思いました。
横浜市立市民病院の緩和ケア病棟に誘われ異動になったのを機に「早期からの緩和ケア」をスタートしました。市民病院では緩和ケア内科に属しながら、呼吸器内科とコラボレーションして、4期の肺がん患者全例に、介入する臨床試験などにも関わりました。
Co-Minkanから始まるダイバーシティを目指して
—今後、どのような活動に力を入れていきたいですか?
がん患者さんが、自信をもって決断し、自分の生き方を選んでいける社会にしたい。そのために社会活動として医療に関わる市民を、いずれはレイナビゲーターとなる市民を育成できる場を増やしたい。その第一歩として、Co-Minkanでは現在、公民館の館長を要請するプログラムに力を入れています。
公民館は戦前、社会事業の1つに位置付けられていました。そして戦後、社会事業は社会教育と社会福祉に分化し、公民館は社会教育を担う施設になりました。戦後の日本では、民主主義を広めることが社会課題だったので、民主主義を広める施設として機能していましたが、現在の社会課題は社会福祉領域です。このような歴史をふまえても、私設公民館であるCo-Minkanが、医療と親和性が高いことがご理解いただけるのではないでしょうか?ただし私は、Co-Minkanを勉強の場としてではなく、あくまで楽しい場所として浸透させていく必要があるとも考えています。
—Co-Minkanが展開していくために、解決すべき課題はありますか?
社会課題に取り組む人たちが、「ボランティアでやっている」ことに落ち着きがちな現状を変えたいです。それでは参加する市民が増えないからです。
私自身Co-Minkan の活動は、月1回程度。毎日でもやりたい気持ちはありますが、始めたばかりの今はこれが限界。それでも自分にできる範囲で、自分にできる活動をすれば、ビジネスの効率が良くなり、地域も住みよくなる。クリニックならば患者さんからの信頼も得られるようになる。そのように機能し始めるのが理想ですね。
—これまでの活動で、社会活動の恩恵を感じる場面はありましたか?
現在、横浜市保土ヶ谷区の星川エリアには、私のCo-Minkanがあるだけですが、すぐ隣の和田町エリアには、看板屋さんのCo-Minkanがあります。その看板屋さんは、もともと自主的に、住民が集まり学び会える場所として、空いていたオフィスを地域の方々に貸しておられました。そのような中で、私がCo-Minkanをやると聞きつけ「応援する」と手をあげてくださいました。
看板屋さんとはCo-Minkanを縁に、当院の看板や名刺の制作をお願いするようになりました。社会活動をきっかけに、看板屋さんは新しい顧客ができ、私の方も委託先ができたことになります。まさしくCSR(Corporate Social Responsibility)ですよね。私の場合、Cが「Clinic」になるのですが(笑)。
将来的にはゲストハウス型のCo-Minkan、脱毛サロン型のCo-Minkanなど、あらゆる業種に広がってほしいですね。これからの専門職は自分の専門分野を極めるだけではなく、自分の専門分野を、興味を持った非専門職に伝え、その人たちに行動に移してもらうことが必要だと考えています。そのためには授業のような講座よりは、街場に出て住民と一緒に活動を行う中で興味を持ってもらい伝えていることが重要だと考えています。
この専門分野は医療に限ったことではありませんが、現在の社会課題が健康や病気のことが多いことを考えると我々医療者の役割を大きいと考えています。その際には活動の中で、人と人をつなぐ役割の医師も重要になるでしょう。その役目を、私が果たしていければと思っています。
(インタビュー/北森悦、文/塚田史香)