医師8年目の古川祐太朗先生は、大学病院に所属しながら救急医としてのスキルを生かした地域連携や医療DXを進め、独自のキャリアを歩んでいます。古川先生のキャリアの原点は医学生時代の地域活動。そこから得た経験や佐久総合病院での研修をもとに、自らの将来像を実現すべく日々邁進しています。そんな古川先生も「自分が何者なのか?」と周囲の価値観の中で悩むこともあるのだそう。そんな中でも進み続ける古川先生のキャリアパスとビジョンを伺いました。
◆「災害関連死をゼロにする地域連携プロジェクト」
——現在、どのような活動をされているのですか?
佐賀大学医学部附属病院に所属し、救急医療に従事しながら災害医療の観点で地域とつながる活動をしています。また、災害医療も含め、疾病予防や社会疫学に興味があり、一見救急医療と真逆のように感じられる公衆衛生分野での研究活動も行っています。
災害医療に関しては、2023年10月から佐賀大学で進めている「災害関連死をゼロにする地域連携プロジェクト」のプロジェクトリーダーを務めています。このプロジェクトは、災害関連死を防ぐための地域連携をどのように行うかを考え、実際に大規模災害が発生した際に行政機関や大学病院をはじめとした医療機関が、避難所や被災現場とどのように連携とるべきか考え実行していくものです。
発災時の超急性期に避難所を運営するのは、あくまでもその地域の住民の方々。全国の自治体には避難所運営や救援活動を行う住民主体の自主防災組織があり、組織率は2021年度で85%程度。このプロジェクトでは佐賀県内の3つの自主防災組織と連携し、平時より住民の方々と災害関連死を防ぐという目標を共有するとともに、各自主防災組織が属する自治体を「住民による自主防災のまち」として世界に誇れるロールモデルにすることを目標に活動しています。
——なぜ「災害関連死をゼロにする地域連携プロジェクト」を始めたのですか?
私は佐賀大学医学部を卒業し、長野県のJA長野厚生連佐久総合病院で初期研修、専門研修を終えて佐賀県に帰ってきました。もともとつながりのあった住民の方々と連絡をとる中で、防災への意識と関心は強くあるものの、具体的にどうしたら良いか分からない方も多く、そこに医療者や専門職が介入できていない現実を知りました。私は救急専門医を取得し、日本DMAT・都道府県災害医療コーディネーターの研修も受けました。学んだ知識を生かして地元の方々と連携できれば、大規模災害が起こったときのための備えができるのではないかと考えたのです。
——プロジェクトの手応えと課題について教えてください。
現在、連携している自主防災組織のメンバーに、DMAT活動で学んだ災害時対応の原則や、災害医療の考え方を講義形式で伝える活動を定期的に行っています。DMATで学んだ災害時対応の原則とは、情報収集の迅速性・正確性と現場判断の速さが被災規模に影響するという考え方です。これは避難所運営の際にも有用な考え方だと思っています。
また、医療従事者が発災後に運用するライフラインや必須物資量の迅速把握ツールの評価基準の共有と、外部支援者と効率的に連携することを目指した避難所運営訓練への参加をしています。さらに、教育研修や避難所の質向上のために、医療デジタルがスムーズな連携に役立つと考えていて、避難所に衛星通信とリアルタイム情報発信の通信機器を設置し、災害対策本部と避難所をつなぐ取り組みも進めています。
このほか、地域住民の防災意識調査や避難意向に関するアンケート調査結果を用いた研究なども行っています。また発災後、避難所環境がどのようになっているかを迅速かつ視覚的に把握できるよう、避難所と災害支援機関との通信システム構築も試みています。
ただもちろん限界もあります。活動の主体はあくまでも住民の方々であり、住民からのニーズに沿って動くことを原則としています。つまり、そこにニーズがなければ私たちが関わることが難しく、どのように全ての地域で防災意識を底上げしていくかが課題です。
しかし、現在取り組みを進めている3地域の自主防災組織と地域防災力の底上げを図り、ロールモデルとして提示していくことで、他の地域への波及効果もあるのでは、と考えています。いつ来るか分からない大規模災害に向けた地域と医療機関の連携のあり方を私の住んでいる地域から示すことができればと思っていて、まずは今取り組んでいる3カ所での活動内容にこだわっていきたいと考えています。
◆医学生時代の地域住民との出会いがターニングポイント
——医学生時代、地域活動をされていたそうですね。
イギリスで5年、アメリカで5年生活したのち、帰国子女枠で佐賀大学医学部に入学しました。海外の自由な雰囲気から日本の大学に入学すると、少なからず閉塞感を感じる場面があり、常に漫然と何かしたいという思いがあったのです。サークル活動や学園祭に取り組んでみましたが、大学内での活動に留まっていることにどこか満たされない感覚がありました。
そんな大学3年生のとき、私は古民家や高齢者の家と大学生をつなぐビジネスができないかと思いつきました。元々、友人数名と古民家の空き家でシェアハウスをしていて、敷地が広いけれども家賃は安く、友人と複数名で住んだらさらに安くなり、お金がない大学生の需要にマッチすると思ったからです。それをきっかけに公民館に行ったり、地域の方々とつながったりする中で、健康講話の依頼を受けるようになり、健康講話のニーズが高いことを実感しました。今後のキャリアにもつながる活動だと思い、大学を卒業するまで続けていましたね。
——この活動を通して得たことはどのようなことですか?
振り返ってみると、この活動は非常に能動的な学びだったと感じています。例えば住民の方々は、医師にも当時の自分たちのような距離感であってほしいと思っていることを知りました。その思いから、フランクに相談できる存在がいないことを認識するとともに、将来自分は住民の方々が常に相談しやすい人間でありたいと思うようになりました。あとはおこがましいですが、将来この方々を診ていくんだという意識も芽生えましたね。このようなプロフェッシャナリズムを育む効果が大学側に認められ、大学の医学教育カリキュラムにも導入されました。
ちょうど地域活動を始めた頃、ハーバード大学のカワチ・イチロー先生が大学で特別講義をしてくださり、知識としてソーシャルキャピタル(社会関係資本)の概念を知りました。自分たちの活動はまさにソーシャルキャピタルに連なるものだと、実践と知識を結びつけて活動の意義を言語化することができたのも良かったです。そして「今のように住民活動を応援できる医師になり、出身地である宮崎県をはじめ九州地方の人たちの健康基盤を作る何かに携わりたい」と将来の方向性を定めることができました。
当時から迷える医学生であった私に「こういう医師を望んでいるんだ」と教えてくれた住民の方々との出会いは、まさに私のターニングポイントです。
——なぜ救急科を専門に選んだのですか?
研修先を探している中で、当時佐久総合病院の総合診療科に勤められていた座光寺正裕先生(現・世界保健機関(WHO) 西太平洋地域事務局所属)の講演を拝聴する機会があり、「長野県は最も長寿で保険料が安く、それには理由がある」と発言されていたことに感銘を受け、地域を健康にするためのヒントを得るために佐久総合病院を初期研修先として選びました。佐久総合病院での研修の一環で、地域医療のメッカと言われるフィリピン国立大学医学部レイテ分校(SHS)で研修させていただく機会もあり「病をみる・人をみる・地域を見る」ことが一本の線につながる感覚がありました。
佐久地域やフィリピンでの学びや自分自身の向き不向きを自らのキャリアに落とし込んだ結果、救急科に進むことに。また当時、病気の上流に社会医学や公衆衛生があり、病気の下流に救急医療があると考えていて、全ての疾患の入口となる救急外来(下流)に身を置きながら、上流にまで目を向けて活動したいとも思っていました。
当時勤務していた佐久総合病院佐久医療センターの救命救急センターに在籍する救急医のうち、半数以上が在宅医療の経験者、もしくは救急医療と並行して在宅医療に取り組んでいる医師でした。私自身も救急医療に従事しながら、週1回在宅医療にも携わり、佐賀県に戻った今でも、同様の働き方をしています。救命救急センターの中で起きていることだけが救急医の仕事ではないこと、地域に出て行き社会問題にも常に目を向けながら医師として働くという価値観が育まれたのは、この佐久総合病院での研修のおかげだと思います。
もともと佐久総合病院で学んだことを佐賀に持ち帰りたいと考えていて、5年間の研修を経て、健康長寿は病院ではなく地域によって成り立っているんだとの確信を持ち、佐賀に戻りました。
◆「自分は何者か?」悩むこともあるが、自分を信じて進みたい
——佐久総合病院での研修期間を通して、学生時代に思い描いた将来ビジョンを実現するための方向性を見出し、まさに今の活動をされているのですね。
そうは言っても、やはりまだ周囲の価値観の中で「自分は何者なのか?」と、自らの役割を気にするフェーズにいます。後悔しない選択はしてきていますし、人とのご縁の中で最高に楽しい人生が送れていますが、それがキャリアとして成功しているのかは正直分かりません(笑)。
ですが、好きな活動を通して成功体験は蓄積できていますし、今は自分を信じて取り組みたいことに注力し、いずれそれら線と線でつながり、独自の何かを形作ってくれれば、と思っています。新しいことをやるときは常に不安が付きまといますが、自分の人生に後悔しないように思いを貫き続ければいずれは報われると信じています。
——今後のビジョンについて教えてください。
まずは、冒頭にお話しした災害関連死をゼロにする地域連携プロジェクトを含め、私の住む地域における課題を認識し、臨床、教育、行政と研究活動を通じて、地域の課題解決に取り組み続けます。そして現在行っている研究活動の成果を、佐賀における独自モデルとして全国的に発信していきたいと思っています。これと並行し、大学職員として、多くの学生や若手医師に地域活動を基軸においた研究活動や臨床教育活動の重要性を伝えていきたいですね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年7月19日