山間部診療所をまとめて管理するネットワーク
―現在、どのようなことに取り組んでいるのですか?
岐阜県郡上市を中心に隣接する高山市の一部(荘川地区)と、世界遺産に認定されている合掌造りで有名な白川村の診療所も含めて、複数の医師で複数の診療所を管理運営するためのネットワーク「県北西部地域医療センター」のセンター長を務めています。同時に、同センターの基幹病院である白鳥病院院長も務めています。
(県北西部地域医療センター診療範囲:オレンジ部分)
郡上市や高山市、白川村は岐阜県北西部に位置していて、飛騨山脈などの山々に囲まれた山岳地域です。二次医療圏としては、郡上市が中濃医療圏に、高山市と白川村は飛騨医療圏に属しています。つまり、私たちの取り組んでいる県北西部地域医療センターは、二次医療圏を越えた市と村を診療圏としていることになります。
面積は約1710㎢で、東京23区の2倍強あります。これだけ広い地域をカバーしているのですが、人口10万人に対する医師数は163.0人※1。これは10万人対医師数がワースト1位の埼玉県161.38人をわずかに上回る程度の数字です。仮に対10万人医師数が全国4位の鳥取県で、同程度の面積を有している西部医療圏は369.54人なので、1/2にもなりません。
※1 平成26年人口から計算
―二次医療圏を越えた市と村の公立医療機関をネットワークに組み込んでいるんですね。県北西部地域医療センターが具体的にどのような仕組みで成り立っているのか教えていただけますか?
郡上市と白川村、そして高山市の一部、2市1村の山間部にある公立の8診療所と介護老人保健施設、歯科診療所を、同センター基幹病院に位置付けている白鳥病院に所属する医師と各診療所の医師たちがローテーションを組んで出向き、各地域の医療ををサポートしています。
代診という方法もありますが、住民にとっては慣れ親しんだ医師に診てもらうほうが安心できます。そのため、日頃から関わり信頼関係を築けるよう、一定のシフトの中で診療するという方法を取っています。
―県北西部地域医療センターによって、働く医師の負担はどうなりましたか?
各診療所の医師も、白鳥病院の医師も1人1人にかかる負担は減っていると思います。人口が減っているとはいえ、一人の医師で山間部の診療所の全てを担うのは負担が重すぎます。県北西部地域医療センターができるまで、白川村の2つの診療所長を兼任していた医師は約10年プライベートな休暇を取れていませんでした。
負担が重過ぎると、若手の医師もなかなかやってきません。私たちのセンターに関わる医師が支援しあうことで、診療所の医師はちょっとした相談ができるので診療面においての不安をぬぐうことができたり、学会への出席やプライベートな休暇のため容易に休みが取れたりしています。
二次医療圏の枠を越えた地域医療センター
―どのような経緯で、県北西部地域医療センターを立ち上げたのですか?
私は1989年に自治医科大学を卒業し、初期研修の2年間と大学教員を務めていた2年間を除き、トータル22年間和良村(現・岐阜県郡上市和良町)の国保和良病院に勤務していました。その間に旧郡上郡7町村である八幡町、大和町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、そして私のいた和良村の対等合併を経験しました。
合併が地域医療、特にへき地医療にもたらした影響は必ずしも少なくありませんでした。財政の課題、広大市域と低人口密度の状態、あるいは旧市町村間の平均化の困難性といった、合併にともなう課題によって量的にも質的にもへき地医療は縮小の方向に考えられがちです。つまり、中小病院の医師不足ばかりがクローズアップされ、その対応が重要視される、または、再編という名目によって地域の中核医療機関だけに人員・機能を集中させ、周辺部の医療機能は弱体化させるといった具合にです。加えて合併の頃には全国的に医師不足の問題が表面化し、もちろん私たちの地域でもそれは例外ではありませんでした。
こうした環境変化に対応するためには、システムとしてへき地医療をさせることを検討しなければならないと考えました。へき地医療を支えるモデルとしては従来、中核病院に医師を集め、へき地に定期的に派遣するというモデルが主流です。しかし、医療の進歩に伴い臓器専門性の高い医師が増える医療界では、こうしたモデルがへき地のニーズに一致しないことは明らかです。
そのため中核病院には臓器専門医を配置し、へき地の複数の診療所を複数の地域医療を専門とする総合医によって支えるというモデルにすれば、それぞれの医療機関の役割が明確化されるとともに、次代を担う若手医師たちにも理解しやすいシステムになると考えました。そこで、郡上市においては後者のモデルに基き、複数のへき地医療機関を複数の医師で管理運営する郡上市地域医療センターを立ち上げたわけです。これが県北西部地域医療センターの前身となります。
―郡上市地域医療センターから、県北西部地域医療センターへはどのようにして発展させていったのですか?
2007年から2014年までは、郡上市地域医療センターとして市内のへき地医療を支えていました。その後、郡上市内北部にある国保白鳥病院の院長の後任が決まらず、私に打診があったんですね。
医師不足に加え人口減少が顕著になっていく地域で、60床の中規模病院を存続させていくことが今後ますます難しくなっていくことは容易に想像できました。一方の郡上市地域医療センターでさえ、人口減少が急速に進むへき地において複数医師を持つ診療所を継続することは、財政的な課題や費用対効果を考慮すると中長期的には困難であるとも思っていました。であれば既存のままではなく、何かアイデアをひねって違うことをやらなければならない―。
そこで郡上市地域医療センターのノウハウを生かし、医師確保にもつながり、人口減少時代即した基礎自治体の枠組みにとらわれない地域医療、特にへき地医療を支える仕組みをつくるために、白鳥病院を基幹病院として位置付け付加価値を付けることで、郡上市内だけではなく、隣接する高山市や白川村の計3診療所もまとめて管理運営すればいいのではないかと考えました。そこで名称も「郡上市地域医療センター」から「県北西部地域医療センター」へ変更し今の形まで発展してきました。
―自治体の枠組みを越えたネットワークづくりはさまざまな方面との調整が必要だと思いますが、どのように進めていったのですか?
まずは岐阜県に提案しました。県としても、へき地診療については人手不足の解決策が見出せず困っていたので、積極的に音頭を取ってもらえましたね。その結果、各自治体との話し合いをスムーズに進めてもらうことができました。2市1村の取り組みスピードに差はありましたが、最終的には2017年2月、2市1村の首長が集まり、県の立会のもと連携協定を締結しました。
合併町村内でネットワークを組み始めている事例や、二次医療圏内で連携を取っている事例は聞きますが、二次医療圏を越えてネットワークが構築されている事例はまずないのではないでしょうか。
「犠牲」の上に成り立つのが地域医療か?
―では最後に、県北西部地域医療センターにかける思いを聞かせていただけますか?
私が自治医科大学に入学してから約30年が経ちますが、そのさらに前から「へき地には医師が来ない」「一人の医師の自己犠牲のもとにその地域の医療が成り立っている」という構造が変わっていません。さらに地域医療やへき地医療は、「医師がたった一人で一生懸命地域の健康を守っている」という美談として度々メディア等で取り上げられます。
しかし、そんな「犠牲的」な医療を前のめりにやりたがる人はあまりいません。地域医療への敷居を上げているだけです。そうではなくて、若手医師がもっと気軽に飛び込める仕組みが、地域医療には求められています。
へき地の診療所を一人で守る医師でも、知識のアップデートのためにへき地診療所勤務であっても学会に行ける、「これでいいのだろうか」と不安を抱えながら自分一人で考え治療を進めていくのではなく、気軽に先輩医師に相談できるように他の医師と接することができる、そして冠婚葬祭休暇や夏休み、年末年始休暇も取れる――。このようなことが可能になり、少しでも地域医療への敷居を低くするために、この複数医師で山間部の地域医療を支えるネットワークを立ち上げました。
県北西部地域医療センターは設立されてまだ日が浅く、決して医師が豊富にいるわけではないので不安定な部分があります。しかし過酷なイメージがある地域医療・へき地医療領域でもキャリアを積みやすい環境をつくるべく、今後も継続してネットワークの強化に尽力したいと考えています。