世界で初めてのことをしたい
なぜ眼科医になろうと思ったのですか?
人であれ動物であれ、目には、意思疎通の接点という要素があります。体の中でも面白い部位だと思い、子どものころから目に関心を抱いていました。「患者さんを診るだけではなく、新しい医療を開拓する研究もできる医師になりたい」という思いも、そのころから持っていたような気がします。それに加えて、診断から治療までの全てを一つの科だけで行うことができ、手術ができることも、眼科を選んだきっかけになりました。
緑内障の原因遺伝子「ミオシリン」を発見した研究は、世界的にも有名になりました。これに取り組んだきっかけを教えてください。
医師免許を取り、大学院で研究をしようという時には、既に「網膜に特異的な遺伝子を見つけて病気のメカニズムを解明したい」という気持ちが固まっていました。当時はヒトゲノムプロジェクトの真っただ中だったこともあり、人の体の設計図ともいえる遺伝子に興味があったのです。それらが目の機能にどのように関係しているかを明らかにしたいと考えました。
同時に、目に関して重要な役割を持つ、まだ誰も見たことがない遺伝子を発見してみたいという思いもありました。冒険家が海に出て新大陸を発見したいというようなニュアンスですよね。とにかく何か世界で初めてのことをしたいと考えていたんです。
「ミオシリン」の発見後、研究を続けるのではなく、臨床の道へ進まれたのはなぜですか?
医師になったからには、患者さんを診ないで終わるなんていうことは考えられませんでした。基礎医学の教室からのお誘いもありましたが、私にはやはり臨床に行きたいという思いがありました。一度きりの人生の中でいろんな経験をしたいし、チャレンジしたい。もともと好奇心が旺盛でいろんなことをやりたいタイプなんです。
でも新しいものを手に入れようと思ったら、今持っているものを手放す必要があります。そういった意味で、研究については一区切りついたなという感覚がありました。新しい遺伝子を発見したことで、一番やりたかったことはできたと感じていましたので、当時の研究を離れることに悔いはありませんでした。
20代で研究、30代で臨床、40代では起業とステージを変えていらっしゃいますが、最初からこのような目標があったのでしょうか?
研究も臨床も、ここまでやろうと目標を定めてスタートしたわけではありません。虎の門病院で臨床の仕事に就いた時も、これを極めるのに何年かかるのか、全く見当もつきませんでした。
どこまでやったらやりきったと思えるのかは、やってみないとわかりません。ですが、一つのことをやり続けていくと、ある時点で有形無形のフィードバックが来るようになり、その分野である域に到達したのだろうということが認識できるようになります。例えば、目が見えなくなったら仕事を失うという状況にある人から執刀医として手術を託されるようになれば、眼科医としてある程度の信用を得たのだろうということがわかります。先輩の先生方に「それでどこがやりきったんだ?」なんて言われてしまうと困るのですが、私の中ではそれが一つのことをやりきったという指標になりました。
私は前例にしばられないように努めているので、どんな人生が開けていくかわからない状況に置かれても不安は感じません。むしろ自分の予想を超えた出来事が広がっていくことに、やりがいや手応えを感じるのです。
原動力は「世界を変えたい」という思い
起業しようと思ったのはなぜですか?
ミオシリンを発見してわかったのは、病気の原因遺伝子が判明したからといって、すぐに患者さんの役に立つわけではないということです。愕然として、自分が生きている間に目の前にいる患者さんの治療につながることをしたい、という思いが湧き上がってきました。
虎の門病院で臨床医をしていた時には、治療法が存在しない患者さんを診る機会が幾度となくありました。次第に目の病気の根源を突き詰めたいと考えるようになり、再生医療の研究をするために渡米したのです。赴任先のワシントン大学で発明した技術が、より早く患者さんの役に立つ形にできそうだと思い、起業を決意しました。
その発想をサポートしてくださる投資家の方に出会えたことも後押しになりました。私は、何かをやろうしたときに必要な人たちが現れるのも、運命だと思っています。社会が自分にチャンスを与えようしてくれているのであれば、チャレンジしない手はないですよね。
現在開発しているのはどのような薬ですか?
目指しているのは、加齢黄斑変性という目の難病の治療薬です。加齢黄斑変性は多くの先進国で失明原因の第1位になっている病気で、世界で約1億2700万人もの患者さんがいます。現在進んでいるプロジェクトでは、このうち地図状萎縮を伴うドライ型といわれるタイプに対する治療薬の開発を行っています。現時点で、このタイプにはFDA(米国食品医薬品局)の承認を受けて上市された治療薬はまだありません。
これまでの眼科治療薬は、血圧を下げる薬を応用して眼圧を下げる目薬にしたり、傷口に塗る抗生物質を応用して結膜炎を治す目薬にしたりというように、他からの応用でつくられたものがほとんどでした。そのような中、最初から目の治療に特化した医薬品をつくる会社があってもいいのではないかと考え、アキュセラでは化合物の探索から研究、開発を行っています。
しかし研究というのは、いつ結果が出るかわかりません。何年後にできるのかがわかっていれば取り組みやすいのですが、それがわからないのが研究開発の難しいところであり、宿命でもあります。ですが、私が座右の銘にしている「Never give up!」という言葉の通り、絶対にあきらめないでやり続けます。成功した人と成功できなかった人の違いは、成功するまであきらめなかったかどうかだけだからです。
いつできるかわからなくても続けられるのはなぜか? それはやっぱり、世界を変えたいからです。これが成功したら失明を減らせるかもしれない。そうなる可能性が1%でもあるのなら、それを実現させようと思う。私にとっては、そんなプロジェクトに出会えたこと自体がこのうえない喜びなんです。新たな可能性を持つ医薬品を開発する、そのプロセス自体にやりがいを感じるからこそ、こうしてやり続けています。そうでなければ、続けていくのは難しいでしょうね。
「目の難病に対する飲み薬の開発」という前人未到のことを達成できたらどうなるか、それは私自身にも推し量ることはできません。山というのは登ってみないとわからないんです。最高峰の山に登ったと思ったら、その先にもっと高い山が見えてくるかもしれないし、思いもしなかった世界が開けるのかもしれない。ミオシリンを発見した後も、結果として、虎の門病院やアメリカで仕事をする機会を得ることができました。ある目標を達成すれば、必ず自分の想像を超えることが起こるのです。これは、どんなに険しい道であろうと世界初のことに挑戦する意義でもあります。
個人の発想が世界を変える
薬をつくろうとする医師が少ないのはなぜでしょうか?
医師には医師の、製薬会社には製薬会社の役割がありますから、医薬品の開発は製薬会社が行うものと考える人が多いのでしょうね。私の場合は、研究に携わってきたというバックグラウンドと、治療法がない目の病気に苦しむ患者さんを多く診てきた臨床医としての経験がありました。それが新しい治療法を開発しようというモチベーションにつながったのです。眼科医から創薬事業へのキャリアチェンジはリスクが大きいと反対する人もいましたが、リスクを取ることが必ずしも何かを失う行為になるとは限りません。
日本の社会では、リスクを取った人が賞賛されるという感覚はあまり育っていないように思います。新しいことにチャレンジする人を「すごい」というより「変わりものだ」という目で見るところがあれば、そこへ向かうハードルが高くなります。このような社会で、評価されにくい新薬開発をやろうとするのは「特殊な人」になるのかもしれません。
私は小さい時に住んでいた海外で、日本から来た異国人であるがために悔しい思いをしたことがありました。ですから私のベースには、日本人だからこそ生み出せる価値があるということを世界に発信していきたい、世界で日本人のプレゼンスを高めていきたい、という強い思いがあります。
私と同じように世界でインパクトを与えられるようなことをしたいと考えている人がいれば、是非海外に出て行ってチャレンジしてほしいと思います。今は仲間と資金を集めることができれば、あっと驚くようなプロジェクトでも立ち上げやすい時代になりました。たったひとりの発想や思いであっても、揺るぎない意志があれば、本当に世界を動かすことができます。
仲間と資金を引きつけるコツはありますか?
たゆまぬ信念と小さなことの蓄積でしょうね。絶対にやれるという思い込みがあって、それを合理的に説明できることも大切です。私の場合は遺伝子を見つけることから始まって、地方大会でしか勝てなかったのが、県大会で勝てて、全国大会で勝てて、今度は世界でも勝てて、というように、結果を積み重ねてくることができました。だから、より大きな目標をかかげたときにも人や資金が集まるようになってきているのではないかと感じています。小さなことでもまずは始めて実績を積み重ねていくうちに、「気づけば結構遠くまで来たな」というところへたどり着くのだと思います。
あきらめずにチャレンジしたことが一つの形になる。その積み重ねを人は見ています。私自身、これまでに極めたことは人生の財産になっていますし、それが信用につながっている部分もあると思います。「山は登ってみないとわからない」というのと同じで、あることを極めればその後には必ず、想像を超えるプラスの波及効果があるんですよ。
ところが多くの人は、「そうは言っても、登っても向こうが見えるだけでしょ。何が面白いの?」と早々に登ることをやめてしまいます。でも私は、そこへ行ってみればそれ以上のものがあるということを直感的に、経験値としてわかっているので――どんなに困難があってもそこへ登ろうとしてしまうんですよね。
インタビュー・文 / 木村 恵理