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INTERVIEW

千葉大学医学部附属病院病院長企画室

循環器内科

亀田 義人

地域医療にも“PDCA”が必要だ

循環器内科医として研修を終えたのち、医系技官として厚生労働省へ出向するなど異色の経歴を持つ亀田義人先生。厚生労働省での経験が、病院経営を含めた地域マネジメントを目指す、現在の活動にもつながっているといいます。なぜそのようなキャリアを選択したのか、そして、今後は何を目指すのか、その展望を伺いました。

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病院と地域が連携した仕組みづくりを

―現在の取り組みについて教えていただけますか?

千葉大学医学部の病院長企画室で病院経営やマネジメントに携わる一方で、近藤克則先生の研究室で「健康を支える地域づくり」に関連した研究も進めています。

具体的に何をしているのかというと今年度、千葉大学病院に「ちば医経塾」を開設しました。文部科学省の「履修証明プログラム」として、医師に限らず病院経営に関して問題意識を持っている社会人などを対象に、病院経営のスペシャリスト、地域のマネジメント人材を養成するための教育プログラムを提供しています。講師には、病院経営第一線の方々や医療制度に深く関わる行政の方々総勢50名以上を呼んでいます。

医療経営学では千葉大学病院はじめ多数の病院の経営向上に貢献してきたノウハウを塾長の井上貴裕先生自ら伝授してくれるほか、国を代表する豪華講師陣にご講演をいただいています。そして、修了生は「ちば医経塾」同窓会組織に登録されて、講師や受講生同士が継続的に交流できるようにしています。今年度から始めた新たな取り組みなので、運営しながらさらなるブラッシュアップを図っていこうと考えています。

なぜそのようなプログラムを提供しているのかというと、全国公私立病院で6~7割が赤字であり、漫然と患者を診ていれば病院経営は安泰、というものではないからです。そこは一般企業と同じように、もしかするとそれ以上に複雑な、さまざまな知識や経験が求められます。そこで、病院経営の観点から幅広く、医療安全や働き方改革等、多彩な分野の科目を設定して、病院経営における課題にしっかりと取り組めるようなプログラムをつくりました。嬉しいことに今年度から始まった第1期生は、定員10名のところ北は北海道、南は沖縄まで、全国から59名もの応募があり、23名を正規生として迎え入れることになりました。

また、千葉大学予防医学センター近藤克則教授が代表を務める「JAGES(Japan Gerontological Evaluation Study/日本老年学的評価研究)プロジェクト」にも参加しています。ここでは国内40以上の市町村から協力を得て、65歳以上の方約20万人分の所得や教育、地域とのつながりといった社会的な要素など、どういったことが健康に影響するかを分析するための膨大なデータを集めています。それらを活用し、健康格差の問題や健康に影響を及ぼす社会的決定要因を明らかにするさまざまな研究や、地方公共団体と共に健康課題や社会環境要因のベンチマークと地域課題の「見える化」システムのプロトタイプづくりなどを行っています。

JAGESプロジェクトは、前身のAGES(愛知老年学的評価研究)が発足した1999年から続いており、このたび、日本老年学的評価研究機構として法人化を果たしました。私は、千葉県松戸市で産学官民協働して現役世代やリタイアした世代皆が自然と地域とつながる仕組みとマネジメントシステムを敷くプロジェクト(松戸プロジェクト)の立ち上げに関わったり、「ふなばし健やかプラン21」という千葉県船橋市の健康増進の総合的な推進を図る計画に推進評価委員会会長として携わったりしています。

―これらの取り組みを進めていく目的は何ですか?

私が現在目指しているのは「健康な街づくりと健全な病院づくり」です。私は「病気」に対して「治療」というアプローチだけでは不完全で、患者が置かれている社会環境にも医師は向き合っていかなければ、真の問題解決には至らないと考えています。

地域の人々の健康を維持するためには、病院経営と同じくらい地域づくりも大切で、ちば医経塾での活動は前者、JAGESでの研究は後者につながるものと考えています。

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PROFILE

亀田 義人

千葉大学医学部附属病院病院長企画室

亀田 義人

千葉大学医学部附属病院病院長企画室、病院経営管理学研究センター、国際医療センター、千葉大学予防医学センター
佐賀大学医学部を卒業後、千葉大学循環器内科に入局。千葉大学大学院医学薬学府博士課程修了(医学)後に、厚生労働省へ出向。雇用均等児童家庭局母子保健課課長補佐、医薬食品局血液対策課課長補佐を経て現職。

 

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