奈良県知事選出馬のわけ
―奈良県知事選に出馬されると伺いました。その理由は?
子どもが育つ環境として自分の出身地でもある奈良県がいいと考え、2014年3月に気仙沼市立本吉病院の院長を辞任して、地元・奈良県に戻ってきました。医師として働く傍ら、子どもの学校のPTA会長や自治連合会の会長などを務めて、地域活動に関わる機会が増えたんです。すると、徐々に県政の課題が見えてくるようになりました。
奈良県は長年、現職知事が選挙で負けたことがない筋金入りの保守的な県です。そして旧態依然とした部分が多数あったり、県政が住民との対話なくして進められたり――。地元だからこそ、奈良県をもっとよくしたい、そしてやや大げさかもしれませんが、奈良県が変わることで、日本も変わるのではないか。そんな望みを抱いて、奈良県知事選に出馬することを決めました。
ー医療現場への未練はないのですか?
もちろん大いにあります。昨年12月に全ての診療一度「店じまい」したのですが、後ろ髪を引かれまくりでした。でも今お話したように、奈良県に帰って来て、奈良県の行政の課題が見えてきて、やはり奈良県を変えたいとの思いのほうが強くなったので、店じまいを決意しました。
昨年12月までは10カ所の医療機関などで医師としての仕事をさせてもらっていて、それぞれの現場で「頑張って」と送り出してもらえたことが、大きな励みであり、今のモチベーションになっています。
本吉病院院長を辞めてから
―前回お話を伺った時は、本吉病院の院長をちょうど辞任したタイミングでした。その後の4年間はどのような医療現場にいたのですか?
以前お世話になったことがある奈良県内の病院で働いていました。しかし病院側と、診療方針などの違いから折り合いが悪くなってしまいました。そうはいっても、子どもたちを養っていかなければならないので、どうしたものかと考えました。その時に、ふと思ったのです。
私は、高齢者の生活支援が自分の医師としての役割だと考えているのですが、お年寄りの自立について、常々こう考えています。
高齢者の自立とは、自分一人で何でもできることを指すのではなく、例えば、入浴の介助は週1回来るヘルパーさんにお願いする、違うことをするときには息子に介助してもらう、近所にはお茶を飲みながら世間話をする相手がいる、具合が悪くなったら近所のかかりつけ医にすぐ相談できる、薬のことは近所の薬剤師さんに聞けるなど、頼る相手が複数人いる状態だと思っています。一番避けたいのは「私にはこの人がいないとダメ」と一人に頼り切ってしまう状態です。
翻って、自分自身も1つの勤務先に頼り切ってしまっていてはうまくいかなくなると思ったのです。本吉病院院長を辞任した後も、月に1回だけ非常勤として行っていました。そのような形で勤務先を10カ所ほど増やしていこうと思ったのです。
ところが、2,3カ所非常勤先を増やしたところで、月1回勤務していた本吉病院から、交通費の支給が打ち切られてしまいました。奈良から宮城までは往復5万円前後。この通費が実費負担になるのは、いくら医師とはいえ、まだ10代の子どもを養っている家庭としては厳しいと思い、「これは辞めざるを得ない」と考えていました。すると、「隔週1回勤務してくれたら片道分の交通費を出す」といってくださった医療機関が現れたのです。本吉病院がある気仙沼市に隣接している登米市のやまと在宅診療所登米でした。
そこで、月曜日は本吉病院、火曜日はやまと在宅診療所登米で勤務し、奈良に帰る生活が始まりました。すると今度は、「帰りの交通費を出すからうちでも勤務してくれないか」という医療機関が現れたのです。そのため月曜日から水曜日までは東北地方で外来や在宅診療を行い、水曜日の夜に奈良の自宅に帰るという生活が始まったのです。
このようにして徐々に勤務先が増えていき、最終的には青森県八戸市、岩手県盛岡市、京都市、奈良県桜井市などで診療を、その他に当直勤務や介護認定審査会、放課後デイサービスという障がいがある子どもたちのための学童のようなサービスで嘱託医などをしていました。地元の医療系専門学校で、医学総論や公衆衛生の授業も担当していましたね。
―そのような仕事スタイルで一番やりがいに感じていたのはどのようなことでしょうか?
それまでは非常勤で働いたことがありませんでした。初期研修、後期研修を終えていきなり本吉病院の院長になってしまったのもありますが、やはり非常勤だと責任が伴わず、中途半端な働き方になると思っていたからです。しかし非常勤で働いていても、1年2年と続けていると、ある意味主治医のように頼られることがあります。例えば、在宅診療を受けている患者さんが急変し、慌てた家族が病院の電話番号を忘れて私の携帯電話にかけてくる――。非常勤医でも患者さんから頼りにされていることが、やりがいにつながっていますね。
医療も県政もツールの1つ
―選挙結果によって、今後のキャリアがどうなるか分かりませんが、県政に携わることになっても大事にしたい信念などはありますか?
実は私が「地域」に目を向けるようになったのは、子どもが生まれてからです。それまでは自治会会長なんて絶対にやらないような人間でした。でも、子どもは地域育つということを実感してから、認識が変わったのです。
子どもは特に学校に通うようになると、朝「いってきます」と言って家を出たら、夕方まで帰ってきません。つまり子どもは学校、そして地域で過ごす時間が圧倒的に多くなり、そこで育っていくのです。子どもを育ててもらっている地域に恩返しをするために、私は医療というツールを活用する、そういうスタンスで医療に従事するようになりました。奈良県以外で医療を提供していても、その地域が医療を通してより良く変わっていくことで、回り回って自分の子どもを育ててもらっている地域も変わり、恩返しができるという思いを持って働いていました。
医療を活用するか、県政に携わるか――。方法の違いはありますが、子どもを育ててもらっている地元・奈良県をより良くしたいという信念は今後も変わることはありません。
(インタビュー・文/北森 悦)