体を支える2本の足から人々の健康を守る
―現在取り組んでいることについて教えていただけますか?
2016年に日本初の“足の総合病院”としてリニューアルした下北沢病院で、院長を務めています。
健康を維持する上で根幹となるのは「食事」と「運動」です。運動のもっとも基本的なものが「歩くこと」です。しかし、足に痛みや傷がある状態では、歩くことがままなりません。それでは基本的な運動ができない状態です。つまり、私たちの健康を支えているのは「足」だと言えるのです。そこで当院では、「足から健康を支える」をコンセプトに、病院全体で“足病院”としての機能を備えることを目指しています。
足の病気やけがは、非常に多岐にわたります。たとえば外反母趾、巻き爪、足の痛み、むくみ、血色不良、糖尿病や腎臓病などの病気に起因する足のトラブル。これらはそれぞれ担当する科が異なり、担当科の病院に行っても専門医がいないために対応できない場合もあります。
そこで当院では、整形外科や血管外科、形成外科など各分野の医師や、足の専門知識を備えた看護師、義肢装具士、リハビリテーション部門、糖尿病専門医などで構成される糖尿病センターなどと連携しながら治療にあたる、「チーム医療」を基礎としたシステムを整えました。何らかの足のトラブルに悩んでいる患者は、まず当院に来てもらえれば必要な診断・治療が受けられるかたちを理想としています。
―幅広く足のケアしていこうということですね。そうはいってもやはり各先生方の専門は異なると思います。病院全体でレベルの均質化を図るためにどのような取り組みをされているのでしょうか?
最初の1年間で整形外科の先生を中心に毎日座学を実施し、情報共有を図りました。また、各科の情報を出し合ってポケットマニュアルのようなものを作成し、外来に役立てています。現在も、毎週月曜日にカンファレンスを行うなど、情報共有を徹底しています。米国の足病学の教科書を毎週交替で1章ずつ翻訳して勉強しながら、日本における足病学の基礎を作ることも実践していますね。
あとは、院内での取り組みではありませんが、足病という考え日本に根付かせたいという思いから、地域啓発も積極的に行っています。
―足病の地域啓発では、具体的にどのようなことをしているのですか?
足が悪い方、足にトラブルのある方は、治療を必要としていても自分で歩いて医療機関に通うことができないケースが多くあります。そのため足病の分野では、地域と連携していくことが非常に重要です。
そのための施策の一環として、訪問看護師や介護士、セラピストといった医療関係者を対象に、足病やフットケアに関する医学的に正しい知識を提供することを目的とした「足の番人プロジェクト」を実施しています。
フットケアは現在でも足病に比べれば浸透している考えですが、医学的観点からのアプローチはまだまだ足りていません。だからこそ、フットケアに関わる1人でも多くの方たちに、講習を通して、医療的な側面から足のトラブルに関わる知識を持ってほしい。そして、地域の人々の足を守る“番人”としての役割を担ってもらうことを目指しています。
米国の「足病学」の文化を日本に
―これまでのキャリアを教えていただけますか?
大阪大学を卒業し、研修終了後は形成外科医として香川大学に1年間の勤務を経て、大阪大学に戻りました。大阪大学在籍中に「足病医」に興味を持ち、ベルギーのゲント大学に3カ月、米国のジョージタウン大学に半年間の留学をしました。
帰国後、佐賀大学から「足を診られる医師を探している」というお話をいただいて3年ほど佐賀大学で勤務したのち、当院の理事長から声をかけてもらい、2年ほど前に院長として下北沢病院に赴任しました。
―足の専門医、つまり足病医を志そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
大阪大学に勤務していたときに、神戸大学主催の学会で、ジョージタウン大学の先生が発表していた「形成外科医と足病医のコラボレーション」というテーマのプレゼンテーションを聞いたのです。日本で歯が悪いときに歯科医のところへ行くように、ひざから下、あるいは足首から下が悪いときは、米国では「足病医」のところに行くのだという話でした。
「足病医」という言葉自体聞いたことがなかったので、興味があって、実際にジョージタウン大学に半年間留学させてもらいました。それがすごく衝撃的で、面白い内容でした。
形成外科医の仕事は、傷を治すことです。足の傷が治らなければ、日本の形成外科医は、軟膏を塗ったり、植皮や皮弁で患部に皮を貼ったりして、「傷を治すこと」を考えます。しかし、米国の足病医はそうではない。患部に皮を貼ったところで、なぜ傷ができたのか、その根本を正さなければ、また同じところに傷ができます。たとえば、外反母趾で押されて指が曲がっているのなら、指が当たっているところに皮を貼るのではなくて、曲がった指をまっすぐにする手術が必要です。つまり、傷うんぬんではなく、その原因を治すことが必要だ、と。
日本の医学教育では習わなかったことで、原因にアプローチして傷を治すという発想がまさにブレイクスルーでした。
とはいえ、日本でも米国の足病医のような治療を提供しようと思ったら、形成外科のほかに整形外科も血管外科も循環器科も必要となり、簡単なことではありませんでした。どうすれば実現できるかを考えていたときに、当院の理事長から、「米国の足病学を日本に持ち込む、そのひとつのモデルケースとして下北沢病院を作りたい」という話がありました。コンセプトに強く共感して、現在は足病院としての理想のモデルケースを確立するべく尽力しています。
足病学を学ぶ・実践する人のモデルケースに
―現在、下北沢病院が抱えている課題はどのようなところにあると思われますか?
病院全体としてのレベルアップ、地域連携のモデル作りなどのほかに、病院を維持していくためには「収益性」という視点も大切だと思っています。
足の傷は治るまでに何カ月もかかるものが多く、たとえば切断に至ってしまうような足を助ける「下肢救済」は、心臓のカテーテル治療などと比較すると、単価も回転率も落ちてしまいます。とはいえ、収益性を担保しなければ病院自体の存続に関わりますし、足専門の医師になろうという志がある方はなかなか出てきません。
当院のような足の病院は、患者のニーズがあるのは確かです。そのため、モデルケースを確立するという意味でも、「高単価回転の疾患と私たちのミッションである下肢救済のような疾患とを、どのように組み合わせて収益性を担保するか」が今後の課題です。
あとは、マニュアルや教育体制を整えて、当院をさらに、足病医を志す医師の研修施設となるだけのクオリティに引き上げることが、将来の目標でもあります。まずは後期研修の一環として、1カ月や3カ月といった単位での受け入れもどんどん行っていきたいですね。
―最後に、キャリアに悩む若手へアドバイスをお願いします。
私自身、若手の先生から相談されることもありますが、「どうしたいの?」と聞くと、専門医を取るまではわからないと答える人が少なくありません。もちろん、まずは専門医を取る、そこに集中する、という考え方も大事です。しかし、専門医を取ってからのスタートとなると、2、3年などあっという間に経ってしまうものです。それ以前から自分のやりたいことや強みはなんだろうと考えることはまったく悪いことではないですし、早めにさまざまなコネクションを作っておくこともいいと思います。
私の場合、大学に勤務していたときから自分が何をやっていこうか、大学の中での自分の強みは何だろうかと考える習慣ができていたので、今思えば早くから「足病の文化を日本に根付かせたい」という自分の道が定まっていました。もちろん、自分がやりたいことを求めてくれる方がいたことは、ラッキーだったと言えます。しかし、ただ漫然と研修を終えるのではなく、5年後10年後に何がしたいかを常に考えて、それを外に発信していく考え方は、キャリアを形成する過程で持っておくといいと思います。
(インタビュー・北森 悦)