臨床・研究・教育をこなす
-現在の活動内容について教えていただけますか。
新潟市民病院で、ER、ICU、そして救急車に医師が乗って要請現場に向かうドクターカーを担当しています。また、新潟大学大学院医歯学総合研究科に所属し、救急に関わる統計データの研究をしています。
新潟市民病院の救急救命センターは、県内に6カ所ある救命救急センターの一つですので、重症患者さんが多数運ばれてきます。しかし東京や大阪といった都市部ほど、周囲に救急患者さんを受け入れられる病院が多くないので、三次救急の患者さんのみ受け入れるという体制では、地域の救急医療が成り立たちません。そのため軽症や中等症の患者さんも受け入れています。
また、まだ始めたばかりではありますが研究も進めています。働く中で高齢者施設からの救急搬送が増えていることが気になり、高齢者施設側が医療面においてどのようなことに困っているのかをアンケート調査しました。その結果を現在解析中ですが、高齢者施設における医療の課題も浮き彫りになったので、なんらかの形にしていきたいと思っています。
そして、EM AllianceというER型救急医学を志す医師たちで構成されている非営利団体の代表を務めています。この団体では、救急医同士のつながりの場を提供したり、それぞれの知識のブラッシュアップのため、メーリングリストを使って症例診断の問題を出したり、注目されている論文を共有しています。現在設立から6年経ち、メーリングリストは医学生からベテラン救急医まで約1900名が参加しています。
2人の救急医との出会い
-なぜ救急医を目指したのですか?
大学は地元にある新潟大学に入学しました。卒業後、新医師臨床研修制度導入以前からローテーション制度を取り入れていた新潟県立がんセンター新潟病院で、初期研修を行いました。救急に進んだのは、ここで経験したことがきっかけです。
ある日、自分の担当だった患者さんの容体が突然悪くなりました。上級医の先生がすぐに来てくれたので、患者さんは大事には至りませんでしたが、担当医であった自分はパニック状態になってしまい、迅速な対応ができませんでした。その時の自分をすごく情けないと思いました。
世の中には治療が難しい病気がたくさんありますが、それらの病気はより専門の医師に相談して、治療法を熟考できる場合が多いです。しかし急性期の患者さんは、自分の目の前でその瞬間に問題が起きているので、他の医師に相談している時間がありません。そのような時に自分の力で対応できるようになっておきたいと思い、後期研修で救急科に行きました。
ある程度初期対応ができるようになったら他の科に進もうと思っていたのですが、学ぶうちに救急の面白さに惹かれていき、救急医としてキャリアを積んでいくことに決めました。
-福井大学にも1年間学びに行っていたのですよね。
医師になって5年目の時に福井大学に1年間ER型救急の勉強に行き、そこで寺澤秀一先生(現・福井大学付属病院医学部地域医療推進講座 教授)と出会いました。この出会いは自分の中で大きな転機だったと思います。
寺澤先生はじめ福井大学の先生方は、医学生や研修医に対して、救急に関する教育を精力的に行っていました。しかも、ただ技術や知識を教えるのではなく、人格を重んじ、見返りを期待しないグローバルな教育の大切さを感じました。その教育のおかげで、救急医の道に進む学生が出てきたり、他の科に進んでも救急医に好意的な医師として成長していってくれたりするのです。ここで教育の重要性を実感しました。
日本の現状として、救急医の数は多いとは言えません。そして全ての病院に救急医がいるわけではありません。そのため、医学生や医師の中にも「救急医は実際、どのようなことをしているのか?」と疑問に思われたり、「初期対応ばかりで専門性が身に付かない」と正しく理解されていなかったりすることがあります。しかし救急に進む予定のない医学生や救急を専門としていない他科の医師に、救急の最低限の知識を知ってもらえれば、地域の救急医療のレベルは上がります。そのような教育を精力的に行っていることに感銘を受けました。
-その他に救急医としてキャリアを積んでいく過程で、転機となったことはありますか?
7年目から10年目の間、非常勤ではありましたが、東京都立小児総合医療センターでの経験は大きかったです。
そこの救命救急科にはアメリカやオーストラリアで小児救急医として働いていた井上信明先生がいらっしゃるのです。井上先生は、どのような子どもでも診るというスタンスで、小児ERをしています。そこでは、救急医のアイデンティティーを認識できました。非救急医は、患者さんを診る際にまず「診断は何か」と考えます。しかし救急医の場合は診断より先に「この患者を死なせないためにはどうすべきか」という考えからの処置・行動が先に来るのです。
例えば「けいれんが止まらない」と来たお子さんがいるとします。小児科の先生の場合、まず「このけいれんの原因は何だろう」と診断を考えることが多いと思います。ところが小児救急医の場合は、まず呼吸状態が不安定だったら気道確保をし、人工呼吸管理とするといった、死なせないことが最優先という考え方をしています。このような考え方の違いがあることを意識できたのは、自分の救急医としての土台を作る上で、大きな収穫だったと思います。
一生続けている救急医のロールモデルになる
-なぜ新潟を拠点に活動しているのですか?
私たち夫婦は両方新潟出身で両親とも健在なので、多少協力を得ながら、働くことができます。プライベートな話になりますが、私にとって最も優先順位が高いのは家族です。もし仮に私の都合で拠点を移すということになった時、妻も内科医として新潟で働いていますので、なかなか簡単なことではありません。また単身赴任という選択肢もありますが、小さい子どもが2人いて、子どもたちに父親の単身赴任で寂しい思いはさせたくないという私の考えがあります。
何に重きを置くかは人それぞれだと思いますが、私は最優先の家族といかに多くの時間を過ごせるようにするかを考え、その中で仕事に関しては最大限できることをやっています。
-今後の目標を教えてください。
救急医は「一生続けられるのか」ということをしばしば言われます。どうしても、きつい夜勤やハードワークのイメージが先行してしまっているからです。しかし、そのようなイメージを持たれがちですが、「救急医も一生続けられるのだ」というモデルになりたいです。これが一番大きな目標です。
そして、臨床と研究、教育をバランスよくやっていきたいと思います。救急医は臨床ばかりと思われがちですが、実は研究データの宝庫です。現在少しずつデータを取って解析をしていますが、それを論文など形にしていき、研究にも取り組めるということを示していきたいです。また教育に関しては、福井大学のように救急医に進まない人たちにも最低限の知識を身につけてもらえる体制を、まずは自分の勤務している新潟市民病院でつくっていこうと思います。
インタビュー・文 / 北森 悦