福島県いわき市にある「社団医療法人養生会 かしま病院」にて総合診療科部長を務める石井敦先生。自らを「おせっか医」(おせっかいな医師の意)と称し、総合医療の普及や、研修医の育成など多岐にわたる活動を行っています。どのような思いをもって今の活動をされているのか。思い出に残るエピソード、そして今後の展望について伺いしました。
◆総合診療の普及や、人材の育成に注力
―現在は、どんなことに取り組んでいるのでしょうか?
社団医療法人養生会かしま病院 総合診療科部長、及び公立大学法人福島県立医科大学 家庭医療学専門医コースの指導医として臨床のほか、医学生・研修医への教育、総合診療の普及活動を行っています。
教育拠点の1つであるかしま病院では、福島県立医科大学がコーディネートした総合診療専門プログラムに沿って、専攻医や臨床研修医、医学生を指導しています。開業医を含むベテラン医師に対しては、グローバル・スタンダードな家庭医療を現場で実践していただくための家庭医療生涯教育プログラム「実践家庭医塾」を提供。現在までに117回のセミナーを開催し、のべ1800名もの方々に受講していただいています。
また小学生を対象とした医師職場体験プログラム「キッズ医者かしま」も実施しています。これまで約330名もの子どもたちが白衣を身にまとって医師になりきり、聴診器や血圧計を使った診療体験や、AEDを使った救命措置を学んできました。
2014年には、福島県いわき市医師会理事(2020年からは附属准看護学校副校長)にも選任されたので、地域の人々への講演活動も積極的に行っています。いわき市の学校医は、医師会員で分担しています。
しかし臓器別の専門領域を持った医師が多いので、例えば学校側から「保護者や先生向けに、アレルギー対処法についての講演をお願いします」という依頼があっても、専門外の医師が対応するのは難しい場合があります。「こんな時こそ領域を選ばない総合診療医の出番!」とばかりに、積極的に講演を引き受けています。これらの活動を通じて一般の方にも広く総合診療を知ってもらえればよいと思っています。
―総合診療の教育や普及に力を入れている理由は、どのようなところにあるのでしょうか?
私が住んでいる福島県いわき市は、県内でも勤務医の数が圧倒的に不足している地域。しかも医師の平均年齢が高く、開業医も少ないため、地域全体の医療環境が逼迫している状況です。その環境は年々厳しくなっており、そのために若い医師が集まらなくなってきています。この状況をなんとか食い止めたいという気持ちが強くありました。
それに昔から、周りの人が困っている時には、役に立てる「おっせかいな」存在でありたいという憧れがありました。
―これまでの取り組みの中で、「おせっかいな」自分を発揮できたと思える、印象的な仕事はありますか?
すぐに思い浮かぶのは、ある高齢の男性患者さんです。彼の自宅は、東日本大震災の津波で、1階が浸水し甚大な被害を受けてしまいました。近隣住民も同様の被害を受け、あまりの惨状を目の当たりにして途方に暮れていました。ところが彼は先頭に立って自宅の復旧に努め、周囲のみんなを勇気づけていました。
そんな矢先にがんが見つかりました。同年代の奥さんに迷惑をかけたくないということで、入院して緩和医療を行うことに。意識が不安定になってきた時に、何度か「何かなさりたいことは?」と問いかけたのですが、なかなか明確な回答をもらえませんでした。しかしある日「自宅で大宴会を開いて、みんなに御馳走したい」と、最後の願いを打ち明けてくれました。
「医師として、患者さんの最期にやりたいことを叶えてあげたい」と思い、急遽、在宅酸素とポータブル吸引器、介護タクシーを手配。私が同伴して自宅への外出を決行しました。患者さんが自宅に戻るとたくさんの人たちが待っていて、入院時には見られなかった患者さんの笑顔を久しぶりに目にすることができました。
リスクが高いので実現しにくいことかもしれませんが、患者さんが強く願っていることなら、医師として全うすることが責務だと私は思っています。
◆最初はたった1人で総合医療の普及活動を
―ところで、石井先生が医師を目指されたのはなぜですか?
理由は2つあります。幼少の頃、プロパンガスのボンベ交換などで自宅に来ていたガス販売店のお兄さんがいました。このお兄さんがとても親切で、壊れた傘があれば無償で修理してくれるなど、仕事と直接関係ないことでも日常生活の困り事を解決してくれました。その姿は非常に頼りがいがあって、子ども心にかっこよく映って――。自分も、困っていることや悩み事などを気軽に相談してもらえて、人の役に立てるような仕事に憧れるようになりました。
もう1つは、伯父の存在です。伯父は小さな港町の開業医でした。やはり幼い頃、私は左右10本の指すべてに酷いイボを患い1年以上経っても治らず、伯父に診てもらいました。驚くべきことに伯父は「もう何もしなくていい」と言い放ったのです。最初は半信半疑でしたが、その後まもなくイボはきれいに治りました。さらに、治療困難な膵臓がんを患った祖母を自宅で看取ってくれたのも伯父でした。
それまでは医師に対してネガティブなイメージを持っていたのですが、検査もせず薬も使わず自然治癒することを見抜き、身近な人に寄り添って人生に伴走する伯父のような医師になりたい、と思うようになりました。
―なぜ総合診療科を選ばれたのですか?
地域に住む人々の暮らしに寄り添い、幅広い疾患に関わることができる総合診療科は、自分が思い描く医師像そのものだと思ったからです。
聖マリアンナ医科大学卒業間際に「総合診療内科」が開設されました。当時まだ国内では総合診療や家庭医療は発展途上で、歴史ある専門診療科の医師たちからは理解されにくい環境で、その道に進むことを猛反対されました。しかしその反対を乗り越え、初期研修修了後に同大学総合診療内科に入局しました。
そして2002年、かしま病院に移り、私1人で総合診療を始めました。患者さんはもちろん病院職員も、私がどんな医師で何ができるのか、正しく理解している人は誰一人いませんでした。
そこでまずは院内で勉強会を開き、常勤医師や医療スタッフたちに総合診療医の特長的なスキルや病院内での役割などを知ってもらうようにしました。さらに、こちらから積極的にコミュニケーションを図り実際の仕事ぶりを見てもらうことで、徐々に総合診療医としての居場所をつくっていきました。
しかし一方で、1人で活動を行っていくことに限界を感じていました。そんな時、私にとって大きな転機が訪れました。2006年、日本の家庭医療・総合診療の先駆者の1人である葛西龍樹先生が福島県立医科大学に教授として着任し、地域・家庭医療部を新設。2010年には同大学に地域・家庭医療学講座が開設されました。同じ志を持つ仲間が増え、学び合える環境が整い、可能性が一気に広がりました。
◆クリニックと病院を繋ぐ重要な役割
―今後の展望はどのように描いていますか?
病院の中で総合的に患者を診る医師が、今後非常に重要になっていきます。
例えば、クリニックからの紹介で高齢の患者さんを緊急入院させるようなケースで、長期的な入院は患者さんにとって望ましくない場合、入退院を繰り返したり、退院後の訪問診療が必要になったりすることがあります。短期で主治医が変わることで、適切なタイミングで対応ができず、患者さんが次第に弱っていってしまう。そんな状況に陥ることが少なくありません。
かしま病院では、そうならないようにするために、医師がコーディネート業務を担い、地域の開業医と連携を取りながら入院手配などをしています。病院組織、そして地域全体でこのような対応をしていくために、私のような「おせっか医」をさらに増やして、市民が安心して暮らせる社会をつくっていきたい。そして全国の医学生や研修医から「『おせっか医』を目指すなら、いわきのかしま病院」と言われるように、研修医たちが集まる病院にしていきたいと考えています。
―最後に、進路やキャリアの選択に悩んでいる若手医師へのメッセージをいただけますか?
総合診療(家庭医療)は、今後ますます求められる診療科です。
患者さん1人ひとりに個性があって抱えている悩みが異なるように、診療もそれに応じて変わっていきます。さまざまな患者さんを診療できる醍醐味や、日々新鮮な感動を味わいたい人にとって、これほどまでに面白い環境はありません。
診療科としては最も新しいため、研修制度に対する不安があることも、そのせいで総合診療医を諦めてしまう方がいることも知っています。しかし私の研修医時代は「総合診療科」が設立したばかりで研修プログラム自体もありませんでした。そんな私でもこれだけ楽しく医師として仕事ができている。やりたいことを生涯かけてやりましょう。あなたの気持ち次第で、見える景色は変えられます。あなたが考える総合診療を創っていってほしいと思います。
(取材・文/coFFeedoctors編集部) 掲載日:2021年3月22日