「デジタル田園健康特区」で、デジタルを普及させるには？

―内閣府が進めるデジタル田園健康特区に指定された岡山県吉備中央町で、吉備中央町デジタル田園推進協議会アーキテクトを務められていますね。

コロナ禍で岡山県北の出生数は自治体によって2～4割減りましたし、医師の働き方改革の影響もあり、大学から地方へ医師を派遣することが難しくなる時代がやってくるので、周産期医療を集約化せざるを得ないだろうと考えていました。

そのことを2021年当時、副学長（現・学長）だった那須保友先生に相談しに行ったところ、吉備中央町がスーパーシティ型特区構想に応募しようとしていること、それに岡山大学として関わっていることを教えていただいたのです。私の実家はまさに吉備中央町で土地勘があることから、私も関わり始めたのが最初のきっかけです。

その後、吉備中央町には高速道路のインターチェンジがあるので、インターチェンジ直結で周産期や小児医療、救急に特化した病院があってもいいのではないかと、吉備中央町長に相談しに行く機会がありました。町長はすぐに賛成してくださり、大学側からは那須学長、私が主体的に関わり、こういったことも含め町長と計画立案。最終的にデジタル田園健康特区として国から採択を受けたのです。

実は、当初はさまざまな分野を網羅する計画案でした。しかし、国側のワーキングで助言もあり、医療分野に特化した内容で再度計画を策定していき、今後さらに大きな中山間地域での課題になってくる少子高齢化・人口減少に対応するモデル地区になってほしいとの期待からデジタル田園健康特区という枠組みを作り、採用されたとききました。

現在は救急医療、遠隔診療、母子保健・児童見守り、介護・高齢者見守り、買い物・地域ポイント、インクルーシブスクエアと、6つの事業領域に分けて、約10施策を進め、結果が出せるよう計画を進めています。

―進めていく過程では、どのようなことに留意されていますか？

住民のニーズを踏まえた事業を行うことが重要だということは、誰でも分かっています。ところが、国が年間200億円をデジタル田園都市国家構想に投入してもなかなか思うような成果はすぐには出ていません。

その理由は、特にデジタルの普及に関して言うと、住民のニーズは多少あるにしても、そこまで緊急的に必要としてないところにガラッと生活を変えるようなデジタルを導入しても、住民は「ほしい」と思わないから。住民は、生活を180度変えることを望んでいるわけではないんです。ですから、例えば普段、紙を使って行っていることをいきなりペーパーレス化にひっくり返すことは難しいんです。少しずつ進めていかなければならないですし、その過程にはさまざまな人海戦術が必要なのです。

この傾向は高齢者に限ったことではありません。どの世代にも当てはまります。多少不便は感じていても生活できているなら、そこにデジタルを導入したいという強いニーズは出てきません。そのため、今の生活に上乗せするような形でデジタルを導入すると、普段の生活に必要なかったものを強いられる感覚があるので使ってもらえないのです。

そのため、地域にどれだけ根ざしているものにするかという点には、意識的にかなり注力しています。あとは、どんな困りごとでもサポートが受けられるような仕組みづくりにも力を入れました。吉備中央町では「きびコンシェルジュなんでもサポーターズ」というオペレーターを配置し、人的リソースでデジタル普及を後押しする体制を構築したんです。

そして「きびコンシェルジュなんでもサポーターズアプリ（きびアプリ）」というアプリ版のサポートもあります。オペレーターのサポートのもときびアプリを使ってみたら便利だったからアプリ内の色々な機能を見てみると、「他にもこんな機能があるのか」とさらに興味が湧き、少しずつ使ってみる。そんな導線にしています。

開発は地場の企業に依頼しました。地域外の企業だと自治体の雰囲気を分からず開発するので、どうしても地域住民のニーズとの間に乖離が出てきます。また、毎日公民館でアプリの使い方を教えるなど、手取り足取り住民に教えることもできないからです。

妊産婦搬送時間を7分30秒短縮させた「iPicss」

―牧先生は、岡山大学発ベンチャーである「そなえ株式会社」の設立発起人でもありますよね。どのような経緯で設立に至ったのですか？

後期研修医時代、目の前で行われている医療に対してデジタルのサポートがほとんどありませんでした。「なぜ、医療の現場は命を扱っていて時間が大事だと言いながら、時間短縮を目指すようなデジタル化が進んでいないのだろうか」と思っていたんです。

その後、岡山大学の臨床医・研究者として行政と組む機会が増える中、地域医療介護総合確保基金事業を取ることができました。それを活用して3年かけて開発し実装したのが、妊産婦緊急搬送補助システム「iPicss」です。2019年5月から、岡山県内の全ての産婦人科施設と救急車で実装が始まりました。

―「iPicss」とは、どのようなシステムなのでしょうか？

妊産婦をかかりつけの産婦人科医院から高次医療機関に緊急母体搬送する際、紙の医療情報提供書を書いて渡します。その際にタブレットを用いて、地域の産婦人科医院と高次医療機関、そして救急隊の間で情報連携をスピーディに共有できるシステムです。一般的な搬送モードに加え、現在ではCOVIDモード、災害モードの3パターンがあります。

妊婦さんは緊急度がかなり高い妊婦さんと、緊急度はさほど高くない妊婦さんの2パターンに分かれます。これまではどのような緊急度であっても、全ての搬送で紙の医療情報提供書を搬送受入施設に渡していました。患者さんが到着するまで情報を伝達する手段は少なく、また救急隊は電話で聞いた情報しか知りえません。そうすると搬送元が急いでいる危険な状態でも、さまざまなことを書いた書類を準備しないといけません。また、搬送受け入れ先は、妊婦さんが到着するまでどのような状態か把握しにくいです。

そこで「最低限だけど最大限役に立つ情報だけを記載したシート」を写真に撮るだけでデジタル化し、関係部署と共有できるようにしました。それまで平均20分50秒かかっていた搬送時間を13分20秒まで大幅に短縮。また、救急司令部の入電から救急隊出動までも20秒短縮することができました。

2022年10月からは、広島県福山市や尾道市、三原市の分娩取り扱い施設でも利用が始まっています。2023年にはフルモデルチェンジし対象者疾病を拡大、高齢者施設からの搬送にも活用しています。

―全ての産婦人科施設に導入してもらうには、やはりかなりのハードルがあったのではないでしょうか？

ここでの経験がまさに吉備中央町でのデジタル田園健康特区構想に活きているのですが、普段慣れ親しんだ文化を変えるのは、想像以上に難しかったです。「デジタルなんて使いたくない」など、こてんぱんに言われましたよ。

だからこそ「これを使ったら楽だ」と思わせられるようなシステムにしようと、徹底的に考え抜きました。上述しましたが、「最低限だけど最大限、患者救命に必要な情報の項目」を厳選。また、デジタル端末に入力するのではなく、紙に書いたものを撮影してiPicssに共有できるようにもしました。その方が緊急時には使いやすいですから。取扱説明書がなくても使えるデザインにもしています。

あと究極的には先生が触らなくても使えるように、産婦人科医院のメディカルスタッフに教育もしましたね。まずは1回使ってもらって、その1回だけで定着させられるにはどうしたらいいか、と考えて試行錯誤を繰り返しました。

その結果、岡山県内に46あるすべての分娩取り扱い施設（病院や助産院）に導入してもらうことができ、搬送時間や対応時間の短縮などにつながっています。

相手にとって必要な形に、モノも人も変化させる

―今後の展望はどのように思い描いていますか？

産婦人科医や病棟医長、研究者、吉備中央町デジタル田園健康特区アーキテクト、そなえ株式会社設立発起人／研究主席アドバイザーと、いくつもの顔があり、それぞれで実現したいことがあります。

例えば臨床医としては、目の前の妊婦さんや女性の患者さんを手術を通して救いたいですし、そなえ株式会社設立発起人としては、雇用している人たちが充実感を持って自社製品を売ったり開発したりできるようにしていきたいです。吉備中央町での取り組みに関しては、まだまだこれからですが、国のモデル地区となったことで町をさらに盛り上げたいという機運を高めることができたなら、目標達成と言えるかなと思っています。

取り組みたいことがいくつもありますが、1つ1つを育てていって、最終的には女性が子どもを産むことを恐れない、また子どもを産んでもいいなと思えるような国になればと思いますね。

―キャリアに悩む後進に向けてのメッセージをお願いします。

自分のキャリアの中で取り組もうとしていることは、誰のためなのか明確にすることです。自分のアイデアを形にできたとしても、それを相手が必要としなければ意味がありませんから。

今はモノやサービスを前提にしましたが、実は人も同じなんです。例えば医局内にはさまざまなタイプの人がいます。そのような組織の中に、自分のようなAという特性を持った人が必要かどうか。もしBという特性が必要なのであれば、自分をAからBへと変化させなければなりません。相手にとって必要な形に、モノも人も変化させなければいけないんです。

ですから、何かモノを作っていこうとしている人なら、そのモノがどうしたら相手に使ってもらえるか、相手が好む形にできるか、といったことに主眼を置くこと。キャリアに関しては、自分が身を置きたい場所にとって、いて欲しい人に変わることに主眼を置くことが不可欠だと思います。

医療業界では、医師がやりたいことに対して、周囲の人たちが多大なサポート・準備をしてお膳立てをしてくれます。このことに気付いていないと、医師はともすると利己的になり、利他的な精神から離れていってしまいます。ですが社会は、そのような仕組みにはなっていません。キャリアの中で何かを成し遂げたいと思うのであれば、医師が置かれた環境の特殊性を理解し、自分を変えていかなければいけないことを肝に銘じておいたらいいのではないでしょうか。

（インタビュー・文／coFFeedoctors編集部）※掲載日：2024年1月16日