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医療界の案内人として患者さんを迷子にさせない

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医師4年目の國光克知先生は、現在北海道家庭医療学センターで専攻医として研さんを積む傍ら、将来地元の関西で実現したい夢があるそうです。幼い頃は、医師のことが大嫌いだった國光先生。ある出来事をきっかけに「手段を選ばず、地域の人々を支える町医者」に憧れます。家庭医療の道に進んだ理由と実現したい夢とは――?

◆家庭医なら、自分は医師でいられる

―医師を目指した理由を教えてください。

実は、幼い頃は医師がすごく嫌いでした。当時診ていただいた先生が、子供心にすごく怖く感じたことがきっかけで、医師に対して苦手意識を持っていました。そんな中、母親の友人のドイツで女医をされている先生とお会いする機会がありました。その先生は、内科医だったのですが、数年前に旦那さんを看取っていて。その先生が最期までつきっきりで旦那さんのターミナルケアをされたというお話を聞きました。お話を伺って医師は怖いというイメージから、目の前の患者さんのために寄り添い尽くすことができる仕事、というイメージに変わっていきました。

また、サッカー部に所属していた中学生の時のこと。中学3年生の春にチームメイトの1人が突然白血病で亡くなったのです。当時、私は何もできなかった悔しさと、田舎の医療は本当に彼を救うために最善を尽くしたのか、という少し見当違いの憤りを感じたのをよく覚えています。この経験から、地域のために最善の医療を施せるような医師になりたいと思うようになりました。

―中でも、家庭医療の道を志したのは町医者への憧れからでしょうか?

もちろんその理由もありますね。同時に、家庭医は最も「手段を選んでいなかったから」です。自分は先ほどのドイツの先生のように、自分に悔しいことがあった時、何科だから、と手段を選びたくなかったのです。私が初めてお会いした家庭医の先生は、浅井東診療所(滋賀県)の松井善典先生でした。松井先生は、専門的な治療が必要ならば適切な科の先生へつなぎ、診察に対話が必要ならば自分の対話スキルを全て投入する。そんな学びつつ常に幅を広げながら、手段を選ばずに対応する松井先生の姿に憧れ、家庭医を目指そうと思いました。そして家庭医ならば自分の納得できる医師でいられる、と思ったのです。

しかし、当時は大学でいくら家庭医療や地域の話をしてもなかなか通じずもどかしさを感じていました。自分の身近に家庭医マインドを理解してくれる場所がほとんどなかったので、初期研修先には自分が思い描いている家庭医が院内を普通に歩いている、帯広協会病院を選択しました。

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医師プロフィール

國光克知 専攻医

和歌山県出身。2016年に京都府立医科大学医学部卒業後、2018年に帯広協会病院の初期研修を修了。現在は、北海道家庭医療学センター後期研修プログラムの一環で北海道旭川市の北星ファミリークリニックにて勤務。

國光克知
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