未来の医療を創る人をつくる
―今の取り組みについて教えていただけますか?
私は現在、現役の眼科医であると同時にデジタルハリウッド大学大学院で客員教授として、デジタルヘルスに関する教育を行っています。デジタルハリウッド大学大学院は、デジタルコミュニケーションを理解し、コンピュータを利用して何かを創造する大学院で、その中でも大学院の研究室「デジタルヘルスラボ」として、デジタルヘルス領域の医療現場に則したサービス開発を中心に教鞭をとっています。
その他にも、厚生労働省の医療ベンチャー支援事業(MEDISO)でアドバイザーやJ-Startupという、経済産業省中心で行われているプロジェクトのヘルスケア部門で、有望な企業を推薦するような仕事も行っています。行政の人に最新の医療テクノロジーを伝え、政策立案に役立てることを考えてもらう目的で、月に1回、霞が関で行政担当者と医療ベンチャー企業の社長が一堂に会するミートアップイベント「Japan Health Meetup」や、「ヘルスケアビジネス研究会」というデジタルヘルスサービスの開発とともに、サービスに持続性を持たせるために、ビジネスの視点も学ぶ研究会を主宰しています。「ヘルスケアビジネス研究会」はリアルの勉強会だけでなく、東京での勉強会の様子をオンラインでも中継しているので全国から参加があり、現在200名以上のオンラインコミュニティになっています。
ヘルスケアビジネス研究会:https://lounge.dmm.com/detail/504/
―活動が多岐に渡りますが、背景にはどのような想いがあるのでしょうか?
医療や社会をより良くしていく方法には、まず「目の前の患者を治療する」があります。もちろんこれはとても重要ですが、医師法の第一条には「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」と書かれていて、その方法は多様にあると私は考えています。
私が考えているのは、それぞれの医師がそれぞれの力を発揮することで、トータルで社会は良くなっていくということ、そして今まで解決できなかった医療の課題を、テクノロジーが変えていくということです。
だからこそ医師や、医師に限らず社会を良くするためにいろいろなことをしている人を応援したいと考えています。そのためにデジタルハリウッド大学大学院で教育に携わっていますし、2018年6月には「医療4.0」(日経BP社)という、テクノロジーを活用して活躍している医師30名を紹介した書籍を発売しました。
また、医療現場の最前線にいる医師や医療者は、テクノロジーの最先端をキャッチアップしようとしても限界があると思います。反対にビジネスの領域で活躍されている人が、医療制度や医療の現場感を完全に理解するのもなかなか難しい部分があります。その仲介者となるためにJ-Startupやミートアップイベント、オンラインコミュニティの主宰を行っているのです。私はこのような自分の活動を「未来の医療を創る人を創る」と表現するようにしています。
QOLを診る医師から行政官へ
―医師を目指したきっかけと、これまでのキャリアを教えていただけますか?
浜松医科大学に入学後、医師には「人の生きる死ぬを診る医師」と、「QOL、Quality Of Lifeを診る医師」の2種類あって、私は後者の医師になりたいと思うようになりました。
QOLを診る医師になると考えた時、「耳が聞こえない」「手足がない」「匂いがわからない」など、何がなかったら自分が一番嫌か考えた結果、「目が見えない」だと思いました。好きな映画も観られないし、愛する人も見えない……視覚は外部からの情報の80%を占めますから、目が見えないことは大きな不便につながる、そこを改善したいと思ったのです。当時、失明原因の1位は糖尿病網膜症だったので、その病気を治療する医師になると決意しました。その後、失明原因の第1位が緑内障になったので、結局私は眼科医になってから緑内障治療を専門に外来や手術を行っていました。
眼科医として必要な経験を積む場として行ったのは、京都府立医科大学附属病院でした。そこに決めた理由は、衝撃的な出会いをしたからです。京都府立医大には眼科教授に木下茂先生という方がいらっしゃり、「未来はこうなる、将来はこう変わっていく。君はそのときどうする?」ということをどんどん語ってくださったのです。その話が面白くて、京都府立医科大眼科に行けばこの人の話をもっと聞くことができる、もっと聞きたいと思ったのです。
―その後厚生労働省に出向されたそうですが、どのような経緯があったのですか?
研究のため京都府立医科大学大学院に進学していた時、先ほどの木下先生に、交流人事で医療技官として厚生労働省へ赴くことを勧められたのです。私自身は研究のために大学院に進学していますから、抵抗があり最初は断りました。ですが木下先生に「研究以外の世界をもっと知るべき。加藤には必ず役に立つから」と私のことを考えて言ってくださり、厚労省に行くことを決めました。
「1を100にする」医師
―厚労省では、どのようなことを担当されていたのですか?
厚労省では、研究開発の制度設計に携わっていました。医政局研究開発振興課というところに所属し臨床研究に関する法律や、高難度新規医療技術・未承認新規医療品等による医療のガイドラインの作成などを行いました。平成30年4月に施行された「臨床研究法」は、未承認や適応外、企業からの金銭的支援がある臨床研究の実施の手続きなどを定める法律でです。
個人的にも制度について知りたいと出向以前から思っていましたし、結果的に今の活動につながっているので、非常に貴重な経験をさせてもらいましたね。私は厚労省出向前、「メミルちゃん」という、プライマリ・ケア医が眼科領域を診る必要があるときに、眼科専門医に診断や治療のことを相談できるサービスを開発していました。開発の過程で、法律の中で知るべきことがたくさんあり、その制度を理解するのを難しく感じていた、という経緯があったのです。
厚生労働省には約1年在籍していました。その後は大学に戻ることも考えましたが、大きく時代が変化している中で新たな世界やテクノロジーに触れたことで、医師だからできること、大学病院にいるだけでなくいろいろな経験をしているからこそできることをやりたいと思うようになっていました。
そんな時、「臨床研究法について解説してほしい」という講演依頼をいただいたり、企業の顧問やアドバイザーになってほしいという依頼があったり――その後、デジタルハリウッド大学大学院の教員にも就任しました。
世の仕事には「0」から「1」を生み出すものと「1」を「100」にするものがあります。政策に合わせたり、医療現場と制度、ビジネスをうまく組み合わせて、医師起業家が考えたものを市場に価値のある形で出せるよう指導したり整えたりするのは、自分が手伝えることであり、やりたいことだと考えたのです。そしてをデジタルハリウッド大学大学院の教員を軸として、現在のような形でさまざまな活動をするようになりました。
―今後の展望をお聞かせください。
現在私はデジタルヘルス領域で、「0」から「1」として作り出されたサービスがきちんと市場に出され「1」から「100」になるように、そしてそのサービスが持続性を持てるように、医療現場と政策に沿った形のビジネスモデルを確立するべく、教員をはじめ企業の顧問やアドバイザーとしての活動を始めました。
私の知見を活かして「1」を「100」にすることができれば、最初にお話した通り、デジタルヘルス領域で社会をより良くしようとしている人の力をより一層発揮させることができ、トータルで社会が良くなっていくことにつながります。そのため、今後も今の活動を続けていきたいと考えています。
一方で、「0」から医療機器を作り、その医療機器を世に広めるところまでを、私自身が取り組んだことがありませんでした。教えたりアドバイスしたりする立場なのに自分でやったことがないのは説得力に欠けます。そこで、沖山翔先生と一緒にAIを用いた医療機器ベンチャーであるアイリス株式会社を始めました。インフルエンザ診断をAIで支援する医療機器を2020年には保険診療として医療現場に届けることができるように開発を行っています。今後は、お話ししてきた活動とともに、自らも医療機器を作り、市場に出し、医療現場に届け、医療に関わる人全てに喜んでもらえるよう、ベンチャー企業での取り組みにも邁進していきたいと考えています。
(インタビュー/北森 悦、文/高山 由香)