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口腔ケアで、負のスパイラルをとめる!

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東日本大震災発生の5日後には被災地に入り、支援活動を始められた古屋聡先生。活動をされる中で、口腔ケアや嚥下障害に対するアプローチが不十分なことで、誤嚥性肺炎になりやすかったり、高齢者がなかなか退院できなかったり、退院してもすぐに具合が悪くなってしまうといった、負のスパイラルになってしまうことに気づき、専門職による口腔ケアや食支援の取り組みを始められました。

―東日本大震災後の現地で起こっていた問題はどのようなものだったのでしょうか。

発災初期、気仙沼の避難所で活動していた時、歯ブラシや入れ歯が流されてしまって口腔ケアが必要な状態の人がすでにたくさんいるのを目の当たりにしました。

4月以降は「気仙沼巡回療養支援隊」という医療支援チームで活動しましたが、寝たきりや褥瘡の患者さんなどが多かったため、それぞれのニーズを正確に把握して、摂食嚥下障害にまで特別なアプローチができるような余裕はありませんでした。しかし、例えば肺炎で入院した高齢患者さんは、治療が終わっても食事を食べられるようにならず、なかなか退院できません。それでも病院には入院を必要する患者が次々と来ますので、無理をして退院させる。するとまたすぐに具合が悪くなって入院が必要となったりする。こういった負のスパイラルを止めるためにも、口腔ケアや食支援に少しでも取り組んで行く必要がありました。

もともと山梨県で口腔ケアや食支援についての活動に取り組んでいたので、一緒に活動をしていた歯科衛生士さんたちを東北に呼び、神奈川県をはじめとした全国の食支援の活動で有名な人たちに声をかけていきました。そうしてどんどん専門の方が東北に集まってきて、現地で医療や介護に携わる方たちと一緒に口腔ケアや食支援などを行う活動を始め、「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート(通称ふるふる隊)」が誕生しました。

3月25日に成立した在宅医療に特化した医療支援チーム「気仙沼巡回療養支援隊」でも、ボランティアの歯科医や歯科衛生士をネットで集めていたので、双方のルートで集まった人たちが気仙沼市でどのように支援活動をしていけるかをマネジメントしていきました。その結果、気仙沼市のほとんどの病院・施設に複数回、口腔ケアや食支援の活動に入ることができました。

―なぜ口腔ケアに力を入れられるようになったのですか?

私が口腔ケアに積極的に取り組むようになったのは、かつて担当していた患者さんが口腔ケアによって元のように食事を食べられるようになったことがきっかけでした。70代の患者さんで、脳出血により麻痺があったものの普通に食事できていたのですが、他の病院で大動脈瘤の手術を行った際に、口から一切ものを食べられなくなってしまって、胃ろうを造設されて帰ってきたのです。

何とか元のように食べられるようにしてあげられないかと、あらゆる専門家の方にかけ合いましたが、「元のように食べられるようにはならない」と言われ続けました。そのような中、一年以上を経て、ネットを通じて教えてもらった山梨で有名な歯科衛生士の牛山京子さんにその患者さんの口腔ケアをお願いしたところ、半年ほどして口から食べられるようになったんです。ただ口を清潔にし、誤嚥性肺炎を予防するだけではなく、食べる支援やコミュニケーションの支援、さらには社会参加にもつながる口腔ケアの重要性に衝撃を受け、そこから口腔ケアを推進する係になりました。

―先生の口腔ケアの活動に対する今後の目標を教えてください。

2013年の春から、気仙沼には「気仙沼・南三陸『食べる』取り組み研究会」という多職種勉強会が成立し、今では、気仙沼市は食支援の取り組みがとても優れている地域となっており、日本で最高レベルであろうと言われる施設も存在するくらいです。それでも、現場や事業所によってどうしても差が出てしまうので、なかなか手が出にくい所にアプローチして行き、勉強会を開催するなど皆で一緒に取り組んで行く活動を、今後も続けていきたいと思います。

(聞き手/左舘 梨江)

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医師プロフィール

古屋 聡 在宅医療、整形外科

1987年自治医大卒。山梨県立中央病院で研修後、山梨県牧丘町立牧丘病院(現山梨市立牧丘病院)にて“ひとり整形外科医”として勤務。1992年より塩山市国保直営塩山診療所(現在は閉院)にて在宅医療に取り組み、2006年に山梨市立牧丘病院に再度赴任、2008年より現職。
東日本大震災後に現地での支援活動に取り組む中で、2011年3月25日に成立した在宅患者をサポートする医療支援チーム「気仙沼巡回療養支援隊」にて活動する。その中の特別活動として「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート(通称ふるふる隊)」をコーディネートし、内外の多職種で取り組み、その後、「気仙沼・南三陸『食べる』取り組み研究会」を地域の方々とともに立ち上げて活動している。

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