ITの推進とベンチャー企業支援に注力
―現在の取り組みについて教えてください。
2019年に厚生労働省を退官し、やりたかったことにチャレンジするために、さまざまな活動を行っています。
1つはIT企業で、ヘルステックといわれるICTを活用した健康管理や病気の予防・治療に従事しています。
日本は高齢社会を迎え、生活習慣病やがんになる患者さんが増えています。現在、日本の医療・介護費は50兆円強になりますが、そのうち多くを生活習慣病やがんの医療費が占めています。中でも生活習慣病の治療は、病気になってから薬を一生飲み続けなければならなかったり、合併症により心筋梗塞や脳卒中になり高額な手術をしたりと対症療法が一般的です。
しかし、それだと生活習慣病の根本的な原因除去を行えず、医療費は膨れ上がるばかり。やはり重要なのは、特定の病気になる前に行う「未病治療」です。テクノロジーを使って、無理なく、より健康になれるような行動変容を促すソリューションを産み出せれば、日本が直面している生活習慣病の根本原因を克服できると考え、現在それを実現するためのプロダクトの開発に取り組んでいます。
また、イギリスにあるベンチャーキャピタルでの業務も始めました。ヘルステック系のスタートアップを支え、世界にまだない新たな価値を生み出すようなディスラプティブ・イノベーションを実現させるため、チャレンジングな活動に取り組んでいます。
2つ目は、社会起業家としての活動です。産官学医すべての領域を経験してきたノウハウを活かして、医療分野での持続可能な開発目標(SDGs)の達成、または保健・医療などの海外進出のコンサルティングを、企業や教育機関、官公庁や市民団体向けに行っています。
昨年立ち上げたばかりなので、これから広げていくところですが、一例を挙げると、医療分野の国際展開などのアドバイザリーサービスです。具体的には、アフリカや東南アジアなどで日本の医療技術が求められているのに、どのように進出すればよいか分からず、プロダクトやサービスが届けられないときに、ニーズのマッチングや戦略、ネットワークの構築などを支援します。これによって企業の市場拡大、ひいては社会貢献にもつながると考えています。
その他には、プロボノ活動の一環として、社会をよりよく持続可能にしたい志を持つ人々と「一般社団法人 持続可能社会推進機構」を立ち上げ、SDGsのコンセプトを広める活動を行ったり、母校の岡山大学の学長特別補佐や、広島大学医学部客員准教授として教育や研究にも関わったりしています。
-幅広い活動をされていますが、現在の活動の中で課題に感じていることはありますか?
今の医療現場はテクノロジーを十分活用できておらず、ペイシェントセントリック(患者中心の医療)とは程遠い状態です。医師がもっと効率的、かつ生産的にテクノロジーを使えれば、医療の質も上げられると思うので、民間企業の立場から新しい価値を提供し、医療領域のデジタルトランスフォーメーションを実現したいと思っています。
またベンチャー企業が根付くようなエコシステムも日本にはまだまだ整っていません。海外と比べ日本には、リスクをとれる投資家はもちろん、価値を適切に守れる弁護士・弁理士など、ベンチャー企業を支える人たちが非常に少ないです。特に経営に深く関与して、きちんと適切な方向へナビゲートしていくような「ハンズオン」も十分ではありません。果敢に挑戦するベンチャー企業とそれを支える仕組みの存在が必要不可欠。そこで、代表を務める合同会社では、新たなベンチャー企業を支援する活動も行っていきたいと思っています。
産官学医の全てのセクターを経験したい
-ところで、なぜ医師を志したのでしょうか?
中学生の頃に、テレビでアフリカの医療の現状を知り、衝撃を受けたのがきっかけです。この世界には医療が不十分で今にも亡くなる人が多くいる状況を分かっているのに何もしないことに疑問を感じ、当時は国境なき医師団(MSF)に参加したいと思っていました。
岡山大学に入ってからは、日本の医療にもまだまだ課題があることを知り、まずは日本で人々の生活の身近な存在になるために消化器内科医を目指しました。
初期研修時代は、大学病院や医局の関連病院を回り、地域医療を経験。その頃になると、亡くなる患者さんを看取ることが多くなり、落ち込むこともありましたが、ある患者さんとの出会いで、人間の尊厳をもって看取れる尊い仕事だということに気づき、医師という仕事にも誇りを感じられるようになってきましたね。
ただその一方で、消化器系の臓器を治したからといって、必ずしも患者さんや家族が幸せになるわけではないという現実を目の当たりにすることも増えてきました。その経験から全人的医療に深く関わっていきたいと思うようになり、医師3年目から公衆衛生学を学ぶために大学院へ通い、医学博士を取得しました。
-その後厚生労働省に入職されますが、選んだ理由を教えてください。
研修医時代、家族にも見放されたような寝たきりの患者さんを数多く診察してきて、人間の尊厳が毀損されているような状況に危機感を持っていました。
日本は、2010年を境に多死社会を迎えたにも関わらず、「健康で長生きする」ことにしか目を向けず、人間らしく最期を迎えることに対して取り組んでこなかったと思います。その状況を変えたいと強く思っていました。
その解決策として、今後重要になってくるだろうと考えたのが「テクノロジー」です。当時私は陸の孤島のような診療所で、遠隔医療を先進的に行っていました。医師や患者さんを動かすのではなく、ITで情報を動かすことで、患者さんがどこにいても、十分な医療を受けることができる。そのことを実感し、厚労省ではそんな環境づくりをサポートしていきたいと思っていました。
2007年、厚労省に入省すると、医療ICTの環境整備や医療政策の立案、日本のWHO担当として、地球規模の課題についての情報共有や技術移転、タイ政府へのユニバーサルヘルスカバレッジ(国民皆保険制度)の発展など、国内外と連携して、さまざまな取組を推進してきました。また文部科学省や内閣府という他省庁へ出向して、再生医療や食品安全などの施策にも従事しました。
在職中の2年間、ハーバード大学やコロンビア大学への留学も経験。ハーバード大学では、今流行の行動経済学、また、不平等や、社会的な孤独、差別など、社会的な要因が健康にどのような影響を与えるかを研究する「社会疫学」という分野を専攻し、コロンビア大学では、医療とは異なる経済学のプログラムを取得しました。また留学期間中には、ロンドン大学で、なぜ日本が長寿国になりえたのかというテーマで、科学的なエビデンスを交えながら、社会的な背景や医療制度について講義をしたり、WHOでインターンも経験したりすることができました。
2019年の退官前には、今の仕事にもつながる医療ICTを担当する部署の室長として、日本でのヘルステックの推進にも貢献することができました。
―その後、社会起業家としての活動だけでなく、IT企業への就職を決断されますが、なぜ勤めてみようと思われたのですか?
産官学医すべてのセクターを一度は経験してみたかったからです。実は、厚労省在籍中からいくつか大学で教鞭をとったり研究活動をしていたので、これまでに医療現場と省庁(官)、学術(学)は経験してきました。そのため、残るは「産」の民間企業のみ。産業(企業)は、社会経済活動の中で大きなウェイトを占めており、その新たなフィールドで自分の力を試してみたいという想いがありました。
企業には、適切な商品・サービスをユーザーに届けることで、その対価をもらうといった分かりやすい評価軸があり、売上や利益といった目標も明確なので、非常にやりがいを感じますね。
Keep learningで新しい価値を産み出す
-今後の展望を教えてください。
2020年9月からメディカルテックをより深く学ぶためにケンブリッジ大学エグゼクティブMBAに通う予定です。ケンブリッジ大学周辺はヨーロッパのシリコンバレーと言われ、メディカルテックの中心地でもあるため、現地のアントレプレナーと交流しながら、先端技術も収集して、人脈ネットワークを広げていきたいと考えています。
次のGAFAになれるのは、健康で長生きをしたいという人間の根源的欲求を満たすヘルスや医療のサービスを提供する会社だと思っています。GAFAもその分野への参入を狙っていますが、課題先進国である日本からヘルス・医療分野のGAFAになることが今の目標ですね。今後どの国も直面する少子高齢化という課題にいち早く直面した日本から、ベストプラクティスになるようなソリューションを創出していきたいと考えています。
―最後に若い医師に伝えたいことはありますか?
AIが進化してくると今後、職や雇用が失われてくると言われていますが、医療の分野でも同じことが起きつつあります。たとえば、AIが得意とする画像検査などの領域では、より早く医師(人)の能力を上回っていくでしょう。医療従事者がさらに知識や技術を習得し、機械(AI)がマネできないような付加価値を提供しないといけない時代がもうそこまで迫っています。人が技術を賢く活用することで、医療を本来の仁術に戻したいと考えています。
AIは、膨大なデータを「Deep learning」で学習して、賢くなっていきます。人がAIに打ち勝つ付加価値を提供するには「Keep learning」―学び続けるしかありません。それはいくつになっても、必要なこと。「Keep learning」によって、新しい価値を産み出し、医療の質を向上させていきましょう。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部) 掲載日:2020年9月8日