基幹病院で老年内科の知見を活かし地元・岩手に貢献する
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◆地域の基幹病院で担う中堅医師としての役割
―岩手県立中部病院に赴任されたのはいつだったのですか?
2017年4月です。現在は同院総合診療科第2診療科長として、老年内科で培った知識や経験を活かしながら一般診療を行いつつ、認知症ケアチームのメンバーとして、入院中の認知症患者さんの診断や投薬調整を行っています。また、初期臨床研修医や専攻医の指導も行っています。
―認知症ケアチーム全体としては、どのようなことをされるのですか?
認知症を患うと、短期記憶障害などの認知機能障害を起こしたり、それに伴った周辺症状などが出現します。入院による環境の変化に適応できずにせん妄を発症したりして、さらに認知症症状の悪化を招くことがあります。患者さんに負担なく、円滑に治療を受けてもらえるよう、医師と認知症看護認定看護師、メディカルソーシャルワーカー、リハビリ科や薬剤科、栄養科のスタッフが集まって多職種会議や回診を行い、患者さんの状況把握や改善に向けた取り組みについて検討しています。
―若手医師の育成にも携わっているのですね。
私は臨床研修科長という役割をいただき、初期臨床研修が円滑に進むよう研修責任者の先生方と研修医の調整役を任されています。特に初期研修の2年間は、研修医にとって知識や技術はもちろん、医療人としての人格も備えていくべき大事な時期です。初めての経験に悩んだり、ストレスを感じたりすることもあるでしょう。彼らが無事に医師としてのスタートを切れるよう、サポートするのが私の役目。カンファレンスや研修医向けセミナーの運営、医療安全教育、研修医へのフィードバック、研修生活を送る上で生じる困り事やトラブルに対するサポートなどを行っています。
◆悩み、熟考して老年内科を専攻、臨床研究も
―老年内科を専攻されるまでの経緯について教えてください。
当初は小児科を目指していましたが、ほかには救急科や一般外科にも興味がありました。専門の臓器を診るより、全人的に診ていくことに魅力を感じていたのです。
しかし小児科研修で、重い疾患のお子さんや、その親御さんに接するうちに、「重い病気を抱えるお子さんや家族の思いなど、全てを抱えて診療に当たれるほどの強さが自分にはあるだろうか」と悩み始めて――。
また私は、岩手県から奨学金を受けていたので、故郷に戻るのが前提でしたし、私自身としても地元の医療に貢献したいと考えていました。医師が少ない地元の現状を考えると、一般内科や総合診療科といったジェネラリストが求められるのではないかと考えるようになり、最終的に老年内科の道に進むことにしました。
―その決め手となったのは何でしょうか?
内科のジェネラリストを目指す上で、高齢者をしっかり診られる技術は不可欠だと思ったからです。超高齢社会に突入した時代において、自分の強みになると考えました。
母校の杏林大学医学部付属病院高齢診療科は、緊急入院が9割近くを占めることもあり、臨床が盛んでした。救急の初療システムが構築されていて、救急外来からの緊急入院となれば、重症患者の管理など専門的な治療まで行っていたので、内科全般をしっかり学べる環境が整っていました。そういった環境も後押ししました。
―岩手に戻る時期についてはどのように考えていたのですか?
実は学位を取ることへのこだわりはあまりなかったので、当初思い描いていたキャリアプランでは、専門医を取得した後、医師7〜8年目で戻ろうと考えていました。ところが、苦手だった循環器系を学ぶために自治医科大学附属さいたま医療センター循環器内科に出向したことで、そこで志を高く持って臨床や研究に励む先生方に刺激を受け、研究に携わることで臨床の幅も広げることができるのではないか、と考えるようになりました。
医局に戻ってからもその思いは強くなり、仲の良い先輩が進学したことも後押しとなり大学院に入学したのです。ありがたいことに、軽度認知機能障害患者に関する研究論文が学会で評価され、賞をいただくなどもしました。あのときの研究が、認知症の理解や治療に少しでも役立っているのであればうれしいですね。
そして医師11年目を迎えたタイミングで、岩手県に戻りました。
医師プロフィール
小原 聡将 老年内科
岩手県立中部病院総合診療科第2診療科長
岩手県花巻市出身。2007年杏林大学医学部卒業。杏林大学医学部付属病院で初期臨床研修を修了。2009年4月から杏林大学医学部付属病院高齢診療科入局。2010年から1年間自治医科大学附属さいたま医療センター循環器内科で研修を受ける。2012年、杏林大学大学院医学研究科博士課程内科系加齢医学専攻に入学。学位取得後1年間の勤務を経て2017年4月に岩手県立中部病院総合診療科に赴任、現在に至る。