2016年1月23・24日の2日間、在宅医療の担い手たちが全国から集い、職種を超えて議論するイベント「今すぐ役立つ在宅医療未来道場」が開催されました。
コミュニケーション方法、効率的かつ疲弊しない運営方法、複雑な事務業務、他事業所との連携方法、地域資源の発掘――。よりよい在宅生活を支援するために、医療者は何ができるのか。各地で奮闘している人々がアイディアや技術を持ち寄り、丸2日間、「明日から実践できる」を目標に、在宅医療の未来について学び合い、語り合いました。
◆「今すぐ役立つ在宅医療未来道場」とは
在宅医療を実践する中級者向けに、在宅医療の質や効率を高めること、在宅医療に取り組む仲間とつながることを目的として開催された今回のイベント。実行委員や講師には、永井康徳先生をはじめ、市橋亮一先生、小澤竹俊先生、鈴木央先生、紅谷浩之先生、在宅ケア移行支援研究所の宇都宮宏子氏など、在宅医療の重鎮たちが集結していました。募集開始4日目でほとんどのコースが定員を超過したそうです。
医師、歯科医師、看護師、薬剤師、PT、OT、ST、管理栄養士、ケアマネージャー、医療事務など、総勢136名の多職種が参加しました。参加者たちは以下の6つのコースから1つを選択し、60~80分の7つのプログラムに参加しました。
■在宅医療実践者コース
■在宅医療経営マネジメントコース
■在宅医療コーディネーターコース
■地域づくりプロデュースコース
■在宅での食を支えるコース
■在宅医療事務養成コース
今回は、在宅医療の必要性や考え方の基本を全員参加のオリエンテーションで振り返り、その後各コースに分かれて講師によるレクチャーを受けながら、グループワークにておのおの議論を交わしました。
「そもそも本当に在宅医療は必要とされているのか」「病院の方が安心・安全だから実は病院で過ごしたいと思う人が多いのではないか」という意見もあります。しかし「もう治らない」となったときに残された時間をどこで過ごしたいかという問いには、在宅を希望する方が多いと言います。その人らしい最期の生活を支援するため医療者ができることとは何か。
今回は医師向けに開催されたプログラムのうち、小澤竹俊先生(めぐみ在宅クリニック院長/エンドオブライフ・ケア協会理事)、の講演とワークショップの様子をお伝えします。
≫次ページ:小澤竹俊先生による援助的コミュニケーション概論
◆地域の看取りを支えるための援助的コミュニケーション概論
人生の最終段階を迎えた人と関わるために、関わることが苦手と感じている人が、関わることへの自信につなげていくためにはどのようなコミュニケーションの取り方ができるか、という講演でした。
「あなたに私の気持ちなんて分からない」
「歩けた人が歩けなくなる。『こんな自分に早くお迎えが来ないか』。そんな時に何も心配ありませんと言いますか?本当に苦しんでいる人の気持ちを100%理解できますか?『何で私がこんな目に合うのか』という理不尽な苦しみを、同じ立場にいない私たちは、100%理解することはできません」
小澤先生は、聴き手となる「私」たちは、励ましでも説明でもユーモアでもなく、「聴いてくれる私」であることが重要だとおっしゃっていました。
「何でこんな病気になったのかという問いに対して、『あなたは健康診断を受けなかったから早期診断ができなかったのですよ』と説明されても、苦しみを取り除くことにはなりません。苦しんでいる人は、誰にでも苦しみを言うわけではありません。分かってくれそうな相手を選びます。もし、誰にも打ち明けられない苦しみを分かってくれる人が現れたら嬉しいのです」
苦しい人が自分の辛い気持ちを分かってくれた時に出る言葉は「そうなんです」だと、小澤先生は言います。例えば「昨日の夜、眠れなかったんです」という言葉に対して、どのような言葉をかければ相手が「そうなんです」と言うか、問われました。
「『だってあなた、昨日の昼、ずっと寝ていたでしょう』とか『分かりました、今晩は睡眠薬を増やしましょう』と答えても、あまり嬉しくはないですよね。相手が伝えたいメッセージは『昨日の夜眠れなかった』ということ。だから『昨日の夜眠れなかったのですね』と相手のメッセージを反復すると『そうなんです』という言葉が返ってきます」
苦しんでいる中でも穏やかになれる方法
苦しみや悲しみがありながらも、人はそれが平気になれることがありますと言います。有名なアニメソング「アタックナンバーワン」の歌詞の一節に、そのヒントがあるとのことでした。
♫苦しくったって、悲しくったって、コートの中では平気なの
将来の夢に向けて今を生きる、甲子園に行きたいから厳しい練習をする、家を買いたいからお金を貯める――。ただ苦しむのではなく、苦しみから何を学ぶかということにヒントがあると言います。
「その人が選ぶ、認める世界は何か。家族が支えになることもあります。家族がいても支えにならないこともあります。近所の仲間や友人とのつながり、『何があっても神様が私のことを守ってくれる』など、人を超えた存在も大きな支えとなります。亡くなった方とのつながりもあるでしょう。ここでのキーワードは、選ぶことができると穏やかになるということです」
≫次ページ:聴き手の役割
「何もできない」自分を認める
「例えばペンが書けなくなったら新しいペンを買います。役に立たなくなったら捨てますね。人間も役に立たなくなったら捨てますか?役に立たない、何もできない。けれども皆さんにとって大事なものもあるでしょう?私は今身に着けているこの腕時計がもし壊れて直すことができなくなったとしても、捨てることはありません。なぜなら亡くなった父の形見だからです」
歩けなくなって、仕事に行けなくなって、役に立たなくなったという苦しみを抱えた人が自分を認めるキーワードも、やはりアニメソングの中にあると言います。
♫これでいいの。自分を好きになって
普通は何もできなくなった自分を「これでいい」と思えませんが、そんな自分を認める可能性があることこそが緩和ケアの魅力だと、小澤先生は言います。
また、医療者として力になりたいけれども、力になれないことは、いくらでもあります。しかし、役に立たなくなったと苦しむ患者さんの「力になりたい」と思うことこそが、その患者さんの価値を表しているのです。そのことに、小澤先生の講演を聞いたある学生の感想文から、教えてもらったそうです。その感想文の内容とは、「支えになりたいと頑張っているこの先生こそが一番支えを必要としている」というもの。誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としている、とのことでした。
聴き手は相手の世界観を大事にする
小澤先生の講義の後、3人1組で「患者役」と「聴き役」と「観察役」の3役に分かれ、苦しんでいる人の理解者となれる聞き役の技法として、「反復と沈黙」を実践しました。
「もっと生きていたいけども、もうすぐ死んでしまう」といった、希望と現実の開きが苦しみとなります。どんな希望があるのか、そこに対してどんな現実との開きがあるのか。聞き役は患者役の苦しみを丁寧に拾い、相手が伝えたいことを言葉でキャッチして、キーワードを要約して返し、「そうなんです」という言葉を引き出します。
反復する際に注意が必要なのは、自分の感情は相手と同じとは限らないということ。例えば、「桜が咲きましたね」という相手の言葉に、「桜が咲いてうれしいですね」と自分の感情を付け加えた場合、相手は必ずしも「嬉しい」と感じているとは限らないということです。「桜が咲くのを見るのはもう最後かもしれないから悲しい」のかもしれません。
相手を理解しようとするためには、自分の感情はひとまず括弧に入れておいて、相手の世界観を大事にすることが大切なのだと小澤先生は話されました。
実践後、患者役として聴き役をどう感じたか、聴き役は相手の一番伝えたいことを拾えたか、観察役は患者役が話せているように感じたかなど、それぞれの役割を務めての感想を共有しました。聴き役は患者役が話すのを待つ沈黙が苦しかったようですが、患者役はその沈黙は苦しくないという意見があり、それぞれの役を実践してみてのギャップを感じた様子でした。