総合内科医として日本での臨床経験を積み、医師6年目にアメリカへの臨床留学を実現させた原田洸先生。ところが、一度は留学を諦めたこともあったそうです。そんな原田先生が、再び留学を目指したきっかけとは――? 現在、アメリカで学んでいることや、その背景の思いとあわせて伺いました。
◆ホスピタリストの将来性
―現在、アメリカに臨床留学中ですね。
はい、2021年に渡米し、ニューヨークの中心部にあるマウント・サイナイ・ベス・イスラエル病院の内科レジデント1年目として勤務しています。アメリカの内科レジデントは、日本で言うところの研修医ですが、 仕事の裁量としては内科専攻医や後期研修医と同レベルのことを任されています。
現在は主に、入院している患者さんのケアを中心として携わっています。例えば入院患者さんの内科的なマネジメントや、上級医と一緒に、退院患者や新規入院患者のマネジメントを行っています。
ーなぜアメリカへ臨床留学しようと思ったのですか?
大学5年生の時に1カ月間、ミシガン大学病院で臨床実習を受けました。その時にアメリカのホスピタリストというシステムを初めて知り、 画期的なシステムだと驚き、学びたいと思ったのです。
日本の病院では多くの場合、臓器別に診療科が分かれ、 その診療科ごとに病棟の患者さんを診ます。一方、アメリカのホスピタリストとは「入院ベッドを持つ病院で働く医師」という意味で、大病院のほとんどの入院病床は、ホスピタリストが診ています。 そして、さまざまな病気を臓器横断的に診て、患者さんが短期間で退院できるよう、あらゆるマネジメントをしていたのです。「この仕組みは大いに将来性があるから、学びたい」と考えました。
ーどういった点に将来性を感じたのですか?
臓器別で入院患者さんを診ることに、限界があると感じていました。例えば肺炎で入院する場合、日本では呼吸器内科医が診ますが、その方に心臓疾患があったり腎臓疾患があったりした場合、肺炎での入院期間中には、心臓や腎臓のケアが不十分になってしまうことがあります。
ホスピタリストがいれば、 どの臓器に今最も問題があるのか、あるいは疾患以上に、置かれている社会的状況が最も問題なのかなど、より俯瞰的に患者さんの問題点を捉え、それに対する最適な対応を見つけていきます。それがホスピタリストのスペシャリティです。
特に高齢者は、多数の臓器に問題を抱えていることが多いので、臓器別の診療科ではケアに限界があります。ですから、高齢化が進んでいる日本においてこそ、ホスピタリストのニーズは高まると思いましたし、必要だと考えました。そういった意味で、将来性を感じていました。
実際に日本でも少しずつホスピタリストを育成していこうというムーブメントが出てきているので、アメリカでホスピタリストのシステムを学び、日本に輸入し広めていくことは、日本の将来にとって意味があると考えています。
◆一度は諦めた臨床留学
ーただ、一度は留学を諦めそうですね。
卒後3年目の時、渡米を見据えて1週間だけ、アメリカの病院でオブザーバーシップのような形で短期留学しました。その時に、英語の壁が想像以上に高く、患者さんや看護師さんなどとのコミュニケーションがやはり難しいと痛感したんです。
また、臨床留学のためのマッチングは非常に難関と言われています。「帰国子女でもない 自分にとっては無謀な挑戦かもしれない……」など、ネガティブな考えが次々と湧いてきて――。最終的には「自分なんか行けるわけがない」と、その時点で諦めてしまったのです。
ーそこから再びチャレンジしようと決めた背景には、どのような経緯があったのですか?
諦めてから2年後、現在ニューヨークのマウントサイナイ病院に勤務されている山田悠史先生と留学に関するセミナーでご一緒する機会がありました。私のこれまでの経歴や、留学したいという思いを聞いた山田先生から熱烈な後押しがあり、再びチャレンジすることを決めました。山田先生がしつこいくらい(笑)に「絶対に留学した方がいいよ」と電話も数回来て、猛アタックされましたね。
準備はかなり大変でしたが、山田先生の後押しで一念発起。2カ月程で全ての準備を整えマッチングの面接に挑みました。
再び留学しようと決意できた背景にはもう1つ、メンターの先生からの言葉がありました。
卒後2年目の頃、その先生に「留学や研究、大学院進学、 東南アジアでのボランティア活動など、やりたいことがありすぎるんです」と相談したことがありました。その時「登りたい山はいくつあってもいい。それに、登りたい山に続く道が目の前になくても心配しなくていい。あの山に登りたいなと思いながら一生懸命前に進んでいれば、必ずその山に続く道がふと目の前に現れるから、その時から登り始めたらいい」とアドバイスしてくださいました。
一度は留学を諦めてはいたものの、「やはり留学したい」という気持ちが片隅にはあって、それは考えないように過ごしてきていました。そんな時、 山田先生が「留学への道はこっちにあるよ」と教えてくれたおかげで、留学という山に登る決心ができた。そんな感覚でした。
―マッチングのための準備は2カ月で整えたのですね。
さまざまな書類を揃えなければならず、決して楽ではなかったですが、何とか2カ月で準備し、面接に挑むことができました。
臨床留学で就職先を得るのは非常に難しいです。私が幸運にも臨床留学の機会を得られたのは、卒業後から一貫して、臨床研究の論文を積極的に書いたりボランティア活動をしたりしていたことが評価されたからだと思います。留学を見据えてそれらの活動をしていたわけではなかったのですが、結果的には大いに役立ちました。
―ボランティア活動とはどういったことをされてきたのですか?
NPO法人APSARAという団体で、カンボジアをはじめとする東南アジアの若手医師/医学生向けに、レクチャーや交流会を開催しています。 コロナ禍前は年に1回、現地で学会を開催し、参加してくれた若手医師と交流していたのですが、コロナ禍の現在は、オンラインレクチャーに切り替えています。
◆これまでの知識や経験を日本へ還元
―今後のキャリアプランはどのように考えていますか?
当面は、残り2年間の内科レジデントと、それが終わったら2年間の老年医学のトレーニングを受けようと思っています。最終的に働く場所をどこにするかはまだ決めていませんが、 どういう形になっても、自分が生まれ育った日本、とりわけ岡山に対して何か還元できるような活動をしていきたいと思っています。
老年医学を学ぼうと思っているのは、日本の総合内科で働く中で、やはり高齢患者さんの治療やケアは非常に難しいと感じてきたからです。最初にもお話しした通り、複数の疾患を抱えている方もいますし、高齢者特有の疾患や悩みもあります。そういった問題に対応するため、老年という年齢で区分されたスペシャリストは必要だと考えています。
また日本は現在、少子高齢社会でさまざまな問題が山積していますが、今後世界中の国が同じような過程をたどります。ある意味、日本は世界の中でも最先端を歩んでいるので、そのような国で老年医学に取り組んでいけば、他国の手本にもなれるのではないかと思います。ですからアメリカで老年医学を学び、何らかの形で日本に還元していきたいと考えています。
あとは1年程前から、これまで自分が培ってきた経験を還元する意味で「めどはぶ(Medical English Hub)」という活動をしています。英会話学習のプロとネイティブスピーカー、そして私のような海外の臨床現場で働いている医師が連携し、医療従事者向けの短期間オンライン英語学習プログラムを提供しています。こういった活動を通じて、今後日本から世界に向けて情報発信をした医療従事者や、私のように海外に留学したいと思っている医療従事者を応援していきたいですね。
―最後に、総合内科に進もうとしている医師や、海外留学を希望している医師に向けてメッセージをお願いします。
まずは総合内科に関して。総合内科や老年医学といった、横断的に見られる能力は、これからますます求められてくると思います。現在、すでにそういったニーズはあります。ただ、まだそこに取り組む医師は多くありません。だからこそこの分野に飛び込めば、必ず重宝される人材になると思いますし、競争相手が少ない中で自分の能力を大いに発揮し、伸ばしていくことができるのではないかと思います。
そして海外留学に関して。帰国子女など英語が堪能でない方にとって、英語の勉強をし続けることはかなり孤独な戦いになると思います。私自身も同じような経験をしましたし、周囲に留学希望者があまりなかったので、誰に相談したらいいのか分からない時期もありました。そうするとモチベーションを維持しづらいですし、挫折してしまうこともあるかもしれません。
でも、同じような苦労をしている医療従事者はとても多いはず。なるべく苦労少なく効率的に勉強できるよう、 例えば「めどはぶ」のような同じ目標を持っている人とつながれるコミュニティやプログラムなどを活用して勉強を続け、留学のチャンスを手に入れてほしいと思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年5月25日