医学部在学中に結婚、出産した遠藤芽依先生は、育児でキャリアを中断することなく初期研修を修了し、現在は福島県立医科大学で家庭医の道を歩んでいます。一方で、一人の地域住民としてコミュニティースペース作りも進めています。その背景にある思いと、育児とキャリアを両立させてきた秘訣を伺いました。
◆「一住民としてできることは?」コミュニティースペースをつくるわけ
―現在はどのようなことに取り組んでいますか?
福島県立医科大学の地域・家庭医療学講座の助手として、臨床のほか、医学生や後期研修医の教育や、家庭医療学分野の研究に携わっています。
また個人の活動として、今暮らしている地域で、子どもから高齢の方まで誰でも気軽に立ち寄れるようなコミュニティースペース作りをしています。新型コロナウイルス感染症の影響で、予定よりもかなり遅れてしまっていますが、できることから少しずつ動き出しています。
―なぜコミュニティースペースを作ろうと考えたのですか?
誤解を恐れずに言えば、地域に対して「医師」としてできていることは、とても少ないと痛感したんです。一方で地域の方々には、人生の最期まで「幸せだ」と思えるような暮らしをしてほしいと強く思っています。そのために何かお手伝いできないか、と常に考えていました。
そんな折、神奈川県藤沢市にある「あおいけあ」が運営するグループホームや多機能小規模施設を視察し、インスピレーションが湧き、コミュニティースペースを作ろうと考えました。そこでは認知症の方でも、元・駄菓子屋さんには駄菓子屋さんを、元・車の整備士には車の整備という役割を担ってもらっていました。そうしているうちに周辺に暮らす方々や子どもたちが自然と集まる空間になっていったのだそうです。驚くことに、そこで暮らすうちに介護度が数段階軽くなったケースが多くあるそうです。
病院ではその特性上、患者さん一人ひとりの個性や好きなことを汲み取りケアしていくことが十分にはできません。かといって、あおいけあのような施設を作ることもハードルが高い。それならば一人の住民として、地域の方々がつながり、お互いに助け合えるような空間をつくることで、地域の方々が幸せを感じられるようにしたい。そう思ったのです。
このコミュニティースペースは、あえて目的を固定していません。地域の方の困り事は本当に人それぞれ。だからこそ、それぞれの困り事や目的が違っても、誰でも気軽に立ち寄ってもらえるような場所にしたいと思っています。
◆育児をこなしつつキャリアを積む秘訣
―ところで先生は、なぜ医師を目指したのですか?
子どもの頃に難民の生活を支援する医師の本を読み、将来は医師として困っている人々の手助けをしたい、と医師に対する漠然とした憧れがありました。このような理由から医師を目指すようになったので、まちや村の人々に信頼されている医師が理想の医師像でした。
―家庭医を目指そうと決めたのはいつ頃でしたか?
まず、家庭医を知ったのは学生時代です。私が入学した福島県立医科大学には全国的にも珍しく家庭医療学講座があり、家庭医の先生方による地域実習がありました。その実習を通して、家庭医は患者中心にケアをする、自分の思い描く理想の医師像だと感じました。しかし、「家庭医になろう」と決心したのは、もっと後になります。というのも、大学6年生の時に第一子を出産して初期研修に突入したので、まずは初期研修と子育てを両立することが最優先だったからです。
家庭医としてキャリアを積んでいこうと決めたのは、初期研修2年目の秋頃です。自分のキャリアのことだけでなく、子どものことや、同じく医師の夫のキャリアも含めて複合的に考える必要がありました。本当にさまざまな要素が入り交じる中で考えた結果、母校の家庭医療学講座に入局し、家庭医として歩んでいくことを決めました。今では家庭医になるという選択をして良かったと心から思っています。想像していた以上に家庭医の世界は深く、楽しく、患者さんを幸せにできる仕事でした。
―大学6年生で出産されて、ブランク無しに初期研修を始めたのですか?
はい、そうなんです。いわゆる授かり婚で、5年生の時に結婚し、6年生で出産しました。出産後に国家試験を受け、無事大学を卒業し、初期研修を始めました。妊娠は計画していたわけではなかったので自分でも驚きましたが、家庭を持つことへの憧れはあったので、喜びの方が大きかったですね。
―例えば大学を卒業後、1年ほど育児に専念し、少し落ち着いてから初期研修を始めるという選択肢などは考えなかったのですか?
そうですね。当時は、医師に憧れて頑張ってきていたので、キャリアを中断しようとは思いませんでした。一方で「子どもとの時間が確保できないほど仕事が忙しかったら辞めよう」と腹はくくっていました。
もともと沖縄県や愛知県など、あちこちの研修病院を見学していたのですが、妊娠が分かってからは、一旦全て白紙に。院内に保育施設や病児保育があるかなど、子育てと両立できそうな研修病院を一から探しなおしました。
最終的には院内に保育園があり、子どもの発熱時にもすぐ対応できることや、実家に近いことなどから、夫婦で上都賀総合病院にお世話になることに決めました。
―ブランクを空けずに医師としてのキャリアと子育てを両立できた秘訣にはどのようなことにあるのでしょうか?
子育ての開始とほぼ同時に初期研修をスタートさせ2年間で修了したことを、周囲の方から「すごい」と驚かれることが多いのですが、自分1人の力では到底ここまでできなかったと思います。両立できたのは夫や両親の助けがあったからこそです。当時は、私たち夫婦と両親の皆でスケジュールを共有し、両親のサポートを得ながら毎日を何とか乗り切ってきました。
家事については、夫婦で互いに得意なことを担当したり、片方が子どもから手が離せないときにはもう片方が家事に回ったりして、うまく協力しながら乗り越えました。福島に戻ってきた現在は、義理の母にかなり支えてもらっています。私は3人の子どもに恵まれましたが、もし家事や育児を一人で抱え込まなくてはならなかったら、3人もの子どもたちには会えなかったと思います。
◆「子ども優先」で家庭医として思い描く目標
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
医師としての最終的な目標は、地域で暮らす方々が最期に「いい人生だった」と思えるようにサポートをしていくこと。今後も家庭医として、外来や在宅医療の臨床力を高めつつ、同じような思いを持つ医師の育成にも携わり続けたいです。
更に、地域で暮らす一人の住民として、コミュニティースペースでの活動や、子どもとの生活も楽しんでいきたいですね。
―最後に、後輩へのメッセージをお願いします。
キャリアと家庭の両立は、パートナーの仕事や性格、協力度合い、周囲のサポート、子どもの性格などでそれぞれ異なるので、一概にこの方法が良い、とは言えませんが、可能な限りパートナーとよく話し合い、互いの価値観をすり合わせることが大切だと思います。
またキャリアと家庭の両立の過程では、大小さまざまな選択を迫られる場面がたくさん出てくると思いますが、その都度、悩みバランスを取りながら歩んでいくしかないのかもしれません。現在、大好きな家庭医の仕事をしながら、子どもと共に日々成長する毎日が、大変ですがとても楽しいと感じています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年8月31日