ビジネスで負のサイクルを断ち切る
現在のお仕事について教えていただけますか?
医療機関の経営コンサルティングとヘルスケアビジネスのコンサルティングの二つです。また書籍や連載記事の執筆を通して、医療経営やマネジメントに関する知識やノウハウをお伝えしています。
医療現場における問題点の一つに、病院をマネジメントできる人材が圧倒的に少ないことが挙げられます。組織を動かしていくリーダーの育成は、医療業界ではあまり重要視されてきませんでした。「現場がうまく動いていればそれでいい」という感じだったのです。しかし病院が生き残っていくためには、今後は医療費を抑えた上で質の高い医療を効率よく提供していかなければなりません。そこでチーム医療が必要となり、マネジメントが必要となるわけです。
「患者さんによいものを提供する」ことは誰もが望み、考えています。けれども「最小のコストで最大のパフォーマンスを上げ、最短の時間でそれを実現するためにはどうすればよいか」という点ではどうでしょうか。このようなオペレーションマネジメントの視点はあまり浸透していません。一つ一つを頑張ることはしていても、全体をコーディネートする役割は日本の医療ではまだ少ないですよね。そこが私の中に問題意識としてあるのです。
よい医療を患者さんに提供して見返りをもらい、それを使って組織全体を成長させていく。そういった戦略家の視点が、日本の医療にはもっと必要だと思います。私が医療機関の経営コンサルティングで行っているのは、このような面からの経営支援やアドバイスです。
病院のコンサルティングで目指しているのはどのようなことですか?
一生懸命頑張っているのに感謝されず、報酬も上がらず、報われない。そういった医療の現場で、志の高い人たちが体調を崩し精神を病んで働けなくなっていくパターンをたくさん見てきました。そんな姿を目にしていたら、悲しくなりますよね。私はこのような負のサイクルをビジネスという視点を使って断ち切りたいと思っているんです。
病院はボランティアではなく一つの事業であるべきです。病院が見返りをもらうというとよくないイメージを持つ人もいますが、事業である以上、適正な利益を生み出すことは当然の使命なのではないでしょうか。その利益を還元して将来の投資に使い、働いている人が頑張った分だけ報われる。そういう仕組みで医療者が誇りを持って心おきなく働ける病院を増やしていきたいですね。
そのときに小手先のテクニックで売上を伸ばしても永続性はありません。自分たちもその先にいる患者さんもハッピーになるサイクルを生み出すためにはどうすればよいのかを、病院のスタッフみんなで考えてもらうことが大切だと考えています。
いま私が行っている医療経営コンサルティングの仕事を一言で表すなら「マインドセット提供者」といえるかもしれません。時間がかかってもまずは現場の人たちが自分たちで負の連鎖を断ち切り、よい環境にしていこうと意識を変えること、それが必要だと思っています。
絶対に負けられない理由
医師からコンサルタントへの転身は、大きなチャレンジだったのではないでしょうか。
コンサルタントになる前は大阪の公立病院で病理医として働いていました。病理医というのは、患者さんの臓器から採取された細胞を顕微鏡で見て悪性か良性かを判断したり、どのような病変がどの程度進行しているかを調べたりする医師です。病理診断で治療方針が決まることも多く、最終診断を担うプレッシャーと30代前半の若い自分がそれを担い偉い先生からも頼りにされる誇り――普通の医師では決して味わえないやりがいがありました。
病理医をしていると、日頃から診断や治療に関して他の診療科の部長などとディスカッションする機会が多くあります。その時に医学の話だけでなく、一生懸命働いているのに報われないとか、患者さんからクレームがあったとか、人員が減るばかりで増えないとか、私よりもはるかに年上の先生が経営や組織運営の悩みを漏らしていくこともありました。そうして話し終わると、その偉い先生方が肩を落として部屋を出ていくのです。
そんな後ろ姿を見ていると、なんとも言えない思いが込み上げてきました。「これが日本の医療の最前線を背負っている人の背中か。医者としての誇りはどこへ行ったんだ」と。命を削って頑張っているのに全然ハッピーじゃない。そのような思いがずっとありました。
ちょうどそのころ、偶然にも慶應義塾大学大学院経営管理研究科(慶應ビジネススクール)の田中滋教授の論文を手にし、病院のマネジメントという分野があることを知って衝撃を受けました。「これだ!」と思うと居ても立ってもいられなくなり、飛び込みで横浜の慶應ビジネススクールに田中先生を訪ねました。自分が感じていた問題意識を語ると、「なるほど、君の問題意識は間違っていない」とおっしゃり、解決の一助になるだろうと慶應ビジネススクールの受験を勧めてくださいました。
当時の私はビジネスの「ビ」の字も知りませんでしたが、「ビジネススクールの授業に付け焼き刃の知識はいりません。君の問題意識だけ持って来なさい。受験勉強については、日経新聞を毎日読めばそれで十分です」と田中先生に言われた通り、その日からは隅から隅まで日経新聞を読むことを日課にしました。受験勉強を始めたのが33歳、ビジネススクールに入ったのが34歳でしたから、MBA(経営学修士)を取得する年齢としては少し遅いほうだったと思います。積み重ねてきた医師としてのキャリアを中断させ、全くの異分野に転向することは大きな決断でしたが、医療現場が抱える問題を根源からなんとかしたいという思いが私を突き動かしました。
もともと私が医師を目指した背景には二つの理由がありました。一つは私の国籍です。私は韓国籍で、当時は就職するのが難しい時代でした。そのために手に職をつけることが望まれたのです。もう一つの理由には、肝硬変になってふせっていた父の病気を治したいという思いがありました。しかしその父の最期を医師として付き添いながら看取り、医師になったことを喜んでくれていた母も「もう十分だから、好きにしたらいい。あんたを信じてるよ」と、ビジネスの世界へ入ることに不安が残る私の背中を押してくれたのです。
ビジネススクールでの日々はいかがでしたか?
ビジネスについては何もわからなかったので、勉強時間だけは誰にも負けないようにしようと生涯で一番勉強しました。長時間座り続けて痔になってしまったほど勉強することができたのは、使命感のようなものがあったからだと思います。
病院を辞める時に、私が抜けた分だけ仕事が増えて大変になるにもかかわらず「こっちのことは気にしないで頑張っておいで」と笑顔で送り出してくれた病院の人たちや、医療現場で必死に頑張りながら疲弊していく人たち。彼らの思いが自分の背中にかかっているという変な自意識があり、「絶対に負けられない」という気持ちだったのです。「あいつを送り出してよかった」と思われるような成果を上げなければ、彼らに合わせる顔がないと感じていました。
医師を辞めて貯金で生活しながらビジネススクールでの勉強を始めたものの、当時の私は卒業後に何をするかも決まっておらず、どうやって自分の問題意識を解決していけばよいかもわかっていませんでした。ビジネスの知識はどんどん増えていましたが、それが実践に結びついていく感覚がなかったのです。
いくら泳ぎ方を教わったとしても、実際に自分で泳いでみなければ泳ぎは上達しません。泳ぎ方は教わっているけれども泳ぐ経験はないままという状況の中、知識の中に答えを探し求めてもがき続けました。けれども見えてきたのは「これではだめだ」ということだけでした。正直言って苦しかったです。
しかし背水の陣の覚悟でビジネススクールに進んだ以上、引くに引けません。「医者はビジネスのことなんかわからないんだから、医者のことだけしていればいい」という風潮が少なからずあり、そのような考えをなんとか崩したいという思いがありましたので、「絶対に卒業する。それも圧倒的な差で……」と考えていました。「やっぱり医者は専門バカだな」と言われるのだけは絶対に嫌だったんです。
考えうる選択肢の中から起業することに決めたのは、ビジネススクール2年目の後半でした。交換留学制度で行ったフランスのグランゼコールESSEC大学院で学んでいた時です。起業志向の高い他国の学生と交流する中で、学んだことを自分で試してみたいという気持ちが高まっていました。
MBAといえば北米が人気ですが、私が留学先にフランスを選んだのは病院ブランディングの時代に備えてブランディングを勉強したかったためです。あとはみんなと同じところに行くのが嫌だった、という単純な理由でした。「みんなと同じことをしていたらチャンスはないだろう」「ほかの人が行かないほうへ行ったほうがいいんじゃないか」という漠然とした思いが、いつもどこかにあるのでしょうね。私が医師としてのキャリアをスタートさせたのは外科からで、その後病理を志したのは外科の恩師だった先生の勧めがきっかけなのですが、大学院に進む時に病理学の講座を選んだのも病理に興味があったからというだけではなく、そこへ行く人が少なかったからなんです。
フランスから帰国した後は年末から春にかけてビジネスモデルを考え、卒業前の3月にメディファーム株式会社を設立しました。今思えば精神論ばかりで高校生レベルのビジネスモデルだったわけですが、当時は「もうこれしかない」と自信を持っていました。当然ながら起業後はまったく仕事がなく、手持ち無沙汰で6畳間の狭い事務所を何度も掃除していました。800万円の資本金はありましたが日に日に減っていくので、100円の使い方を真剣に考えながら過ごした時期もありました。
自分自身が仕事を楽しむ
結果的に今のコンサルティングスタイルが現場に受け入れられ、評価されていますね。
医療機関のコンサルティングで大切にしているのは、できるだけ自分自身も現場に入りスタッフと一緒に汗をかきながら問題点を改善していくことです。この手法ですとたくさんの施設と関わることはできませんし、手間も時間もかかります。けれども現場の空気を肌で感じて一緒に学んでいくこのスタイルが、私は好きなんです。
社会をハッピーにするためには、まず自分自身がハッピーである必要があると思っています。自分を犠牲にして社会に尽くす姿は医療の世界で嫌というほど見てきましたが、感謝ややりがいがあったとしても自分が苦しければやっぱり長くは続きません。
楽しくやっていれば必ず人は集まってくるし、影響も広がっていきます。だからこそまずは自分自身が仕事を楽しんでいたいと思うんです。それを実現できるのが、私にとってはこのコンサルティングスタイルなんですよ。ビジネスアイデアはほかにもたくさんありますし、医療経営を教える教員などのお話をいただくこともあります。それでも今はやっぱり現場に近いところでやっていきたいと考えています。
論語に「七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」という言葉がありますが、自分自身が楽しみながらよかれと思ってやることが社会にとってよいことにも自然とぴったり一致するような、そんな境地を目指していきたいですね。
インタビュー・文 / 木村 恵理