小児医療の情報を“適切“に集めるための戦略
先生の現在のお仕事について、お聞かせ下さい。
国立成育医療研究センターで、子どもたちに使う薬の副作用情報を集めています。また、それを解析する具体的な方法を考えています。最近の例で言えば、子宮頸がんワクチンなどがあります。
なぜ子どもの薬の副作用情報を解析しようとしているのですか。
そもそも、小児の薬の情報が、医師の間でも意外と不足しているということがあります。製薬企業が新薬を開発して製造承認を得る際は、大人が使った場合の効果を元に申請を行っているのですが、子どもに使用する場合の承認は取らないことがほとんどなのです。そのため、小児科医が処方する薬のうち7割くらいは「適応外使用」という形で、医師の裁量権で使っています。このことは医師の中でもあまり知られていません。
また、子どもは大きな錠剤が飲めないので、錠剤をすりつぶしたり、カプセルの中身だけを取り出して飲ませたりすることがあります。しかし、胃や腸など適切な場所で溶けるように作られている薬を、剤型を変えて飲ませた場合に、どこで溶けてどの程度吸収されるのかということは、実はあまり分かっていません。そのため、小児の薬に関しては、このようなことを調べるだけでも非常に有益な情報になるのです。
しかしながら、小児の薬に関する副作用データをいかに集めて解析するか、これがとても難しいのです。子どもがかかるのは小児科や小児専門の医療機関だけとは限りません。そこで、今は小児専門の医療機関10施設に加え、全国の地域のクリニック50施設とも連携して情報を集めています。
なぜ小児専門医療機関と地域のクリニックから情報を集めるのでしょうか。
小児科やこども病院などといった小児専門の医療機関は特殊な薬をたくさん使っているので様々な情報を得ることができます。しかし、先ほどの通り、全ての子どもが小児専門の医療機関にかかっているわけではないので、もっと広い範囲から情報を集めることが必要なのです。
例えば、子どもが風邪薬を飲んだ後にじんましんが出た場合、親御さんがまず連れて行くのは、たいてい家の近くのクリニックです。したがって、地域のクリニックからも情報を集める必要があります。地域のクリニックと連携するメリットはそれ以外にもあります。例えば食中毒など、その地域で起こったデータを集められるという点です。
深い情報を持つ小児専門の医療機関と、幅広い情報を持つ地域のクリニック。この2つから情報を集める事で、より正確で幅広いデータを分析することができます。私たちはこれを「T字戦略」と呼んでいます。
○ライフ・イノベーション推進のための医薬品使用環境整備事業
小児と薬 情報収集ネットワークの整備(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002pxih-att/2r9852000002pxjy.pdf
対話型の問診データを取る仕組み
なぜ、これまではデータが上手く取れなかったのでしょうか。
医療業界には、データは多く存在しているにもかかわらず、その中から有益な情報を得ることが難しいという現実があります。分かりやすい例が、電子カルテです。電子カルテには使える情報がたくさんあり、「医療のビッグデータ」だと言われていますが、実はあまり価値のないデータが多いのです。
患者さんの画像データや、検査の結果、処方した薬の情報などは、もちろんデータとして価値があります。しかし、一番価値があるはずの、診察時に医師が打ち込んでいる情報は、解析には使えないことがほとんどです。なぜなら、書かれている項目の定義付けがバラバラだからです。今でこそドイツ語で診察内容を書く人はいませんが、医師によって書き方や言葉の使い方が違うため、結果として解析に値するデータではなくなってしまっているのです。先進諸国において公文書であるカルテの質が著しく低いのは日本くらいです。
患者さんの症状に関するデータを最も適切に取れる方法は何かと言うと、「問診」です。一般的に問診と言うと、問診票のように紙に書くイメージだと思うのですが、本来は医師が診断の手がかりを得るために患者さんに病状などを聞くことを指しています。この「対話型の問診」をシステム化すれば、より深く正確な情報を得ることができるのではないかと考えました。
対話型の問診について、もっと詳しく教えてください。
紙に書く問診票では、その時の症状の他に、過去にかかった病気や、家族の情報、成育歴などしか書かれないため、症状がいつからどのように出てきたのかまではなかなか分かりません。そのため医師は、診察時の問診で患者さんと直接対話することによって病名を診断していきます。
例えば、熱が出て嘔吐している患者さんを診察する時、医師は単に症状について聞いているだけではなく、熱が出ているのが問題なのか、熱に伴って嘔吐していることの方が問題なのか、常に頭の中で診断名を考えながら会話をしています。そうしていくつか診断名の候補を挙げて、問診の対話をしながら絞っていくわけです。
その上で、検査をするかどうかを考えます。つまり、検査と言うのはあくまで候補にあがった診断名を確定するためのものなのです。もちろん検査からしかわからないこともありますが、病気の8割前後は問診でわかると言われています。
また、問診は「過去にさかのぼれる」という強みがあります。検査は「今日」のデータしか取れませんが、問診では、昨日、一週間前と言った直近の過去はもちろん、家族歴、既往歴(これまでに病気にかかった経験)など、古い過去についても知ることができ、それによって診断が可能な場合があります。例えば、親御さんがひきつけやけいれんなどを起こしたことがあれば、子どもも起こしやすい傾向があります。
このように、問診は非常に重要で奥深いものなのですが、共通のデジタルデータとしては残っていませんでした。このような問診情報を取得できる仕組みが世の中にあれば、すでに電子カルテの中にある検査値や処方のデータと統合することで、患者さんの状態をより正しく評価できるようになります。そこで、私たちはそのようなシステムをデザインし、先ほど挙げた全国の60施設で活用できる環境を整えました。
医療のICT化と社会デザイン
それによってどのような変化があったのでしょうか。
問診情報のシステムを整備したことで、これまで形式がバラバラだった電子カルテの情報を統合し、解析できる質の高いデータに変換できるようになりました。今では、年間100万件のデータが集まる状況をつくることができていますが、これは世界でも初めてのことです。
さらに、莫大な量のデータから、現在私たちが調べている副作用情報の部分を定義に合わせたデータに自動変換される仕組みをつくったことで、効率良く情報を集めることが可能になっています。
今後はどのような発展が期待されるでしょうか。
現在は、質の高いビッグデータの中から、必要な情報をほぼ全自動で集められるというところまで仕組みができあがっています。世の中にある体に関する情報を全て格納できるデータベースを作ることができれば、それを目的に合った必要な形に再設計し、応用することもできます。
今後必要になってくるものの一つが、ネットワーク型のデータベースです。現在は地域のクリニックと大病院の間に、共通で閲覧できる患者さんのデータベースがありません。一般的に地域のクリニックで対応できない患者さんは、クリニックの医師が大病院に紹介しますが、その医師は紹介後、患者さんが大病院でどのような経過をたどっているのかを知る術がありません。そのため、患者さんが地域へ戻って来た時に再度状況を聞く必要があります。逆に、患者さん側も医師や看護師から何度も同じ事を聞かれるので、双方に手間と負担がかかります。
しかし、地域が連携してどの病院からでも情報を閲覧し共有できるネットワークがあれば、そういった問題の解消につながります。これは、私たちが現在開発している技術を再構築することで可能になるのです。
○シームレスな地域連携医療の実現について(厚生労働省)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/iryoujyouhou/pdf/siryou2.pdf
○医療連携・遠隔支援(総務省)
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/local_support/ict/jirei/thema01.html
また、このようなシステムを作ることでさらなるメリットもあります。個人が取ったデータが集まって天気予報になる「ウェザーニュース」というシステムがありますが、同じように全国の医療施設から問診の情報を取れるようになれば、どこにどのような状態の患者さんがいるかが分かるようになります。そうなれば、ある患者さんが受診してきた時に、その施設では対応できない病状だったり特殊な病気だったりした場合、いち早く適切な医療機関に紹介することもできます。
患者さんや救急隊員がこのデータベースを使えるようになったらどうでしょうか。無駄に救急車を使うこともなくなります。患者さん自身や救急隊員が現在の状況をデータとして送ることで、必要な治療を受けられる医療機関を容易に見つけることができるからです。このような仕組みは、現在問題となっている救急搬送のたらい回しの軽減にも繋がるのではないかと考えています。
○まだ日本では「医療ビッグデータ」は活用準備段階(東京IT新聞)
http://itnp.net/story/920
様々な可能性が広がっていますね。
「子どもの薬の副作用情報の収集」という一部分から始めていますが、これで新たなサービスを生むための風穴は開けられたのではないかと思います。このデータベースを活用して、質の高い価値あるデータがビッグデータとして解析できる環境を、これから数年でつくっていけるのではないかと構想しています。一方で今まで見えなかった診療現場の可視化と最先端のセンサリング技術などの応用により、診療や医療の自動化、効率化の実現が可能になる時代が目前に迫っています。
日本では、医療というのは水と一緒であって当たり前なので、それがどれだけすごいことなのかの実感がありません。しかし、私はラオスやカンボジア、モンゴルの医療を見てきて、医療というのは実は贅沢なサービスなのかもしれないと思うようになりました。医療従事者の数も医薬品も医療費も限られている中で、私たちが10年後も今のような医療環境を維持し、感謝できるためには、どうやって日本の医療を最適化していくかを考えていく必要があります。
電気のスマートグリッドというのがありますが、私は医療に関してもスマートグリッドをしなければならないと思っています。問診データを取ることができ、患者さんがどこでどのように受診しているのかが見えてくれば、そこに最適な医療は何なのかを考えることもできます。この先は、そのような政策に展開していくこともできるのではないかと思っています。