「吸い始め」を予防する
―現在、どのような活動をなさっているのですか?
現在は、生まれ故郷の京都市郊外で土井内科医院の院長を務め、85歳になる父と2人で診療しています。その傍らで、子どもたちの喫煙防止教育に力を入れています。
喫煙防止教育では京都府内や隣府県の小中高校を訪問し、子どもたちに「タバコってこんなもの」ということを伝え、「喫煙」を選択するかしないのかを考えてもらうアクティブラーニング形式で展開しています。この教育では、単に「タバコはこんなに危ないから吸わないでおこう」と教えるのではなく、世界と日本のタバコの売り方の違いや身近にあるタバコの成分、依存症の仕組みなどを伝え、「健康を害すると分かっているタバコを、なぜ大人は吸っているのか?」「なぜ売られているのか?」ということを考えてもらっています。
タバコや喫煙に関する問題を議論するとき、ただ「健康被害」のみを取り上げてしまうと、「そんなもの売らなければいい」という意見がたくさん出てきてしまいます。そうすると、吸う人が悪い、売る人が悪い、生産者が悪いという議論に発展しがちですが、生産から販売までの仕組みが社会にある以上、そのような議論では本質的な子どもの喫煙防止にはたどり着きません。
「タバコ=悪」ではなく、タバコを取り巻く社会の仕組みや行動経済学における意思決定過程を含めて伝えることで、子どもたちに少し視点を変えた見方をしてもらい、自分たちで考え、気づきを得てもらおうとしています。
―なぜ喫煙防止教育を、小学校から高校までの未成年に行っているのですか?
日本赤十字社和歌山医療センターの池上達義先生の調査では、現在の喫煙者のうち50%が18歳までに喫煙を開始していて、90%が20歳までに、98%が25歳までに開始していることが分かっています。諸外国でも同じような傾向が報告されており、喫煙習慣のほとんどは未成年の頃から始まるのです。
また、一度吸い始めてしまうと止めることがとても難しいです。だからこそ「1本目を吸わない」ことが重要なのです。そして、誰にそのことを届けるのが一番効果的かというと、調査が示している通り18歳未満、つまり高校生までの子どもたちなのです。
地域の患者を減らすため、禁煙治療に取り組む
―もともとは自治医科大学を卒業され、長年京都北部の地域医療に携わっていらっしゃいました。喫煙防止教育に注力するようになった経緯を教えていただけますか?
少し変わっているかもしれませんが、私は地域医療義務期間があることに魅力を感じ自治医科大学に入学しました。子どもの頃によく訪れていた京都北部沿岸の街に医師が少ないことは、子どもながらに感じていて「地域医療義務期間にあの街に行ったら、人の役に立てる」と思ったんですね。
京都北部・丹後地域に6年、京都北部に位置する舞鶴市と京都市の中間の山間部に約8年間いました。京都府全体での医師数は多いですが、やはり交通の便が悪い地域や山間部は、手薄な状態です。そんな中でも患者さんは全く絶えません。
そうした環境に勤務してみて、自分の仕事はまるで、お風呂からお湯があふれてくるのを必死に手桶ですくい続けているような状態だと感じました。ですが、お風呂からお湯をあふれさせたくなければ、風呂に入ってくるお湯の蛇口を閉めればいいのです。医師が多くない地域で、次々とやってくる患者さんの治療をただ続けていくのではなく、もっと根本的な対策が必要だと考えるようになりました。そこで、関連死亡の一番のリスクである喫煙を減らすべきだと考え、手探り状態で禁煙治療を始めたのです。
―そうすると最初は喫煙している大人へのアプローチだったのですね。そこから子どもへの教育に転換していった理由はなんだったのでしょうか?
約15年前、方法論もスキルも自分自身にはない中で行っていた禁煙治療では、いわゆる“説教型”のアプローチで喫煙者を減らそうとしていました。今考えると当然なことですが、効果は全然上がりませんでした。認知行動療法を取り入れるなど試行錯誤していましたが、患者さんはむしろ増える一方でした。
禁煙治療をすすめている折、一時期務めていた病院の歴代の事務長や看護部長が、次々と心筋梗塞やがんで亡くなられました。亡くなった方々はみなさん喫煙されていました。彼らの知り合いは「だからあんなにタバコ吸うなと言ったのに」とか「あんなにタバコ吸うからだ」と、口をそろえて言っていましたが、本人に責任を求めることには違和感がありました。
禁煙治療を行っている身にもかかわらず、かつての仕事仲間を救えなかったことに責任の一端を感じ、同時に、卒煙の難しさを思い知らされました。そして卒煙が難しいのであれば、最初から吸わないようにしていかないと喫煙者は減らせないと思い、喫煙を始める前の子どもたちへの喫煙防止教育に力を入れるようになりました。
私が喫煙防止教育を始めてしばらくした時に、研修医時代にお世話になっていた呼吸器科の先輩医師から、子どもたちと共に考えるスタイルの喫煙防止教育に、一緒に取り組まないかと誘っていただきました。声をかけていただくまでは、「こんなに危ないんだよ、だから吸わないでおこうね」という、“脅迫型”の伝え方しかできていませんでした。子どもは「やってはいけない」ということをやりたくなるものですから、「このような形でいいものか」という思いもあったので、先輩医師から誘われたアクティブラーニング形式での教育をできていることは非常にありがたかったです。
京都市内外で子どもたちの喫煙防止教育を広げる
―現在は、年間40校で教育をなさっていますよね。
はい。副理事長を務めているNPO法人京都禁煙推進研究会の取り組みとしては、現在、小中高校と専門学校を併せると120校近くになります。9年前からは京都市が中学校への教育に関して事業化して予算を取って頂いたおかげで、訪問校がぐんと増えました。それまで中学校は2,3校程度でしたが、今では50校以上に訪問しています。京都市内の全中学校数が70校なので、約7割の中学校に行っていることになります。NPO法人のスタッフがメインで小中高校を訪問していますが、私自身は年間40校ほどで教育をしています。
―他の地域にも行かれていると伺いました。
一昨年、私が山梨県の学校関係者の研修会に行った時、「ぜひ喫煙予防教育をやりたい」という学校教員の方から依頼され、一昨年に山梨県の高校で喫煙防止教育をさせていただきました。その時に山梨県の医療関係者などに見学していただいたんですね。そしてその後は、最初に私に声をかけてくださった学校の先生主導で、似たような形態の教育を始めてくれています。また、大阪府や兵庫県からも依頼があり、出張教育をしています。兵庫県丹波市に関しては、市内7つの全中学校で教育を進めています。
ただ私たちのスタッフ数では、教育するだけで手一杯になっているのが現状です。教育を受けた子どもたちの中には、実際すでに吸っている子どもいるのですが、彼らの卒煙サポートができていないのです。
また学校で喫煙防止教育していて感じるのは、「健康被害を予防する」のではなく「規律違反の生徒を見つけ出す」という視点で見ている先生方もいらっしゃるということ。さらには喫煙している生徒にとっては、保険診療が可能になったとは言え、禁煙外来を受診することはとてもハードルが高く、彼らの生活の場である学校での支援が不可欠です。しかし、卒煙支援を学校側にも協力してもらおうとしたら、「子どもたちがタバコを吸っていることを認めることになるので協力できません」と言われてしまったこともありました。そのため学校で喫煙している子どもを見つけても、彼らが卒煙することのお手伝いをできていないのが、とても大きな課題だと思っています。
この点に関しては「吸い始め」予防の教育をさらに広めて、学校側にも協力していただける環境をつくっていくことが私たちの役割だと思っています。
―最後に今後の目標を教えていただけますか?
私が喫煙予防教育に進んだ出発点が「病気になっていただきたくない」ことでした。ですから、ほんの少しでも「やめたい」気持ちがある人へは、その気持ちを膨らませて、止める方向に一緒に歩んでいきたいと思います。また、喫煙が習慣化してしまうと止めることは非常に難しいので、吸い始めない教育を全国へと広げることに、今後も力を入れていきたいですね。