診療を支える縁の下
輸血療法を専門にされたのは、どのようなきっかけからですか?
私は学生のころからずっと血液学をやりたいと思っていました。お年寄りの方がどうでもいいというわけではもちろんありませんが、小さいお子さんが白血病で亡くなるのは見るにしのびなかった。それがスタートです。医学部を卒業するとすぐに、当時血液学のメッカだった自治医科大学へ行きました。そこで成人の血液学を担当することになり、小児科に入るチャンスがないまま血液学の分野にいたというのが実のところです。
自治医科大学の血液学部門で助手をしていた時、教授から同じ管轄にある輸血部に行くよう言われました。その後、そこで講師をしていた時に、輸血をやっているのなら戻ってこないかと母校の教授から声を掛けていただき、一度順天堂大学の輸血学教室に来たのですが、その時は2年と持たずに辞めてしまいました。輸血だけをやるというのが面白くなくて、嫌になってしまったんです。そのころまだ若かった私にとっては、直接患者さんを診ることのほうが重要でした。今は私がその輸血学教室の2代目教授をしているわけですが、先代の教授は自分のところを辞めて出て行った者が後釜に座ることになるとは、思いもしなかったでしょうね。
それから日立製作所の日立総合病院で血液内科を約10年やり、途中からは、新しくつくられた輸血部門も掛け持ちで担当しました。そうこうしているうちに母校の輸血学の教授選に出ることになり、今に至ります。ですから、もともとは血液学を専攻していたんだけれども、流れでそれが輸血学のほうに変わったということですね。血液学という学問は今も好きですし、これからもやっていくと思います。人は、楽しいことしか続けられないんですよ。
輸血部のような中央診療部門というのは、自らが患者さんの前に立って診療できるわけではありません。医療者のひとりとしてどのように患者さんと関わっていくかを考えても、直接患者さんを治す主治医を支援することしかできないわけです。主治医の先生にいかに良い治療をしてもらうか。いわば、そこを支える縁の下の力持ちですよね。これは、考えようによっては少しつらいところもあります。ただ、そういう医療に携わることになったというのもまた、運命なのでしょうね。
輸血療法の未来と課題
輸血療法の今後の展望についてお聞かせください。
輸血学というのは若い人がどんどん参入してくるような学問ではありません。そういう意味で、輸血という発想に対する未来は、あまり明るくはないかもしれませんね。ただ、輸血でしか助けられない患者さんもいますから、今後もまだしばらくは医療の一分野を担う治療法として必要とされるでしょう。
一方で、輸血療法というのは、生きた細胞を使って治療する「細胞治療」です。そこをたどれば、幹細胞を使った再生医療も同じ流れにあります。つまり、再生医療の一つとして血液細胞を扱うことも、従来の輸血学の延長線上にあることなのです。再生医療には国家戦略としても力を入れていますから、産業としても間違いなく伸びていくでしょうね。こちらは若い研究者も増えているので、未来に期待が持てる分野です。
輸血療法における課題は、どのような点でしょうか?
輸血療法では、足りない血液成分やその機能を補うために、生きた細胞を患者さんに投与するわけですが、そこにはさまざまなリスクが伴います。血液バッグの中に感染性病原体が入っていれば、輸血という治療法を介して患者さんに病気が伝播してしまいますし、そもそも他人のものを自分の体の中に入れるということ自体、極めて乱暴な治療ともいえます。しかし、患者さんの救命や症状の改善に対して他に有効な手段がない場合に、感染性や免疫学的副作用・合併症などのリスクを上回る効果を期待して、輸血療法が行われているのです。
あらかじめ自分の血液を採取しておいて、手術などで輸血が必要になったときに自分に戻す自己血輸血では、輸血後感染症などの副作用を防止することができますが、欧米ではこの方法はもうあまり行われていません。なぜなら、今は他人の血液を輸血する同種血輸血でも、合併症のリスクが減っているからです。現在の検査法でも、まだすり抜けて輸血される可能性はゼロではありませんが、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やC型肝炎ウイルスの感染リスクはほとんどなくなっており、肝炎の発症率は0.0007%にまで減少しました。
自己血輸血をするためには、前もって採血をしなければなりません。献血に来るような健康な人から400mLの血液を取るのは何ともないことでも、例えば、心臓が悪くてバイパス手術をしようとしている人では、採血自体にもリスクが伴います。また、自分のものを自分に戻すのだから安全だと思うかもしれませんが、一度外に出したものが確実に本人に戻ってくる保証はありません。つまり、他人の血液を輸血する場合と同様、取り違えのリスクがあります。医療は人が行うものです。人がやっている限り、ヒューマンエラーが起こる可能性は常にあるわけなのです。
ヒューマンエラーを減らす取り組みとしては、どのようなものがありますか?
順天堂医院では、十数年前から電子照合を行っています。複数のスタッフによる読み合わせ確認に加えて、患者さんのリストバンドと輸血用製剤のバーコードを携帯端末で照合するシステムです。今では多くの医療機関に導入されていますが、2001年当時にこれをやっている施設はほとんどなかったのではないでしょうか。日本ではパイオニアだと思います。
電子照合を行うためには患者さんにリストバンドを着けてもらう必要がありますが、当時はまだそんな面倒なことをするなんて……という時代でしたので、入院案内と連携して、必ずリストバンドを着けてもらうようにするところから始めました。輸血の前に読み合わせをして電子照合もする。これが今では順天堂医院の文化となっています。文化として浸透すればやるのが当たり前になりますが、根付かせるまでには10年かかりました。
しかし実態をよく調べてみると、この電子照合も100%は実施できていないことが分かります。その理由を解析してみると半分はヒューマンエラーです。つまり、マニュアルの手順自体をスキップしてしまうというエラーがあるわけなのです。
また、読み合わせをして電子照合を行った後、すぐに輸血を開始していないケースもありました。照合後輸血を始めるまでの時間は、院内講習やトレーニングによって短くなっていきますが、「うちの病院ではこれを実施している」といっても、その実マニュアル通りに実行されていないこともあります。マニュアルが実際にどこまで実施されているかは、このように細かく見てみないことには分からないのです。
こういったデータは論文にまとめて報告しています。一見業務にしか見えないようなことでも、見方を変えてパラメーターを設定すれば立派な研究になります。このような研究をしている先生は少ないかもしれませんが、誰もやっていないことを最初にやることは重要です。難しいからこそ試行錯誤するのだけれども、よいことだと信じればやれるでしょう。大学にいる限り論文を書くことは責務でもありますから、こうして確固たる足跡を残しておくことも必要なのです。
予想外があるから楽しめる
最後に、若手医師へのメッセージをお願いします。
凡庸で平均点の人よりは、シャープというか、何か特徴がある人のほうがいいですよね。光るものを持っている人というのはどこか欠けているところがあるものですが、欠けているところがあっても優れた点があれば、余人をもって代えがたい存在になれます。あなたしかできないと言われるような仕事をするのも、重要なことです。
そして、何をするにも想像力は大切です。研究においても、まずは、何と何があってこういう結果になるだろうという仮説を立てます。想像するところから始まるわけです。その後の実験で、想像したことが仮説に終わることもあれば証明できることもありますが、何事も頭で考えているだけでは駄目で、真実は実際にやってみないと見えてきません。
また、結果は一気に出るものではなく、仮説と実験の積み重ねです。そのなかではいいことも悪いこともたくさん起きます。時には予想外の結果になることもありますが、だからこそ面白いのだと思います。私の学位論文も、当初の仮説とは全く違う内容となりました。基礎実験をしている時に予想外の発見があり、それをまとめて学位を取ったんです。
人生も同じですよね。全てが思った通りにしかならなければ、それはそれで面白くないものです。大変でも、予想外のことがあるから楽しめる。先のことがある程度分かっていないと不安だという人もいると思いますが、私は逆です。5年後も同じだと分かったら、今やっていることをやめるでしょうね。私のこれまでを思い返しても、予想外のことがたくさんありました。なかでも一番予想外だったことは何か。それは、私が教授になっているということじゃないでしょうかね。
「フライフィッシングが趣味」という大坂先生。朝はたいてい5時ごろ起きて、毛ばりを巻いてから論文を書き、
その後大学へ出かけるそうです。好きなお酒はもっぱらワインとのこと。
インタビュー・文 / 木村 恵理