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現地に赴任した女性医師が語る! エボラ体験記リベリア編[2]

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郡内の医療施設の半分以上は閉鎖、首都の治療施設はエボラ患者で溢れかえり、対応不能に。リベリアの脆弱な医療システムが受けた大打撃の惨状。

赴任先となったマージビ郡の様子を述べるにあたり、世界最大のゴム農園ともいわれるファイアストンについて触れておきたい。リベリアには大きなゴム農園が存在するが、その中でも日本のブリヂストンの子会社であるファイアストンナチュラルラバーカンパニーは、マージビ郡に広大な敷地を所有し、約8000人の従業員とその家族のための医療施設や教育施設が整っている。

リベリア国内で症例が報告され始めた時期である3月末に、その農園内の従業員の家族がエボラウイルスに感染していたことが判明した。今回の「震源地」はリベリアとの国境に近いギニアの地域とされている。そこに近いリベリア北部からやって来たという。

リベリア国内でもまだ対策が整っていなかった時期であり、ファイアストンは自ら手を打たなくてはならなかった。専門家に問い合わせて情報を入手し、手さぐりでエボラ対策チームを編成した。そして既存の医療施設や教育施設をエボラの治療施設や接触者の隔離施設に転用し、エボラ対策に取り組んだ。その取り組みは高く評価され、様々なメディアにも取り上げられている。

しかしファイアストン外では、資金もマンパワーも乏しく、そうはいかなかった。リベリアはそもそも人口あたりの医師数が極端に少ない国である。今回のエボラ感染で、もともと脆弱な医療システムが大打撃を受けていた。

私がマージビ郡に滞在した際に拠点としたのは、郡内で最も大きな公的病院である。この病院は、亡くなる直前までエボラの診断がつかなかった入院患者を通して20名近くのスタッフがエボラに感染し、閉鎖していた。

マージビ郡全体を見ても、34ある医療施設のうち半分以上は閉鎖していた。こうなると地元住民は基本的な医療でさえ受けられない。住民の中には、発熱や下痢など、ありきたりな症状で受診してもエボラを疑われる可能性があるから医療機関を受診したくない、という恐怖心も見られた。

私が赴任した当時、マージビ郡内にはファイアストン以外にエボラ治療施設はなかった。ファイアストンも従業員と家族以外の患者は受け入れきれないと判断し、外部からの受け入れは行っていなかった。

そのためエボラが疑われる患者の報告があるたび、救急車ではるばる首都モンロビアの治療施設に搬送しなくてはならなかった。しかし9月初頭当時、首都モンロビアのエボラ治療施設は患者であふれかえっており、せっかく到着しても患者を収容しきれず、泣く泣く自宅へ送り返す、ということも珍しくなかった。

エボラの感染拡大を防ぐためには早期発見、早期収容で未感染者への二次感染を防ぐことが必要だが、とても対応しきれている状況ではなかった。

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医師プロフィール

小林 美和子 感染症内科

世界何処でも通じる感染症科医という夢を掲げて、日本での研修終了後、アメリカでの留学生活を開始。ニューヨークでの内科研修、チーフレジデントを経て、米国疾病予防センター(CDC)の近接するアメリカ南部の都市で感染症科フェローシップを行う。その後WHOカンボジアオフィス勤務を経て再度アトランタに舞い戻り、2014年7月より米国CDCにてEISオフィサーとしての勤務を開始。

小林 美和子
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